今日、例の事件があった場所を訪れた。
駅ビルの屋上から女子高生が転落し、地上で女性にぶつかり、両者が亡くなったという事件だ。
わたしはニュースを見ないが、全国向けに報道されたらしい。
現場では、大きめのぬいぐるみが数個と、3束の花が献花されていた。
地元だからか、聞いて知っている人は多いようで、
通りすがる多くの人のうち、3秒に2人くらいの割合で、
話題にする人や上を見る人、立ち止まり考え込む人がいた。
良識のある会話をする若い夫婦もいたし、
気の毒だという顔で釈然としないまま宙を見る中年男性もいた。
その屋上はデッキテラスになっているが、
今日は閉鎖されていた。
案内板によれば、しばらく閉鎖するという。
なぜわたしがこの場所に行ったかといえば、
自死するとその後どうなるのか、ということを知りたかったためだ。
わたしは人が現実に自死した経験がない。話としてしか知らないためだ。
現場は血の色ひとつなく綺麗に清掃された後で、
小雨で水たまりができているだけで形跡は何も無かった。
わたしにとって、海馬が鈍麻した20年間は、
自死欲との闘いだったという側面がある。
刃物を持って逮捕された20歳、ネクタイで首を括った27歳の3週間、
薬を大量に飲んだが知識がなかったので助かった経験、
川沿いの歩道で早朝の静かな時間に石壁で後頭部を13回殴打したこともある。
そういう過程経験から、わたしは、自死を許していない。許さない。
自死しないで、とは言わない。
ただ、自死するなら、自死した後に誰にも何の迷惑のかからない方法で、
無論、生きている、生きようとしている、生きるために努力している人を
決して一人たりとも巻き込まずに、
死後に残された人々が心を病まないくらい完全に納得できるような文書などを残した上で、
慎重着実にその方法を実行したらいいと思う。
自死するためには、覚悟だけでなく、相当の勉強と準備と倫理観が必要なのだ。
自死とは人を殺すことなのだから。自分という人をであれ、殺人の大罪である。
今回の女子高生は、17歳だったという。
要するに、両親に大切に育てられ、しかし何かのはずみでその望みが絶たれ、
これから経験しなくてはならない生活や勉強や仕事のことなど忘れ、思考の外に放り投げ、
大変安易な手段として、憧れだったのかあの商業ビルの展望デッキまで向かったのだろうか。
絶望しているのがこの世界で自分だけなのだとでも思い上がって、
絶望と付き合っていく人生など選ばず、絶望から救われる人生など考えも思いつきもせず、
死ねば楽になるなどとでも空想したのだろうか。
わたしは言いたい。
その女子は、地上に頭部がぶつかった直後、
わたし、こんなはずじゃない… って十中八九思ったはずなのだ。
なぜなら、突然死ぬためには、想像しているより遥かに重い苦痛を味わうことが必要なのだ。
今見えているビルや灯りが消えて見えなくなる、そんな程度ではなく、
意識が潰れるのだ。この意味がわかるか。
見えている景色を見ているわたしの感じ、そしてその感じを支えている存在感のある身体の感覚全部が、
何もなかったかのように、平たく潰れるのだ。
仮に身体がそれほど損傷しなくても、
意識も感覚も身体の存在感も全て、平たく潰れるのだ。
これはそう簡単に想像できるものでない。
なぜわたしがこう言えるか。
先に言った、13回の後頭部殴打の経験から推して知ったのだ。
わたしは、川縁の、石が敷き積んだ壁に、直角に座って、
全身の力で勢いをつけて、後頭部を石壁に殴打したことがある。
2回目で、打ち所のためか、意識がまっしろになった。
ただ、血液のような浸透を感じ、再び意識が戻った。
5回を超えると、もう打ちつける自分にとって、自分の身体は単なるモノとなり、
淡々と殴打するのだが、当然自分自身の意志も消えていき、
13回で力尽きた。2時間くらいそこで座った姿勢のままだった。
小雨が顔の肌を当たった、そのうすらある感触が、わたしがまだ生きていることを伝えた。
要するに、わたしは死ねなかったが、死ぬためには、
この何十倍もの苦痛を、わたしの頭蓋に与えなくてはならないと知ったのだ。
意識が平たく潰れるのは、おそらく、着地した瞬間だけだろう。
真っ白になるはずだ。そして、意識が戻った頃には、
それまでの自分らしい意識の構造は何かしら壊れているだろう。
今回の女子は、出血が多かったというから、意識は戻らなかったか、
暗いままの濁った薄っぺらい意識の中を、1時間くらい、周囲から聞こえる音に囲まれて、
血液のどくどくした流れと、伴う激しい苦痛、それを感じるわたしはどこにいるか、
それら意味もまとまらないままわからず意識がすうっと消えて、亡くなったのだと思われる。
警察を動かしたのはまだしも、
通報者や目撃者が目にしてしまった。
そして何より、突然ぶつかられ、意識を失い亡くなった女性と、一緒の2人の友人に対し、
その女子は殺し、傷つけもしてしまった。
悪意はないとしても、金曜夕方なのだから誰かにぶつかること、さえ想定しなかった。
越えられる柵がある場所がそこしかないことを確認した後、止まることもしなかった。
交通費が多少嵩んでも、自宅に帰れたはずだった。
わたしは、許されない。と考える。
わたしは、この20年で自死を意志し決行しようとしてきた自分を、今も許していない。
わたしはわたしを許していないのだ。
わたしはもう決行する意志など毛頭ない。力尽きている。
そうではなく、生きるのが楽しくなくても、苦難があり苦痛がどんなに多かろうが、
生きなくてはならないと考え、自然と自分を守るようになった。
今のところ、常識的には人として非難されるような守り方も実行してしまっている。
でも、そうであっても、生きているのだから、生きなくてはならない。
両親に育てられたのと同じくらいの生活を、自分で再び構築するには、
それなりの苦労とか必要だ。
勉強したり、仕事を得て覚えたり、嫌な仕事も少しはやることにはなるだろう。
そうして両親が与えてくれたような生活ができるようになった後で、
それでも絶望して死のうと決めたのなら、
それまでに培った倫理観をさらにもっとよく考えて、
それでも死ぬのなら、その倫理観に合う方法で、死んだらいいとわたしは思う。
そうしても、その練りに練り上げた方法であろうと、
死因になるほどの外傷を負った後は、
わたし、こんなはずだったの?
と絶対に思うから、このことをあらかじめ心しなさい。
死ぬためには、相当強度の苦痛を与えなくては、死ねないのだ。
それほど人体は死ぬために脆くはできていない。
よく考えておくこと。とわたしは忠告する。
生きてほしい、なんてわたしは言わない。
死ぬならば、生きている人を決して一人も殺しも傷つけもしない方法を、
綿密に検討し、周到に準備してから、
それでも迷惑をかけないと考えるのであれば。という条件をつける。
要するに、それほど命の意味が消え、無かったことになり、
生まれた意味も生きていた形跡も何も無かった。
と現実にするために、考え、生きてきた、程度の趣味、美学、教養だった。
と弁えた上で、自死はある。
少しでも迷ったら、まだ生きなくてはならない。
知らなくてはならないことなんて、
情報や学識でなく心に持つべき知識なんて、
思いもしないほどまだたくさんありすぎるほどあるのだから。
生きるためであろうと、それが死ぬためであろうと。