わたしはもうすぐ40代です。

今まで、ものすごくいろいろな人びとに、一方的にお世話になって

ここまで生きてこられました。

最近になってようやく、そのことに感謝を覚えるようになりました。


今までわたしを見てきた人の中には、

辛抱強く付き合ってくださった方も多くいますし、

遠目に見て距離をとりつつも、

仕方なく世話を焼いてくれただろう人もたくさんいます。


まったく、いろいろな人にお世話になったのに、

感謝を覚えたのがつい最近だなんて、

どんなに無知で薄情な人間なんだろう。


ここのところ、今まで近くにいてくれた人が、

その弱みや愚かさや無知をわたしが見分けることが増え、

ああわたしはこの人にこういうことなら世話を焼ける

ということがはっきりよくわかるようになってきました。


と言いつつも、まだ全ての人にそれがわかるのではなく、

ほんの片手で数えられる人数の人たちです。

どの人たちも、特に長く付き合っていた人たちかな。


先日、早速世話を焼いたのですが、

一人は滅多に褒めない人なのに、

世話するたびに褒めて感謝してくれます。

話す量も増えました。


もう一人は、わたしの提案を

独自の理屈でことごとく取り下げるのですが、

その人なりの生き方、信じる道を歩めばいい

と諦観するようにわたしはしています。


他に、この街で、わたしの今の職業に巡り合ったきっかけの人たち3団体とも、

今もわたしを頼ってくれています。

わたしの得意なことを見出し、買ってくれたんですね。


そういうわけで、わたしもこの街で10年になりますが、

つながりができていたんだなあ

と実感できる毎日です。


退屈もないし、寂しさとか持つ暇がないです。

余計なことは自分で考えようとしなくていいことを

最近学んで、観念したので、頭の中も楽になり、

ストレスも減って少しは楽しめるようになってきました。


これからは、わたしのこの40年余りで培ったものがもしあるなら、

わたしもまだその全部は気づいていませんが、

お世話になった人たちに、なんかいろいろできるのかもしれない

と思うようになりました。


別に、お世話になった人たちだけでなく、

街で困っている人や不自由な人がいたら、

なんなく声をかけたり様子を見てなにかしたりしようと思う。


実際、今月は10回くらい、街で声をかけられた。

道をよく聞かれたり、年配の人から話しかけられたり、

わたしがそういうふうな人に見えるのかわからないけど、

そんな1ヶ月だった。


これからのわたしはお世話して回る出番だ。

お世話になったこの街で、わたしがお世話に回ろう。

役に立たなくても、感謝されなくても、ないよりよければそれがいい。

最近、出会ってきたいろいろな人のことをその人の立場で分析して考えてみている。

なぜあの人はああだったんだろう、なぜあのような考えをするのだろう、と。

その人の立場を考えてみると、自然と、自分が世界で一人でいるのではない、と感じられるようになってきた。


その人の立場になって考えてみよう、と若い時教わったものだが、

自分をその人であるかのように擬装するなんてどうやるんだろう

と捉えてしまっていたので、なかなか身に付かなかった面がある。


今は、別にわたしがその人になりきらなくても、

その人であるかのように振る舞おうとしなくても、

その人の立場を考えることがわたしはできる、と思えるようになった。


この誤解が解消し、10代まで持っていた感覚も少しずつ戻ってきた。

それは、この社会で活動しているたくさんの人たちの考えや志を常に感じられる感覚だ。

ともに生きている感覚と言ってもいい。

有象無象が今ともに暮らしている、そんなリアリティの感覚だ。


街を歩いていて変わったと思うのが、

人をそんなに見なくなったことだ。

余程の音や、物の接近を感じた時以外は、

別に通りすがる人を見たりしなくなった。

人をわざわざ見なくても、人を理解できる気がするからだ。


これはかなり大きな認識の変化で、

その人の全てなんてわからないが、大事なことはわかるようになった

という自覚が芽生えてきた、と言える。


この自覚は、人によっては、成人する前にすでに持っていた人もいると思うし、

社会人になって苦労して身につけたという人もいるだろう。

わたしのように、40歳手前で遅れて自覚した人もいると思う。


わたしはこれで非常に楽に生活できるようになった。

心がなくならないし、悩みすぎないし、考えすぎもしない。

過度に情報を求める気も無くなったし、意識も減って下がったし、

それでなんの問題も生じていない。


世の中には、人の立場を考える達人も多くいて、わたしも何人も出会ったが、

そこへ達する道のりがあるとしたら、わたしはまだ1%も進んでいない。

ただ、世の中は人でできている以上、

この、人の立場を考える道のりを進むことは、生きることをますます楽にし、

考えにくいことも考えやすくし、楽しくする道だと、わたしは信じられる。


わたしに足りなかった面でもある。不足していたから困難を感じていたのだ。

今は、固有の困難が解消し、人間らしくなってきて、

凸凹した精神が、自分の心に戻っていくように融けてきた感じだ。


精神の病を経験した分、空白や違和感はあるけど、

生まれてから今までのわたしが何をして何を考えてきたか、

振り返ってよく知ってから、わたしは自分を取り戻せる道を、心の中に見つけた。

穏やかで安らげる感覚を伴うので、この心の道を離れることは不自然すぎてもうしたくない。

YouTubeを見るのをやめて1ヶ月がすぎました。

1ヶ月前までは、1日4時間くらいみていました。

仕事終わりや帰宅後から就寝前までみていました。

みていたのは、個人発信の情報系、教育系の動画でした。


見解や考え方をたくさんみられましたし、

基本的な考え方見方が身についた分野もあります。

美容、ファッション、インテリアなんかは満足できるくらい

自分でどうにか考えられるようになりました。

節約、ミニマリズム、精神医学系は、

ネガティブな面も見えるようになりました。

ただ、YouTubeをみなくなって、それらが重要でもなくなりました。


代わりに、本を読むようになりました。

また、聖書の音読アプリをスピーカーで流して聞くようになりました。

動画に慣れてしまったので、なかなか読み進められませんが、

ゆっくり理解が結びつつあります。


動画は、自分の考えていることを言語化してくれたり、

同じような考えを述べていてくれたり、

憧れの世界の人の話が聞けるので、楽しめました。

ためになったことも多かったですが、

やはり自分の感覚を正当化するために見がち探しがちで、

感覚が肯定されると、さらに先へと鋭敏にしたくなり、

果ては、少しの不快を苦痛として避けるようになってしまいました。


少しの苦痛でも避ける。これは中毒状態です。

悪を避けることが分別だとはいえ、

少しの苦痛も徹底して排除し、快楽だけ追求するのでは、

精神が崩れるのも時間の問題。


今の世の中、快楽だけを追求しすぎだと思います。

快楽しか売っていませんからね…

人は快楽しか買いませんもんね…

本当は、苦痛が適度にあれば、心は落ち着くものなのです。

煩悩は快楽中毒の現れです。


今は、なんでも、快楽を受けたら、慎重になって、

おっと今日はこのくらいにしておこう、

と判断し、やめるようになりました。

やりすぎないようにできるようになってきました。


今はなんでも、過剰にできがちです。

物も情報も、不足する人は、なかなか見なくなりましたが、

物も情報も過剰な人ばかりです。

だからお金も過剰になり、力を求めるのですが、

物、情報、お金、力は、苦痛を伴わないので、

簡単に快楽中毒になります。

気をつけないと。


わたしは40歳の手前で気づけてよかった。

大事なものを知った。

物、情報、お金、力は、本当に大事なものではない。

苦痛を伴わないからだ。

これら危ないものを避ける知恵を身につけた。

そのために面倒な思考や苦悩が生じても、

心安らかな老後に向け心を鍛えるためと思って役立てたい。


以前、寛解のコツとして、快楽を自制することを書いた。



統合失調は、脳の状態が、いわば快楽中毒になっているので、

脳自身で、その依存をやめなくてはならない。


快楽の種類は、最大幸福計算で有名なベンサムの主著で数十種、挙げられているが、

単なる楽しさだけでなく、過去の成功から自己憐憫まで、さまざまな思いが快楽になりうる。

何によってドーパミンが出やすいか、一度反省してみるといいと思う。


病状を寛解へ持っていけた方法を以下に書いていく。

いずれも、心の面、身体面、思考の面を個別に紹介しているが、

これらで総合的に「債務整理」できた時に寛解は待っている。


1.普段の身体の姿勢

 脳や思考の病なのに、身体の姿勢から入るのは意外かもしれない。

 でも、武道や芸道を一度やったことのある人なら、

 行儀作法がいかによくできているか、心を守ってくれるか、

 ということを知っていると思う。

 統合失調の状態にあると、心がなくなっている場合も多いと思う。

 行動の手順もうまく立てられないことも多く、料理も簡単にしか作れないと思う。

 そこで、まず、正しい姿勢、つまり身体にふさわしい姿勢で立ってみたらいい。

 猫背にならないよう肩甲骨を近づけ、腰を前に反らしすぎず、

 脊椎も真っ直ぐでなく自然な曲がり具合で、足を内側でつけて立つ。

 (正しい姿勢は動画や本でいろいろ紹介されています)

 信号で止まる時や、交通機関に乗車している時など、正しく立ってみる。

 慣れたら、座り方、歩き方、横になる姿勢も調べて、やってみる。

 そうすると、だらけた精神が消え、余計な休息を取る必要もないと思えます。


2.リンパマッサージ、アロマ、スキンケア

 統合失調だと、とかく自律神経が乱れやすい。

 ストレスをどうこうするにも、思考が止まってしまうか、まとまらない。

 そこで、手を使ってリンパマッサージをしてみる。

 入浴中だと、滑りが良くてやりやすい。

 また、精神を沈静化するアロマディフューザーを焚いたり、

 肌の明るさを出すと、顔が明るく見えるので、気分も明るくなる。

 こうした方法を使うことで、間接的に自律神経を整えることができる。


3.洋服

 ここでは洋服と書いたけれども、バランスの感覚を磨けることなら、なんでもいい。

 脳の病は押し並べて、脳機能のバランスが偏った状態なので、

 特に思考のバランスが過剰だったり欠乏だったりする統合では、

 思考のバランスを思い出させてくれる物で訓練するのが有効と思う。

 洋服なら、外出できる。歩けるし、人目に触れられるのは、大変有効だ。

 街に出て、浮かずに溶け込めているか、から始まり、

 似合う服のある自分とはどんな自分か、と考えたり、

 季節や体型や素材を価格面でクリアしつつ、バランスの良さを出すには、

 と調べつつ思案してみるのが、思考のバランスを回復する訓練になる。

 作品を制作したり、インテリアを整えたり、持ち物を整理してみるのも有効と思う。


4.過食・飲酒・喫煙からの脱却

 要するに、中毒となるもの全てである。

 断つには、今まで自分が依存していた安易さを自覚し、

 人間の弱さは一時的なことでなく、人間生まれながら誰もが持つことだと

 知ることから始めるといいと思う。

 喜びで満たそうが、忘れようとしようが、和らげようが、

 人間はずっと弱いのである。誰でもそうである。

 (ちなみに、最も強い人は、誰よりも弱くあれる人である)

 依存してしまうのは、快楽を手軽に得られるからである。

 なので、苦痛を適宜混ぜると良い。

 もし、少しの苦痛でも避けようとして快楽だけを望んでしまうなら、

 それはれっきとした中毒状態である。

 苦痛を味わったらいい。

 過度の苦痛でなく、耐えられる程度の苦痛だ。

 苦痛の量が人並みになってきたら、自然と中毒は和らいでいる。


5.賢い人の言葉を読み解く

 思考が病んでしまったのは、おそらく、言葉の受け取り方も関係する人もあるだろう。

 統合失調にかかる人は、学業ができる人や、才人も多い。

 そこで、一度考えてみてほしい。

 以前に聞き学んだ言葉、読んで心に残っている言葉を思い浮かべて、

 その言葉は、本当には、自分が思っている意味だろうか、と。

 現在、認知行動療法が広まっており、有効だと思う。わたしも使った。

 これは、思考と身体活動を正しくつなげなおして、

 世界の認識の仕方を現実的にする、という狙いがある。

 これにだんだん慣れてきたら、おそらく症状も治まる頃だと思うので、

 今度は「認識療法」というか、言葉を使って、認識を現実に合わせていく方法がある。

 これはこういう仕組みだから、わたしはこう思い、こう考えた

 という思考訓練を続けていくのである。

 そうすると、常識がわかるようになり、徐々に物事の見分けがつき、

 社会で十分やっていける人になれる。

 賢い人ほど、自力を捨て去り、自分を諦めている。


以上、他にも挙げられることはあるが、

いずれも、生活習慣である。

将来もし、統合失調が今よりは治りやすい病になったならば、

生活習慣病のひとつに数えられるのではないかとわたしは思っている。


精神の病も、生活習慣で、大きく変わります。

生活を見直してみてください。

頭の中が止み、心が入ったら、それが寛解の始まりです。


食べるお菓子が、和菓子に寄っている。

1年前まで、ダークチョコレートやナッツをよく食べていたが、

この半年、水羊羹や葛餅、草餅、時々ゆべしを食べている。

ヨーグルトは、きな粉と黒蜜で食べていて、プロテインは入れなくなった。


中でも、寒天ゼリーというのが好きだ。

スプーンで掬うぷるんとしたゼリーではなく、

四角くて個包装の、表面に糖が塗された、お菓子だ。

お菓子屋やスーパーで目立たないが見かける。


昔はグミが好きで、

特に「果汁グミ」は人工的な糖や着色料を使っていないのに安いので、

好きでよく食べていた。今も安ければよく買って食べている。


しかし、寒天ゼリーには敵わないと思っている。

なぜかといえば、果汁グミはすぐに一袋空けてしまうのだが、

寒天ゼリーはせいぜい数個でそれ以上は食べないからだ。


わたしは、寒天ゼリーの方が、質が高いお菓子だ、と考えている。


例えば、マグロがなぜカツオやイワシより高価か、と考えると、

漁獲供給量の議論以上に、食べ切れる量の少なさがあると思う。

寿司で、マグロだけ6〜7貫も食べたら、

他の寿司を倍食べるより、量を食べないと思う。


満腹が幸せという人もあるけれど、

わたしは空腹である方が幸せである。

特に、空腹を埋め合わせようとする時の幸せは、

食べ切って満足し切った時よりも幸せであり、

満腹はむしろ不快で苦痛でさえある。

それでわたしはあまり満腹まで食べることをしない。


その上で、多く食べなくて済むことこそが、質が良い、ということなのだ。

と思うのだ。

食事を少なく済ませられることは、身体にとって概して良いだろうし、

多く食べたいと思わせ、もっとまた食べたいと手を伸ばさせる食べ物は、

設計思想としてあまり上品でないと感じる。

やはり、少なく、それで満足してしまう食事こそ、上質であると思う。


これは食事だけでなく、いろいろなものに言えると今は考えている。

洋服や鞄、財布、あるいはスマホなどガジェット、家具、書籍、投資銘柄にも言えると思う。

いいものを買うと、それでよくなる。

しかし、質の低いものを買うと、他にももっと欲してしまう。


結局、なぜ質が良いと言うかといえば、

人に欲を出させない、つまり人を悪に貶めない、必要もないのに苦労や恥をかかせない、

そういう上品な付き合いができる物であるからこそ、

人はその物を質が良い、と言うのだろう。と思う。


安価なものでも質が良いと言われる物は存在する。

それは、それを求めて使う人が、その物で求める質が満足できているからであろう。

例えば、水は水分がとれればよく、27円の水も、138円の水も、わたしには違いがわからない。

安く買える店には行って買うが、価格の高さで選ぶことはしないし、安かろう悪かろうではある。


わたしは、寒天ゼリーの中でも、

酸味料が塗してある物よりも、

グラニュー糖が塗してある物の方が、

食指が伸びにくくて上品だなと思う。

これに気づかないうちは、酸味料の方が記憶に残りやすいので、つい買ってしまうが、

本質的魅力を知ってからは、グラニュー糖の方を敬愛の念を持って買うようになった。


質が良いものは、良さを知った人でないと買われにくい面がある。

良さを知る、という過程が必要であるからだ。

単に感覚的に快楽が得られる設計にした方が、わざわざ考えさせずにでも売れる。

しかし、上質なものは、それを知った人にとっては、心地よく、

快楽主義の製品群から離れて売っていることに敬意を抱くものである。


これからも、さまざまな物の良さをよく知って、

物とは良いお付き合いをしたい。

水曜に新しい教会へ行った。

牧師が面談を快諾してくださり、90分ほど話をした。

その中での一言が、おそらくわたしの人生の分岐点になると思われた。


「何もしなくていい」という言葉だった。


喜びとは何で、どうして喜ばなくてはならないか、

という話題で相談したのだが、

喜ばなくてはならない、だから自分で何をしたらいいか、

と考えても喜べるものでない、

恵みを受けて、ただ受けるのだから、自身では何もしなくていい。

とのことだった。


その週は、自分でも情報を遮断しようと試み、すでに実践していた。

YouTubeは見なくして1ヶ月近くなり、実際、見なかった。

その代わり、本を電子で読んで買った。

ちょうど快苦の計算により最大幸福で善悪の判断基準を考えたベンサムを読んだ。


快楽だけでなく、苦痛も必要だ、ということで、

ダンベルも買った。

3kgで背筋を鍛えようとしたが、これは2日やった後、続いていない。

5kgも買ったが、3kgで疲弊してしまう。


また、ベアフットシューズを履くようになって2ヶ月くらい、

歩く速度がかなり遅くなった。

早足で歩いていた時には考えもしないことを考えられるようになり、

それらの考え方は、わたしにとって最も、必要だった。


また、早足では見えなかった風景や人の動きや家や街の様子が

大変身近に見えるようになり、同時に直視しなくなった。

なぜなら、直接見なくても大体想像して足りるようになったからだ。

下向きに歩いても、横にある物は見なくても補えるし、

鳥や虫が鳴く方向は耳でおおかたわかる。

感性が働くようになったということだろう。


街を歩いていて情報が多いと感じていたので、

15年前に買った度数の低いメガネを引っ張り出して、

それを掛けるようになった。

視界はややぼんやりしたが、むしろ信号や横断歩道は

直接見なくてもあると感じられて、実際見上げるとあることが増えた。

信号はあると信じられる場所にある、といった感じを覚えた。


こうして、デジタルな刺激や視覚情報を減らすことで、

また、自分で力を高めてどうにかしようとするのを全くやめて、

ベンサムが書いているような感受性の定義に則り、生活してみた。

やはり、人が変わったように楽になり、ストレスは減り、

あまり語らなくなったし、考える量は増えたし、

同じ疑問を堂々考えることもなくなってきた。


今は、YouVersionという聖書アプリを、

書斎のスピーカーに無線接続し、

詩篇や箴言の朗読を流して聞いている。

全部は聞かないが、時々耳に入る句節があり、

ああ今わたし聞いているなと思う。


何もしない、というのは仏教にもあるのを知ってはいる。

これがキリスト教にもあるのだ、という共通性は面白いことだと思う。

自分の力で何かしなくては、という考え方を捨てたところに

人生が開け、悩みが消える穴があったとは。


わたしはおそらく、今後ずっと、もう何もしない。

自分の力も信じない、捨てる。

心を重要視し、頭を軽蔑する。

そうすると、思考が自由になり、つまり次第に全て自由になる。

これが間違った道であるはずがないと、今は思える。

今日、例の事件があった場所を訪れた。

駅ビルの屋上から女子高生が転落し、地上で女性にぶつかり、両者が亡くなったという事件だ。

わたしはニュースを見ないが、全国向けに報道されたらしい。


現場では、大きめのぬいぐるみが数個と、3束の花が献花されていた。
地元だからか、聞いて知っている人は多いようで、
通りすがる多くの人のうち、3秒に2人くらいの割合で、
話題にする人や上を見る人、立ち止まり考え込む人がいた。
良識のある会話をする若い夫婦もいたし、
気の毒だという顔で釈然としないまま宙を見る中年男性もいた。

その屋上はデッキテラスになっているが、
今日は閉鎖されていた。
案内板によれば、しばらく閉鎖するという。

なぜわたしがこの場所に行ったかといえば、
自死するとその後どうなるのか、ということを知りたかったためだ。
わたしは人が現実に自死した経験がない。話としてしか知らないためだ。
現場は血の色ひとつなく綺麗に清掃された後で、
小雨で水たまりができているだけで形跡は何も無かった。

わたしにとって、海馬が鈍麻した20年間は、
自死欲との闘いだったという側面がある。
刃物を持って逮捕された20歳、ネクタイで首を括った27歳の3週間、
薬を大量に飲んだが知識がなかったので助かった経験、
川沿いの歩道で早朝の静かな時間に石壁で後頭部を13回殴打したこともある。

そういう過程経験から、わたしは、自死を許していない。許さない。

自死しないで、とは言わない。
ただ、自死するなら、自死した後に誰にも何の迷惑のかからない方法で、
無論、生きている、生きようとしている、生きるために努力している人を
決して一人たりとも巻き込まずに、
死後に残された人々が心を病まないくらい完全に納得できるような文書などを残した上で、
慎重着実にその方法を実行したらいいと思う。
自死するためには、覚悟だけでなく、相当の勉強と準備と倫理観が必要なのだ。
自死とは人を殺すことなのだから。自分という人をであれ、殺人の大罪である。

今回の女子高生は、17歳だったという。
要するに、両親に大切に育てられ、しかし何かのはずみでその望みが絶たれ、
これから経験しなくてはならない生活や勉強や仕事のことなど忘れ、思考の外に放り投げ、
大変安易な手段として、憧れだったのかあの商業ビルの展望デッキまで向かったのだろうか。
絶望しているのがこの世界で自分だけなのだとでも思い上がって、
絶望と付き合っていく人生など選ばず、絶望から救われる人生など考えも思いつきもせず、
死ねば楽になるなどとでも空想したのだろうか。

わたしは言いたい。
その女子は、地上に頭部がぶつかった直後、
わたし、こんなはずじゃない… って十中八九思ったはずなのだ。
なぜなら、突然死ぬためには、想像しているより遥かに重い苦痛を味わうことが必要なのだ。
今見えているビルや灯りが消えて見えなくなる、そんな程度ではなく、
意識が潰れるのだ。この意味がわかるか。

見えている景色を見ているわたしの感じ、そしてその感じを支えている存在感のある身体の感覚全部が、
何もなかったかのように、平たく潰れるのだ。
仮に身体がそれほど損傷しなくても、
意識も感覚も身体の存在感も全て、平たく潰れるのだ。
これはそう簡単に想像できるものでない。

なぜわたしがこう言えるか。
先に言った、13回の後頭部殴打の経験から推して知ったのだ。
わたしは、川縁の、石が敷き積んだ壁に、直角に座って、
全身の力で勢いをつけて、後頭部を石壁に殴打したことがある。
2回目で、打ち所のためか、意識がまっしろになった。
ただ、血液のような浸透を感じ、再び意識が戻った。
5回を超えると、もう打ちつける自分にとって、自分の身体は単なるモノとなり、
淡々と殴打するのだが、当然自分自身の意志も消えていき、
13回で力尽きた。2時間くらいそこで座った姿勢のままだった。
小雨が顔の肌を当たった、そのうすらある感触が、わたしがまだ生きていることを伝えた。
要するに、わたしは死ねなかったが、死ぬためには、
この何十倍もの苦痛を、わたしの頭蓋に与えなくてはならないと知ったのだ。

意識が平たく潰れるのは、おそらく、着地した瞬間だけだろう。
真っ白になるはずだ。そして、意識が戻った頃には、
それまでの自分らしい意識の構造は何かしら壊れているだろう。
今回の女子は、出血が多かったというから、意識は戻らなかったか、
暗いままの濁った薄っぺらい意識の中を、1時間くらい、周囲から聞こえる音に囲まれて、
血液のどくどくした流れと、伴う激しい苦痛、それを感じるわたしはどこにいるか、
それら意味もまとまらないままわからず意識がすうっと消えて、亡くなったのだと思われる。

警察を動かしたのはまだしも、
通報者や目撃者が目にしてしまった。
そして何より、突然ぶつかられ、意識を失い亡くなった女性と、一緒の2人の友人に対し、
その女子は殺し、傷つけもしてしまった。
悪意はないとしても、金曜夕方なのだから誰かにぶつかること、さえ想定しなかった。
越えられる柵がある場所がそこしかないことを確認した後、止まることもしなかった。
交通費が多少嵩んでも、自宅に帰れたはずだった。
わたしは、許されない。と考える。

わたしは、この20年で自死を意志し決行しようとしてきた自分を、今も許していない。
わたしはわたしを許していないのだ。
わたしはもう決行する意志など毛頭ない。力尽きている。
そうではなく、生きるのが楽しくなくても、苦難があり苦痛がどんなに多かろうが、
生きなくてはならないと考え、自然と自分を守るようになった。
今のところ、常識的には人として非難されるような守り方も実行してしまっている。
でも、そうであっても、生きているのだから、生きなくてはならない。

両親に育てられたのと同じくらいの生活を、自分で再び構築するには、
それなりの苦労とか必要だ。
勉強したり、仕事を得て覚えたり、嫌な仕事も少しはやることにはなるだろう。
そうして両親が与えてくれたような生活ができるようになった後で、
それでも絶望して死のうと決めたのなら、
それまでに培った倫理観をさらにもっとよく考えて、
それでも死ぬのなら、その倫理観に合う方法で、死んだらいいとわたしは思う。

そうしても、その練りに練り上げた方法であろうと、
死因になるほどの外傷を負った後は、
わたし、こんなはずだったの?
と絶対に思うから、このことをあらかじめ心しなさい。
死ぬためには、相当強度の苦痛を与えなくては、死ねないのだ。
それほど人体は死ぬために脆くはできていない。
よく考えておくこと。とわたしは忠告する。

生きてほしい、なんてわたしは言わない。
死ぬならば、生きている人を決して一人も殺しも傷つけもしない方法を、
綿密に検討し、周到に準備してから、
それでも迷惑をかけないと考えるのであれば。という条件をつける。
要するに、それほど命の意味が消え、無かったことになり、
生まれた意味も生きていた形跡も何も無かった。
と現実にするために、考え、生きてきた、程度の趣味、美学、教養だった。
と弁えた上で、自死はある。
少しでも迷ったら、まだ生きなくてはならない。
知らなくてはならないことなんて、
情報や学識でなく心に持つべき知識なんて、
思いもしないほどまだたくさんありすぎるほどあるのだから。
生きるためであろうと、それが死ぬためであろうと。
3章にきた。冒頭からかなり急進的な問いが書いてある。要するに、今の世の中のように、お互いの感じ方や意見を、別にどれが正しいとか主張しないで、自由を尊重し譲り合って暮らしている多くの人々の生き方を、ひとつの生き方だとしてまとめている。そう生きることが難しいからこの本を読んでいるのに、著者はどうやらわたしの動機をかわしていくようだ。本当のことを知るととても力強く生きていける予感がしないか、と著者は誘う。まあ、そうだろう。そして、本当のことを知るためには、正しく考えることが必要だと。正しい、ということが、自分ひとりに正しいことではなくて、誰にとっても正しいことだと、わかるだろう。と著者は問いかけるのだが、わたしはわかっていない。自分ひとりで正しいと思っているだけで、誰にとっても正しいことなんてあるだろうか、とわたしは本気で思っている。この章はどうやらこの話題らしいから、続きを追おう。
誰にとっても正しいなら、互いの正しさを主張し合うことはなく、自分の自由を主張することもない。だから、誰にとっても正しいことを知っていること自体が自由なことだ、と。わたしはこれもわからん。わたしは正しさの議論になると、わたしが意見したことはことごとく訂正され、わたしが自由を主張しなくてはならなくなり、それはとにかく潰されてきた。そんな人生だった。高校でも、学生時代も、会社でも、教会でも。誰にとっても正しいことなんてあるだろうか、と、そうわたしが思っているから、わたしは爪弾きにされてきた、という論理は見えるが、要するにわたしが本当のことを少しも知らない、と著者は言いたいんだろう。仕方がない、本当のこととは何を指していて、著者は何を言いたいのだろう。わたしはどうせいつも間違っていて頓珍漢で、自分が楽しいこともわからず、生涯を棒に振るような人間だけれども、本当のことを知れば何か変わるんだろうか。
生きていることが素晴らしい派とつまらない派、それを仲裁する派の話に本文では戻った。そこに、生きていることがわからない、と意見する人が現れた、という話になった。生きていることがわからなければ、それが素晴らしいともつまらないとも思うことができないのでは、と。わたしはこれは当然と思うし、わたし自身に一番近い意見に思った。わたしもわからないから。で、この意見は、著者に言わせれば、自分ひとりに正しいことではなくて、誰にとっても正しいことを考えようとする考え方であり、最も大事で必要なものだと評価している。そうなんだろうか。この彼だって、自分にとって正しいことを考えているだけではないの。
素晴らしい派も、つまらない派も、生きているということを考えないで発言しているから対立するのだ、と著者は指摘する。そうかなあ。考えていると思うけどな。それで、どちらの側にも正しいことを考えようと著者は指南する。けだし、わたしには、あの彼の意見も、第三項を提示しただけで、対立が二項から三項になっただけだと読んでいる。彼だって、まだ思っているだけだ。
この彼の意見がわからない人のために、なぜわからないのか、著者は解説している。わたしにはこの解説はよくわからない。それで、彼のことを、当たり前に思われやすいことを不思議だと思うから、彼はそう思うのだ、という話にしている。当たり前のことが不思議に思わないか、どういうことなのか本当のところを知りたいと思わないか、と問うている。そして、この不思議さを忘れてはいけないと言っている。それを一人で考えることが生きることだとも。
この、誰にとっても正しいことが、皆が正しいと思っていること、ではないことがわかるだろう、と問いかける。大勢で思ったって正しくないことが正しいことになるわけない、と著者は言っているのだが、わたしはそうではないと強く主張したい。大勢が正しいと思ったら、それは正しいことになる。いや、それこそ正しいということではないのか。誰にとっても正しいことを自分ひとりで考えていく、という行為の矛盾性を著者は考えていない。なぜ誰にとっても正しいなんて、誰にも問わずに思えるのか。自分ひとりで自分が正しいと思っているだけだから、誰にとっても正しいことを自分は一人で考えているんだ、ということでしかないんじゃないのか。そりゃ自由だろうよ、自分は誰にとっても正しい考えの持ち主だと思えるんだから。
まずいな、ここでこの章が終わっている。要するに、著者が考えると名付けた章で言いたかったことがこれだ、と読んでいいのだろう。考えることとは、独断の正しさを胸に秘めながら、ひとり考えて生きる自由のことだ。ということになるがこれでいいのか。ちょっとこの本を信用ならなくなってきた。わたしのことを、考えていない、と言っておきながら、わたしは考えていることになるではないか。少し言葉のあやを感じる。なるほど、次の章は言葉についてであるらしい。仕方ない、続きを読むしかないな。
この章を開いて、生きていることが素晴らしいか、それともつまらないか、という2人が話し合うとしよう、と仮定する話が載っているのを見届けて、この本を閉じて3日間読まなかった。なぜかといえば、そもそも生きているとはどういうことかを考えたこともないからであった。それで、なぜ生まれたか、と問うと、両親を思った。この「思う」は前の章で使われた「人を思う」の意味だ。
父と母は、実家も近所で、同じ高校にいた。その頃にはすでに結婚を考えていて、卒業とともに上京し同棲を始めた。単純に考えても、父が大学へ合格する必要があり、母も勤務先に採用される必要があったわけだから、高校在籍時に相当に勉学に励んだと考えるべきだ。母が高校の時に使ったらしい辞書を、わたしが子供の頃に見せてくれたことがあった。母は辞書の最初のページに「ich liebe dich」と小さな母らしい文字で書き綴り、その下には詩が書かれていて、薄い紙が貼られて隠してあった。子供ながらに聞くと、母が恥ずかしそうにしていたので、父がベートーベンの歌の詞であると教えてくれた。その頃の2人は、わたしには幸せそうに見えた。
在宅仕事を終えたわたしはその3語で検索し、ヴンダーリヒの歌声を動画で聞いた。泣いた。高校生の2人にはすでに愛の観念があったのだ。歌詞も検索した。2人で心配事を相談し気持ちを分かち合った、とあるのを見て、わたしは家を出て、夕方の川沿いの道を散歩した。両眼が涙で濡れた。わたしは高校を絶望し中退し、20歳で自死できず逮捕された。恋の思いも経験も何もなかった。しかし、両親は高校生ですでに2人の仲を育み、苦学し上京し就職し、わたしを産んだのである。わたしは、自分の選んだこの10代20代を自分に許せないと思っている。それは、自分へ犯した罪であり、その義務は自分への償いだと考えてきた。しかし、わたしが犯したのはわたしだけでなかった。むしろ、わたしではなくて、両親に対してだった。わたしは高校時代を自分で台無しにし、大学に入って命を喪失させようとさえした。それは高校から愛を育んでいた両親に対する重罪だ。わたしは人を思うことがなかった、と前回書いた。わたしはまず両親を思った。そして、わたしが重い負い目を持っていることを知った。
帰宅してしばらくし、もう一度この章を開いた。生きているということは素晴らしいか、つまらないか、と互いに分かれて議論するようだ。わたしはこの本が10代に向けて書かれたことを考え、当然の配置として、高校生の両親は素晴らしい派、高校生のわたしはつまらない派だと仮定して続きを読んだ。この仮定は実際からそう外れていないだろう。素晴らしい派の根拠を読んだ。つまらない派の根拠も読んだ。わたしの両親はうるさくなく優しいと思うけど、わたしには友だちがおらず、というのは友人になろうとしてくれた人は何人かいたが、わたしが友人を作ることが困難だったためだ。意地悪な人は滅多にいなかった。学校の勉強はつまらなかった。でも面倒だったのではなくて、わからないことが多くあり、学校の授業程度の内容はつまらなかったので、図書館で本を読んで一生懸命考えていた。わたしが生まれてこなければ、こんな経験はできなかったが、わたしは生まれてこなければよかったのだ、と今になっても思う。要するに、わたしが生きていることが素晴らしいともつまらないとも思わないのは、こういう両方の絡みあったところにいたためなのだ。中高生の頃から。
その後に、反論が載っている。そしてその後、喧嘩になって、中立意見の仲裁が入るだろう、なんて話になっている。そして、その中立意見である、個人の自由でいろんな意見があっていい、という意見は正しいのか、という問いに移っている。自己主張できることが自由だ、と教わってきたが、それは自分の思ったことを人に言うことでいいのか、と著者は問うている。自分が間違っていると思うことを人には言わないものだ、だから人は自分で正しいと思っていることしか主張しないのだと。でも、自分では主張しても、それが本当は間違っているということもある、それは恥ずかしいから、主張などしない方がいいという判断もあると。だから、本当に間違っているか確かめるために、考えるのだ。と著者は言う。もし君が知りたいと思うのなら、と。
わたしは知りたくもないことは多くある。知らなくてはならないことだけでも山のようにあるから、それを全て知ることはできないと諦めているからだ。でも、やはり知りたいこともある。つまり、わたしの考えが間違っていると思うから、本当のところはどうなのか、と知りたいことが、やはりいくつもある。その中の一つが、なぜわたしはわたしを許せないのか、ということだ。そして、その問題を緩めて和らげる糸口が、両親を思うことであるのは確かだ。わたしは両親に生まれ育てられてきたのだから。両親の精神性も受け継いでいるだろうし、わたし自身や妹たちを見て思うけど、多分高校時代の両親は校内でも美男美女の方だったろうなと思う。計画通りに上京が叶ったのも2人の間では成功譚だろう。
わたしは18歳の時から20年くらいの記憶がほぼない。妻と結婚した前後の記憶もない。大学にいたはずの時間も、教会で受洗したはずの思いも、思い出すことが叶わない。おそらく記憶が作られていないのだろう、18歳の冬に海馬が鈍麻したのだから。今も、暑さ寒さや、空腹や性欲や眠気を覚えにくく、自律神経も乱れやすいので、生きていることが薄く感じられる日々なのだが、それでも生きていかなくてはならないのは、わたしの両親がいて、妹たちもいて、彼らに罪の負い目があるからだ。要するに、今わたしが自死しようものなら、その罪を最大に強め、親不孝もいいところ、悪の頂点として記憶させてしまう。そこまでのことをわたしはする気がない。妻の面目も立たないし、教会も悲しむだけだろう。
本では、思うと考えるの違いについて、考えられるようになろう、とある。人は自分の思いが正しいのか常に考えることをする。感じたことも、その出来事がそうなのか、自分がそう思っただけなのか、どちらが正しいかと考えると、自分の思いの正しさを考えざるを得ない。本当にそうであるなら正しいが、自分がたとえ心から正しいと思っていても、本当にそうなるわけではないからだ。そして、本当に正しいなんてどうやったらわかるか、という問いに移る。正しいとは何か、という問いだ。自分の思いが正しいか考えることで、誰にとっても正しい尺度を持てるようになる、と。考えることで、それが手に入る、と著者は断言する。そうしてようやく自由に考え始められるのだ、と述べられてこの章は終わる。
わたしはまだ自由に考えられていないと感じる。いろいろな問題を、さまざまな語彙を使って書いて話せるけども、著者の文章から見える「自由に考える喜び」というのをわたしは体験も習慣化もできたためしがない。いつもやはり苦悩しているだけだし、誰にとっても正しい尺度なんてない、としか考えつけないでいる。だから、考えることでその尺度が手に入る、というのは正しくないと思える。ただ、わたしの青春がわたしにとっては罪であると思うが、両親や妹にはそこまで思われていないかもしれない。だから、わたしの罪はわたしの中だけのものかもしれない。正しいところはわからない。著者は考えることを勧めている。いや、考え続けることを勧めている。わたしは考え続けなくてはならないし、次の章も読み進めなくてはならなくなった。どうやら、誰にとっても正しい、とは何か、について書かれているようだから。
わたしはもうすぐ40歳の中年だ。生きていることは、別に素晴らしくはないが、つまらなくもない。価値や正負の感情や陽気陰気で測れるようなことに興味がないままずっと生きてきた。もう人生も長くて半ばを過ぎた頃だし、年上の先輩方の生き方を多くみる機会に恵まれたので、これからどうなるかなんてもうあまり思わない。
その、価値や正負の感情や陽気陰気で測れることに興味がないのは、わたしが言葉にあまり興味を持てなかった理由でもある。自分がそう思っているからそうなっている、という世界と自分の仕組みが、人間個人の限界なんだと、わたしは18歳で知ってしまった。だから、わたしが思うことはわたししか思えないことなのだと、合点してしまった。それゆえ、素晴らしいともつまらないとも思えない。そして、これが別に不思議でもないし謎はない。当然のことだと思っている。
自分が思う、ということが不思議なのだと、この本は始まっているけど、思うってそんなに素晴らしいことなのか。むしろ抑えるべき、忌み嫌うべき、捨てるべきことではないか、と、わたしは子供の頃から考えていた。思うことがわたしを迷わせ、学校から外れさせ、先生に目をつけられるのだから。でも、この本の著者は少し違った意味で「思う」と言っている。人を思う、という意味で、だ。
わたしは、両親を思ったことがあっただろうか、と問うと、ないと答える。先生や友だちのことも、思ったことがない。ましてや、自分を思うこともあまりに乏しく生きてしまった。要するに、わたしは「思う」ことをほとんどしないでいま人生の半分を過ぎようとしているのだ。だからか、著者の不思議さを述べた段落の意味が、わたしには不思議に読める。つまり、思うことも考えることもなく、意味がとれない。
楽しいことはたくさんあった。文字や記号や形が好きだったし、ということはすなわちすべてをそのようにみることができるので、大体のことはなんでも好きになれた。これは別に無理にそう思うでもなく、大体のことのそういう面を好きだと思うことができた。でも、つまらないことはあった。そういうことからは避けて通ってきた。それで今まで生きてこられたのだ。
思うのは自分だけだ。これは当たり前すぎて、わたしはずっとそうとしか考えてこなかった。でも、思う内容を自分で操作できる、という発想には、今の今まであまりなったことがない。実際にとても大変なことだ、と著者も述べている。いつかきっとできるはずだと。わたしは未だできていない。わたしは頑固なのか、愚かなのか、どちらかなのだろう。
それで、本当のところはどうなのか、という問いも、わたしには2つの意味がありつづけた。1つは、人間がどう思うか。もう1つは、真理はどうなのか。わたしはこれを小学生の早い時には考えていた。本当はどうなのか、と初めて口にしたのがいつだったか、両親に聞けば覚えていると思う。でも、それは不思議とは違う。知りたいとも違う。知っておかねばならないという思いだ。義務だ。知って、それに自分を合わせなくては、わたしは本当ではない、という考えなのだ。中高生の時は特に、ずっとそうだった。だから、思うということが不思議だと思わないし、知りたくもない。でも、わたしは知らなくてはならないと思うから、この本を読み進めようと思っているのだ。
著者は悩むと考えるの違いをはっきり述べている。この定義に沿えば、わたしは悩んできただけで、考えてこなかった。少しも。どうすればいいかずっと思っていただけで、どういうことなのかわかるなんて経験は、ない。本当にわかる、なんてことが人間にあるのだろうかとずっと思って生きている。なのにこの章は、生きているってどういうことなのか考えろと言って終わっている。どう生きたらいいかではなく、どう考えたらいいかでもなく、生きているってどういうことなのかと自分で考えろ、と。
生きていることがなぜ不思議なのか、という問いにわたしはなる。生きているって何だ、と思う。わたしは生きているに違いないけど、心臓が動いていて意識があるうちの、一定の時空間を占める身体の存在状態、としか思わない。そこに意味や不思議さがあるのか。わたしがここに感想文を綴れるのも、わたしが生きているゆえであるけど、それのどこに不思議さがあるのか、わからない。不思議ってなんだろうか。考えも思いもできないということではないのか。なら、わたしは問いを立てることができても、考えも思いもできないのだから、わたしも生きていることが不思議だ、と思っているのだろう。それが、知りたくなるのだろうか。生きているって何か、知りたくなるのだろうか。問いを立てたが、それを知ろうとは、わたしは思えない。それを考えるなら別の問題を考えたい。
考えてもわからないんだろう、とわたしが感じる問いは、わたしは考えないできた。それは一般に言われる答えがない問題とは等しくない。わたしも、答えがない問いをわたしには答えが出せると思って、考えてきた。それで、答えが出せた問題も確かにある。出せなくて結局何もわかった気がしないし、むしろ初めよりわからなくなった問題も少なくない。でも、その問題群の中に、生きているってどういうことなのか、という問いはなかった。その不思議さがあまりわからない。普段生きている身体や生き物を見ているし、それがなぜ不思議かと言われてもわからない。瓶の中の界面活性剤の分子たちの前で、君らはわたしとそう変わらない、と何百回語りかけたことか。
要するに、わたしは物質であり、生き物もそうであり、そういう意味であまり違わない。だから、生きているということと、そうでないものとの間に、あまり違いもない。わたしは普段からそう思って生きている。それだから何も不思議だと思えないのだろう。素晴らしいもつまらないも、路面の石や風に揺れる枝に聞けば、別にそうも思わないと返ってくるに違いないのだから。