「やらされている」と思っている子は、10教えると、4出来るようになります。
「自分からやろう」と思っている子は、10教えると、8出来るようになります。
さて、この“釣りの枕詞”に引かれてきた人、ありがとうございます。
少しオーバーで断定的な表現ですが、ここがミニバスの一番難しい所です。
ミニバスでは、入部の動機に大きな差があります。
しかし、大抵は、保護者に言われたからとか、友達に誘われたからでしょう。
自分から進んで入ったって人は、1割にも満たないのかなと思います。
この温度差には、大きなものがあります。
私はミニバスを、ン十年教えていますが、最近は頓に“やらされてる感”が色濃く漂っています。
私が思うに、少子化により保護者が、子供に多くの手をかけられるようになって、
勢い、自分の都合のいい方向へ持って行ってるように見えます。
結果、従順な子供が増えて来ているのではないでしょうか。
もう、ずいぶん前から“指示待ち世代”と言われてましたからね。
しかし、元来子供は、好奇心旺盛で、後先考えず突っ走ってしまうものです。
ですから、従順な中に不満が燻っているのかも知れません。
(この呪縛から逃れようとするのが、反抗期ではないでしょうか。自我の目覚め・・かな)
まあ私は、教育の専門家ではありませんので、教育論はこのくらいにしておきます。
みんな真面目で従順ですから、言われれば、何とかやろうとします。
ですから、言われた事は出来ますが、そこから先につながりません。
「やらされている人」は、言われた事をこなすだけですから、何の疑問も抱きません。
「右へ行け」と言われれば右へ行きますが、“左へ行くとどうなるだろう”とは考えもしません。
とにかく“言われた事”をこなす事に集中しますが、それ以上プレーに関わろうとしません。
それが顕著に表れるのが「声出し」です。
“声”は、プレーへの参加の度合いのバロメータになります。
「やらされている人」は、声も、言われなければ出しません。
しかも、言われた事をやっているだけですから、その場限りです。
言われた事をやれば、ミッション・クリアですから、そこで満足して、リセットされます。
次やる時は、また、同じことを言わなければなりません。
まあホント、根比べですね。
私は、そんなにデキた人間ではありませんので、いい加減嫌になる事が、よくあります。
しかしこれは、根本を直さない限り、解決しないんでしょうね。
全ての元凶は、この“やらされてる感”だと思います。
これが解決されると、ほとんどが上手く行くようになるのではないでしょうか。
まっ、それが出来りゃ、苦労はしないんですけどね。
私が心がけている事は、まず“なるべく命令口調にしない事”です。(“なるべく”ですけどね)
まあ、あまりのデキなさに、つい命令口調になってしまうのは、たまに(よく?)ある事です。
そして、なんとか考えてもらおうとして、いろいろ質問するのですが、
“間違えた事を言うと笑われるのではないか”という恐怖感があるのか、なかなか答えません。
常々「間違える事は、恥ずかしい事ではない」と言い続けているのですが、
それでも、答える事をためらう傾向にあるようです。
私は気が短い方なので、それ程待てず、勢い、キャプテンに振ります。
キャプテンには「何でもいいから、何か答えるように」と言ってありますので、答えが返って来ます。
まあ、正しい答えが返ってくることは少なかったのですが、
ここに来て、キャプテンが、巧くなって来ました。
恐らく、間違える事によって、いろんな事が見えるようになり、いろいろ考えるようになったからでしょう
しかしキャプテンは責任感から、何とかしようと思っていますので、
“やらされてる感”からは少し離れますね。
皆に、何らかの責任感を持たせれば、この“やらされてる感”も無くなるかなと思いましたが、
さてどうすれば………、いい方法は浮かびませんでした。
子供たちが、自分からやりたいと思う最初の動機はやはり「おもしろい」ではないでしょうか。
この「おもしろい」の追及に、子供たちは貪欲です。
だから「おもしろい」の感覚を伸ばして行くのが、一番かなと思います。
しかし、レベルが上がって行くと、面白いだけでは済まされない事も出て来ます。
でも、「おもしろい」という気持ちが根底にあると、面白くない練習にも、耐えることが出来ます。
面白くない練習も、ちょっと目先を変えれば面白くなるかなと、いろいろ試行錯誤しています。
もう一つ、「自分からやろうとする」気持ちに、“認められる”があります。
これは、人間の三大欲求の一つ「社会的欲求」です。
人は皆、誰かに認めてもらいたいという欲求を持っています。
まあ、誰かに認められるとね悪い気はしないですからね。
私を含め、コーチ達は、出来るのが当たり前と思っています。
だから、ついつい、出来た事を疎かにしがちです。
「よーし、いいぞ」と言うだけで、子供たちは、嬉しそうな、いい顔をするんですよね。
だから、子供たちを否定するような言葉は、厳に慎まなければなりません。
しかし私も、あまりの出来なさ過ぎに、つい言葉を荒げる事があります。
その時は、頭に血が昇っていますから、何を言ったか、正確には覚えていません。
反省、反省。
これらの事を積み上げて行けば、“やらされてる感”も軽減するのかなと思いますが、
上手い方法が、なかなか見つかりません。
この“やらされてる感”をなくすには、どうすればいいのか、試行錯誤の日々です。
皆さんの知恵を、お借りできたらと思います。
余談
「やらされている」と思う事は、強制されているということなので、サボりたいと思うようになります。
サボっている人を見ると、自分もと思ってしまいます。
それは、やらされているので、「サボる事は、得をする事」になっているからなのです。
「自分からやろうとしている人」は、「サボると、損をしている」と思っています。
「サボっていたら、巧くなれないだろう?」とコーチは言います。
それは確かに正しいのですが、「やらされている」と、目的が「するという事」になってしまいます。
よく言われる「練習のための練習」になってしまっているのです。
“やらされてる”と思っている人とは、視点が180度違いますから、
どういうことなのか、理解できないのです。
参照