この3日前から,いろんな動画をYouTubeで見るようになった.

 

統合失調症でAV女優になった巨乳の人や,

死刑囚と結婚して純愛を貫いた人や,

報道されるような事件を起こして無期懲役で服役中の人とか.

要は,すごく極端で変わった人生を送っている人たちの話だ.

 

なんだかどれも先入観なしで見られる.

涙であふれる.嗚咽せざるを得ない場面もあった.

ドラマ性やストーリーとかじゃなくて,

ただその人がそうやって今も生きていることが,

今の私にすごくフィットする感じがする.

 

先日,私の中で記憶が一部回復してきたと書いたが,

その十数枚以降も,やはりいろいろな記憶が断片的に戻ってきた.

しかし,私がした私の記憶としては不十分な情報しかなく,

今,私は私に対して信頼や自信を失いつつある.

 

私は何をやっていたんだろう.

今はそんなに悪いことはやってない,と信じているけど,

そうとも言い切れない現状があり,

私を信じ切れなくなっている.

 

それで,私よりも変な人生を生きることになった人で,

幸いそれを語ることに恵まれた人の話を聞くようになった.

私も十分に変な人生だったが,記憶が乏しいので乏しくしか語ることができない.

 

私とは違った理由や経過で,

私とは違った意味で変な人生を歩んでいる人たち.

決して多数派にはなりえないが,

この社会で確かに生きている.

だから私も生きていていい,と思える.

私が私を信用できなくなっても.

 

そろそろゴールデンウィークを迎える.

妻と温泉に行くほか,知人と出かける用事などで埋まっている.

今の暮らしはすっかり人に恵まれた.

 

それでも空いている日に,「巡礼の旅」に出たいと考えている.

育った街,予備校や大学時代の街,新卒初任や転職先の街.

ちょうど記憶が消えていると感じている時期にいたはずの街だ.

 

きっと何か蘇ってくるものがあると期待している.

やはり記憶に一貫性がないと,私は私を信用することができない.

私はどんなふうに生きていたか,

確かな記憶を持ちたいのだ.

私が記憶が抜けている原因を,海馬の障がい,とあたりをつけて,

YouTubeで「海馬 記憶障害」で検索し,

海馬のリハビリ方法の動画を何十本か見ました.

 

認知症の人向けのものが多いですが,

海馬を鍛えて記憶を取り戻す系の内容で,

短い動画が多かったです.

 

3日くらい訓練してみました.

私はやると決めたらエクストリームにやってしまうので,

3日めの夜にはわりと驚くほど変化がありました.

 

ベッドに横になって,目を閉じると,

なんか知らない画像が十数枚浮かんだんですね.

でもこれらはどれも,私がその場所にいた感じのある画像で,

映像ではなかったです.あくまで一場面の肉眼視界って感じでした.

 

写真や本や映画やテレビなどで見たというより,

やはり私が実際その場所にいて見えていたという感覚が伴うことが

なんか不思議でしたし,同時に怖くもあった.

 

なぜなら,それがどこなのかわからないからです.

 

例えば,真っ暗でおそらく深夜の森の中の山道で,自転車を押している記憶とか,

夕方ごろのおそらく秋でしょう,刈り取った稲穂の田んぼの田舎道の記憶,

夜にちょっとメルヘンな家並みの道を眺めて歩いている記憶,

雷が落ちそうな紫色の空の下の,工場のような場所の近くの林の道の記憶,

そういう,ここはどこなのかわからない記憶,しかし私が見た感じのする記憶が,

次々浮かび出てくるのです.

 

どこなのかわかる記憶もありました.

和歌山の濃茶の木材でできた建屋の街並みの記憶,

滋賀の琵琶湖近くっぽい大学のキャンパス付近の記憶,

雨が降りしきる真夜中の新宿界隈の交差点を傘もなく歩いている記憶など.

 

怖いと言ったのは,

だっていつ誰と行ったのか,どこに帰ったのか,

どうやってそこまで行けたのか,そこまで行くお金があったのか,

そこへ行っていた間,学校や仕事はどうしていたのか,

何をしに,何のために,その場所に行ったのか,

そういう記憶が抜けているからです.

 

すごく怖くなります.

私が今ここにいるのだから,

生きて帰ってこられたのは確かですが,

それぞれの場所で何をしてきて,そもそもなぜその場所へ行ったのか,

そういうことが何もわからないのに,その場所へ行ったのです.

 

そもそも,私には和歌山に行ったという認識はなかった.

滋賀にも行ったことがあるとは思いもしなかった.

なんで大雨の中,未明の新宿を傘も持たず歩くことになったのか.

 

わけがわからないです.

 

やはり,記憶に一貫性があることは,

私を維持する上でとても重要なことだと思います.

ふつうそうなると思うので,こう思える人は少ないかもしれませんが.

 

3日間のリハビリで十数枚の記憶が断片的ですが戻ったのですから,

これからリハビリを継続していけば,

これらの場所の記憶の謎を明らかにしていけるはずです.

 

なんだか事件の捜査のような,

ミステリーのような感じの話になっていますが,

私の感覚としてはまさにそういうもののようです.

事実は小説より奇なりってことですね.

今日は教会で礼拝に出席しました.

讃美歌はまだ最後まで歌えませんでした.泣いてしまうので.

説教でも涙を流してばかりでした.

 

帰りに,いつもお世話になっている美容室の前を通りかかった時,

あぁここは新婚の頃,妻と生活していた場所だ!

ということに気づきました.

同時に,そこで過ごしたことが何も記憶に残っていないことに

絶望しそうになりました.

 

礼拝前に教会周辺を散歩しました.

歩きながら,若い頃を思い出そうとしました.

18歳までのことは,考えていたことも思い返せるのですが,

脳が壊れ,海馬が痺れ始めた18歳ごろから,

その痺れが消えた30歳ごろまでは,

このところずっと思い出そうとしているのですがかないません.

浪人,大学,大学院,就職,転職,受洗,結婚,新婚生活.

その全てが,ただの文字であり,内容が何もありません.

 

最近,妻の顔がありありと思い出せるようになりました.

断薬して1ヶ月くらいになります.

薬が壊れた海馬に作用していたのでしょうか.

今は自然と思い浮かべることができます.

 

そこでふと思ったのは,

私,実は,実家の家族の顔を覚えていないんですね.

父は正月に会ったので,まあ思い出せるのですが,はっきりはしていません.

母や妹2人は,ぼやっとしすぎていて思い出せず,

街を歩いている人と区別できない感じです.

 

大学や大学院時代,最初の職場や最初の転職先,

やはり海馬が痺れていた12年間に出会ったはずの人たちのことは,

名前は覚えていても,顔や姿や声や,その人の特徴はわからないです.

 

最近は逆に,顔や服装はよく覚えているけど,

名前をあまり正確に覚えていない,

という切り替わりを感じています.

記憶の様式が変わってしまった印象です.

 

私としては,結婚や新婚生活を思い出せないことが特に悔しい.

その分,これから妻と過ごす時間を大切にしていきたい.

また,近々実家に帰省し,家族がどんな顔だったか確認してきたいと思っています.

断薬3週間.

私は20年前,統合失調症様症状を覚え,服薬により闘病してきた.

年齢からして破瓜型(解体型)に当てはまるが,

私の実感値としては,海馬の痺れが12〜3年間続いたことが主症状だった.

大脳辺縁系の辺りの両側がビリビリ痺れる感覚が30歳ごろまで続いていた.

 

2度,精神病院に入院したが,他の入院患者たちから,

ふつうに見える,とか,どこもおかしくない,と皆から言われたものだった.

実際,すごく冷静に客観的に自分を見る自分は保てていた.

 

海馬は記憶や感情を司る器官で,

そこが障がいされると統合失調症っぽくなることは研究で知られている.

また,海馬は大人になるにつれ曲がり具合が直角に近い角度まで開いていくそうだが,

そうならない人は自閉症的な特性を持ちがちだということも言われている.

 

私はおそらく海馬に異常があり,今も正常とはいえない気がする.

知能検査で2科目0点だったのも,海馬が正常に機能しなくなってしまったからだ

と考えるとわりと説明がつく.

 

と言うのは,その痺れていた12〜3年間の記憶というのがほとんどなく,

数枚の風景写真のようなものが思い浮かんでも,何の感興もない.

ちょうど大学や新卒社会人の辺りになるが,

何か学んだはずなのに,何も覚えてもいない.

 

普通に大学を出た人も,

学生時代に学んだことは忘れたよ〜

という人も結構いると思う.

でも,そういう人でも,誰とどこ行って遊んでいたとか,

何かに熱中したとか,文化の知識とか,バイトの思い出とか,

講義や勉強以外の記憶は豊富に残っていると思う.

多感な大学生活である.それくらいのインパクトがあるだろう.

 

しかし,私は,私がそこにいたかどうかも怪しい.

大学を検索して地図で風景を見ても,

私がそこにいた感じがしない.

もちろん,誰かと何かを話して何かしていたはずだが,

顔も姿も覚えていない.名前はかろうじて覚えている.文字だから.

 

何を語っていたか,何を聞いて何を考えていたか,

どこに行って何をしてきたか,

当時の同級生には悪いけど,正直,何も覚えていない.

 

だから,私はきっとわけわからんことを言ったり,

奇行ばかりの変人だったのではないかと,

不安に思うことがある.

私を知る人を不安にさせてもいただろう.

 

海馬の痺れが取れた30歳ごろからの記憶は何となくうっすらある.

薬が減り始めたことが大きいだろう.

それからずっと薬の量は減り続け,この3週間前に服薬が終了した.

 

今は少しずつ,今までのことを思い出そうとしている.

もし少しでも思い出されてきたら,それをより詳しく思い出そうとしてみている.

しかしやはりまだ,18歳の記憶までで止まっている感じだ.

18歳までわりと鮮やかで,30歳ごろからうっすらしている,

という感じ.不連続さがただ気持ちわるいが,そんなものでしかない.

 

今までは,私の人生というか私の作れた記憶は,こんなものでしかない

というのが私の中で当たり前で,

別に大した経験でもないかもしれない,もっと大変な病もあるのだから,

と素朴に思っていた.

でも,色々な周りの温かい人たちの話を聞いているうち,

やはり私のこの海馬の痺れからくる統合失調症様症状の経験は,

かなり大きな障がい,喪失なのではないか,とか思うようになった.

 

記憶は忘れたり無かったりすることで軽く生きやすくなる面はあると思う.

でも,楽しかった思い出や喜びの瞬間は,刻まれて忘れられないほうが幸せなのではと思う.

私には,後者の記憶がまっさらで消えている.何もなかったかのようだ.

私にも幸せを求めて生きる権利があるのなら,

これからどうにかしてこの障がい,後遺症を抱えながらも,

なんとかしなくてはと思う.

 

私の一生は何だったのだろう?

と老いて去る際で真剣に悩むような人生にしたくない.

でも,今のままではそうなる他ないように思える.

断薬し3週間が経過しました.

みるみる人間らしさが戻ってきたという感じで,

毎日新鮮で楽しいです.

いろいろ趣味が変わってしまって,自分でも驚いています.

 

日曜は教会の礼拝に参加してきました.

讃美歌を歌ってもあまり腕は震えず,

声も伸びて,嬉しかったです.

 

外食に行くようにしています.

週に2度は新しい料理を食べに行きます.

シンガポールラクサはおいしかった.

 

また,美白に凝り出しました.

ドラッグストアで10種類スキンケア用品を買い,

10日間でメラニンは綺麗に消えました.

1回買えば随分長持ちするんですね.

 

自分が人間だなと自然に思えるようになって,

私を大切にするようになりました.

 

例えば,頭髪を洗う時も,頭皮をただ洗うのではなく,

その頭皮の持ち主は人間の私である,と認識して洗うようになりました.

今までは単なるモノだったような気がします.

私はモノでなく人間なのだと,今では当たり前に思うようになった.

 

地域をよりさまざまな細かい場所まで

散歩するようにもなりました.

妻と毎日内容のある話をするようにもなりました.

 

自分を大切にすると,

身体や地域や家族や身近な人間を

自然と重んじられるようになるのですね.

 

統合失調症など深刻な精神の病にかかったとしても,

ご自分が人間であると認めることを忘れないでほしいです.


精神病というと,自分の最も大切な精神がおかされている気がして

自分が自分でなくなってしまったように感じやすいですが,

自分は依然として自分であり,

いつか病が終わった時,振り返ると

病んでいた時代の自分が現在までつながった形で

自分を認識理解できるようになります.


これが乗り越えたということです.

貴重な経験になります.

 

全ての人が精神病を経験するわけではありません.

精神病と向き合い,回復に向かって改善に努める時期にあるなら,

それは貴重な人生経験となって

回復した時の喜び,それ以降の重要な教訓を得られるでしょう.

 

悲観も喜びに変わります.

必ずです.

あるいは,そうしていくべき,そうなるべきだと思います.

せっかくの人間なのですから.

20年飲んできた抗精神病薬を飲まなくなって10日経過しました.

主治医からも言われたように,離脱症状がぽろぽろと出ています.

離脱症状について検索して調べてみると,多種多様あることがわかっているそうで,安心しました.

今回は私に起こっている離脱症状と,回復していることについて書きます.

 

離脱症状

・食欲低下

 今まではお腹空いた感覚もなく,食べても満腹感もなく,食べることが何も楽しくなかった.

 ところが,それまではぼりぼりあっという間に食べていたダークチョコレート100gが,

 今は2かけら(15gくらい)でもういっぱい充分と思うようになりました.

 食事量も減り,摂取カロリーも減り,体重も2〜3kgは減りました.

 

・泣く

 先日とんかつを食べに行きました.こんないろんな味がするのかと感動し泣いて食べました.

 その次の日カレーを食べに行きました.ここでもまた味覚の世界の深さに感動し泣きました.

 街を歩いていて桜が咲いていたり鴨が家族か仲間で川を泳いでいるのをみて涙が出ました.

 晩に妻が隣で眠っているとき何を思って結婚してくれたんだろうと思い泣きました.

 感動できるのは喜びですが,感じやすく泣いてばかりなのは何か変だなと気をつけるようになりました.

 

・それまでの記憶がなくなる

 20年間の記憶は乏しいものでしたが,断薬後のことはふつうに覚えていられるし自由に思い出せるので,

 全然別物という感じです.それで,今まで20年のことを思い出そうとしてみましたが,

 何も覚えていない,思い出せないという感じでした.

 でも,断薬後の出来事や思考や味や見たものは覚えていて思い出せるので,

 20年が空白だったような印象で過ごしています.

 

・あくびがうまく出ない

 これは離脱症状のリストにはなかったのですが,

 あくびがなかなか出てくれません.

 出したいのに1回で出切らず,5〜10回に分けてやっと出る感じです.

 1回に1〜2時間はかかるので,少し辛いです.

 これはあくびが20年自然に出ていないためにあくびの出し方を身体が忘れてしまっているか,

 あくびにかかる神経や筋肉の連携がまだうまく取れないかで,

 なかなかあくびには慣れません.

 

そんなものです.逆に,いいこともたくさんあります.

・感覚や思考が戻った

 感受性が強まっている時期というのはありますが,

 味がちゃんとわかるようになりました.

 音楽を聴いても感じ方の奥行きが自然になり,

 物を読んでも自分の意見や感想が自然と出てきます.

 思考できるようになってきたと言えます.

 妻と自然と話せるようにもなりました.

 

・記憶が戻った

 断薬後のことをかなり覚えています.

 思い出そうとすればかなり思い出せるようになりました.

 今までの記憶はどう足掻いても写真数枚のようなものでしかなく,

 本を読んでも1単語,人に会っても顔が消えている,といったものでした.

 今はすごく自由で豊かな内容をもち,自分がそれをどう思うかわかるようになったので,

 何していても人間らしくなったと思うし今までと違った意味で楽しいです.

 

・温まるようになった

 お風呂から出ると,身体があったまったなと思えるようになりました.

 今まではお風呂から出ると意識がぐらついて気持ち悪いだけで,

 入浴は苦行でした.

 今はただあったまった感覚があり,苦しさは消えました.

 また,歩くと自然と汗をかくようになりました.

 気温が高くない日でも汗をかくようになりました.

 歩いていて人間らしくなったと思えるので歩くのが楽しいです.

 

以下は番外編です.でも確実に起きた変化です.

・深夜お手洗いに起きなくなった

 深夜2時ごろに小水に起きていたのですが,

 これがなくなりました.

 単に水を飲む量が正常になったからだと思います.

 また,小水を我慢できるようにもなりました.

 

・デジャヴがなくなった

 今までは,ある時に意識にイメージがはっきり現れて,

 これがいずれ目の前で起こる感じがして,

 実際に目の前で起こることが30回以上続いていました.

 今考えてもなんかすごく不思議な現象でした.

 それが一切なくなりました.

 まあ少し気持ち悪い現象だったなという感想で,消えてよかったです.

 

・赤外線センサーが1発で反応するようになった

 トイレから離れると水が流れたり,自動ドアが開いたりするセンサーが

 1回で効くようになりました.

 今までは3〜5回繰り返してたまに効くくらいで,

 あれ私いないのかな?と思っていました.

 私を認識してくれるようになって存在に自信が持てるようになりました.

 理由は原理を調べてみましたが,わかりません.

 

そんなことで,断薬して泣いたり感じやすかったりで大変ですが,

それよりも人間らしさが戻ってきている喜びが上回っており,

いい時間を過ごせています.感じやすさに気をつけながらですね.

27歳で発達障がい(アスペ)と診断され障がい者になった私ですが,

当時の知能検査の結果を大事にずっととってあります.

お守りにしてきました.自分を知れるので.

 

別に公開しても何でもないので掲載します.

WAIS-IIIです.

 

 

1点というのは,20問中 0問正答の得点です.

1問も正答できなかったんですね.

それが2部門もあるのです.

すごいものです.

 

当時の検査担当の人に聞きましたが,

これだけの凸凹の差は初めて見たと仰っていました.

 

後で調べたら,

「配列」というのは漫画のコマ割りを並べ替える問題群でした.

順序に正しさなんてあるのでしょうか.

「完成」は絵の中で不足するものを指摘する問題群だった気がします.

絵に不足するものなんてあるのでしょうか.

概念自体分からないです.

 

低得点の人は,知能の障がいがあり困っているそうですが,

私のように1問もわからなかった人は,

何か概念自体持てない器質的な理由があるのでしょうか.

 

それが2部門も存在する私の脳は,いったいどうなっているのか.

というか,皆さんはどんな考えで普段生きているのか.

私は概念がなく免れていて自由な気もしてくるほどです.

 

ティーンズの時,夏目漱石の「坊っちゃん」を読みました.

最初から最後まで1文字たりとも逃さず,2か月くらいかけて読みました.

わかりやすいストーリーだそうですね.

日本文学の傑作だと言われていますよね.

 

私は確かに読んだのですが,

感想は「坊っちゃん」でした.

坊っちゃんという5文字が思い浮かぶだけでした.


念のため.文字が読めないとかではありません.

一応私は中2で漢検1級に当時史上最年少で合格した人間です.

言葉の意味にも詳しい方だと思います.

今思えば,この合格も何か変な特徴の現れだったのかもしれない.

 

この事実が衝撃となるのは,大学の専攻を父に選んでもらった頃です.

私は漢字も言語も論理や分析哲学も好きでした.

明らかに文学部に行きたい人でした.

 

しかし,この「坊っちゃん」感覚を経験していたので,

自分の思いを折って,父の勧め通りプログラミングを専攻することにしたのです.

結果,今はなんとかプログラマで働けています.

大学でプログラミングの単位は取れませんでしたが.

 

私は自分の知能に基づいて,これからもっとよく自分を知りたいと思っています.

若い時に悩みに悩んだ理由が,すべてこの知能検査結果に詰まっていたからです.

私の悩みはすべて知能で説明できます.

私はそういうことで悩んできたのですから.

 

知能で人は決まらないと言ってくれた人もいました.

でも,私の困難の特徴はこの知能の凸凹なのです.

私はもう無理して心を壊すことがないように生きていきます.

そのためにも私はもっとよく自分をわかるようになりたいのです.

昨日は診療日でした。

主治医に相談し、症状が消えて3年以上経過することから、

抗精神病薬の処方を終わりにしてもらうことになりました。

 

20年間服用し続けた薬と、ようやくさよならです。

うれしいです。

 

主治医からは、一応、離脱症状についての説明と、

統合失調症で入院した時の前兆を忘れないこと、

発症中の感覚を覚えていて説明できることを確認されました。

 

今の私は、何年前にどんな症状だったか覚えています。

発症の前兆も説明できましたし、どんな感覚だったか大体覚えています。

 

帰りに、父と妻と知人にLINEやメールで報告しました。

歩いていると、心が戻ってきたのを感じました。

私に心がある、と今は言えます。

足が歩いているのではなく、私が歩いているともう言えます。

 

断薬5日目、私が戻ってきています。

 

これからが人生の本番。

そう思っています。

「離人感」とか「離人症」って少し怖い言葉に見えますね.

検索しても,あまり具体的にわかるような情報ってないですね.

そこで,離人感を20年経験している私が

当事者の表現で情報提供します.

質問あれば回答しますのでコメントください.

 

Q.離人症の経歴は?

 18歳で破瓜型の統合失調症を発症してから,20年間,

 ずっと自分がどこにいるかわかる感覚がもてません.

 多分,20年間抗精神病薬を服用してきたためだと思います.

 症状は長く収まっているので,

 今度の通院で断薬を相談してみようと思っています.

 

Q.歩くとどんな感じ?

 足が歩いているという感じです.

 私が歩いている感じがないです.

 足が勝手に動いている感じとも言えます.

 なぜ歩き出せるかはわかりませんでした.

 でも,歩くことは普通にできました.

 1時間くらい歩いていると,お腹の辺りで

 冷たい水のようなものが数滴流れているのを感じます.

 汗かもしれません.

 これが私の身体の唯一の感覚でした.

 なので長く歩くのは好きでした.

 比喩的には,心や身体が冷凍保存されているようです.

 運動すると少し解凍が始まるといったことです.

 冷たいとか,冷凍されている身体,みたいな感覚はないんですけどね.


Q.温度感覚は?

 あまりないです.

 暑いとか寒いで困ったことはないです.

 不快感自体ないです.

 快もないです.

 エアコンを買いましたが,冷房や暖房を実際使ったことはないです.

 温度に関して季節感がない生活でした.


Q.疲労感は?

 ないです.いくら動いても疲れがないです.

 時々,それって危ないことなのではと思っていました.

 若いからと思ってきましたが,違うような気が今はしています.


Q.痛みは?

 例えば,切り傷をした時は,

 皮膚の表面がひりひりする感覚はありました.

 傷口に空気が触れているという感覚です.

 でも,1時間もすれば忘れます.

 また,時々勢いよくぶつけたこともありましたが,

 別に痛くないので放置していると,

 青や紫のあざができていたりするので,

 ひょっとしてぶつけても痛みがないのだろうと思います.


Q.時間感覚は?

 曜日や時刻は,必ずスマホを見ます.

 わりと頻繁に確認しています.

 1日の中で時刻を気にする感覚はないです.

 電車も,乗れた時刻に乗って出勤します.

 いつも少し早めに出発しているので遅刻はしません.

 時間のことで焦ることや計画することはないです.


Q.食欲は?

 子供の頃は,お腹が空いたとか,お腹いっぱいだとか,

 そういう感覚があったと思いますが,

 この20年は感覚がないです.

 抗精神病薬の副作用で,食欲は旺盛でした.

 でも,いくら食べても満腹感はなく,

 物理的に胃の容積がいっぱいになって苦しくなってきたら中断する

 みたいな生活でした.意識はできなかったです.

 空腹感というのはなくて,

 時々胃の辺りが痛む感じがして食べると収まっていました.

 今考えるとこれがお腹空いた感覚だったのかもしれません.

 

Q.記憶は?

 人の記憶がありません.

 特に人の顔は思い出せません.家族や職場の人,

 普段会う知人であっても,妻の顔も,そらで思い出せません.

 でも,会えば誰かはわかります.

 普段の記憶としては,風景の写真が数枚思い出されるくらいで,

 あまり記憶は豊かではありません.

 文字が意識を流れることはよくあります.

 普段の思考はそれを頼りにしてきました.

 

Q.味は?

 歯応えが楽しいものは,おいしいと言ってきました.

 食事とは噛み砕くことでした.

 ナッツとかグミとか,きのことかしらたきとか,

 硬めのラーメンなど好きでした.

 チョコレートも噛むものでした.

 というのも,味はよくわからないです.

 酸っぱさや辛さはわかりますが,

 甘いとかしょっぱいとか,苦いというのは

 ほとんどわからない気がします.

 例えば,この前大戸屋でポテサラを食べましたが,

 もわんという感じは一定時間とどまりましたが,

 それがどんな味かと言われてもあまりわかりません.

 そんな感じで普段食事してきました.

 

Q.音楽は?

 音楽は好きです.

 バッハのゴールドベルク変奏曲は,500回は聴いたので,

 メロディをほぼ全て覚えました.

 同じ曲を何度も聴きます.

 そうしないとどんな曲だがわからないからです.

 メロディの断片はたくさん知っていますが,

 どれも数秒間で,楽しめるものではないです.

 歌うときは,聞こえた音に合わせて声を出すので,

 合唱的にはいつも伴奏の後になり遅れます.

 自分が出した声が聞こえるのはさらに後です.

 そもそも私が歌っている感じがなく,

 聞こえた音に合わせて声が出ている感じなので,

 歌う喜びみたいな感じが持てず,

 むしろ声を出して両腕が震えることが多くなったので,

 歌うのは好きですがお休みしています.

 

Q.睡眠は?

 抗精神病薬を飲むと,2〜3時間すると動きにくくなり,

 就寝すると意識がなくなったように朝まで熟睡します.

 最近は夜中の2時ごろにお手洗いに起きます.

 夜に水を2L近く飲んでしまうためです.

 夢は毎日見ます.

 すごくリアルで,現実と同じかそれ以上のリアリティがあります.

 起床して20分くらいは,夢の続きを生きている感じが残ります.


Q.物欲は?

 これが欲しい!という感じが持てません.

 欲しいとはどんな気持ちなんだろうとずっと思っています.

 毎月,何にお金を使ったらいいかよくわからずに生活しています.

 YouTubeでこれがいいと勧められる商品を

 その通りに買ってみて使っていますが,

 別に欲しいという思いがなく買っているので,

 物への愛着みたいなものはないです.

 ミニマリズムの本や動画はよくみていますが,

 現実に物の点数を少なくすると,私は幸せではないと感じます.

 私が今ここにいるという感覚を持てる見込みがないからです.

 物が目の前にあるのを確認して,生きている感じをやり過ごしています.


Q.結局,自分はあるの?

 ないと思います.

 私が離人感があると知れたのも,断薬初日のことで,

 だんだんと「離人感のある私」がわかるようになってきました.

 それまでは離人感が当たり前の本来の私で,

 離人感のある私にさえ気づかず,それで20年過ごしてきました.

 身体内部は空気と同化していて風も吹かず,

 何もなく,どこまでも軽い感じです.

 頭の中も何もないです.

 身体中で,何もないのです.

 

Q.最後に

 断薬して3日目ですが,少しずつ感覚が変わっています.

 身体がよみがえった感じで,生きている感じが戻ってきています.

 また別の記事でその変化経過を紹介します.

 

私の父は,特別支援学校の教師でした.今はもう定年しました.

なので,家での様子から,特別支援教育がどの程度のものか,

推して知るレベルで知っています.

その上で言いたい.

私は特別支援教育を受けるべき人だったと.

 

27歳で自閉症スペクトラムと診断された私は,

高校受験で県内最難関の高校に合格しました.

497/500点でした.

高校1年の時も,学年1位のクラスで年間2位でした.

第3学期の試験は休んだので,

出席していれば難なく学年1位だったと思います.

思えばずっと学業で困ったことは別にないです.

 

統合失調症にかかった後でも,国立大学を一般受験し合格していました.

保護逮捕と精神病院への入院のため,1年留年しましたが,

学業自体で困ったことはなかったです.

 

でも,こう総括しても,

私にどんなに高い学力があるとしても,

高等教育や専門教育よりも,

発達障がいの診断と特別支援教育の方が

私には必要だったと,言えます.

 

私が破瓜型の統合失調症を患ったきっかけは,

その県内最難関の高校での学生生活です.

生徒の自主性を最大限に尊重した,教師の指導のない学校でした.

カウンセラーもいなかったです.(今はいるそうです)

健常者の生徒には,最高に自由な学校と感じるようですが,

私には校風が完全に合いませんでした.高校選びに失敗しました.

 

例えば,部活で弓道をしていました.

初年の初審査で初段に認定されましたが,

先生だったか先輩だったかに,魂がこもっていない,と言われ,

確かに私は魂がどこにあるんだろう,と思い,

段々と矢を射るのが怖くなり,筋肉に力がうまく入らなくなり,

ある日,4矢3失し休場したことをきっかけに引退しました.

10ヶ月ほど.人生初の挫折だったように思います.

 

それからは,自分はどこにいるのか,

といういわゆる自分探しを本格化するのですが,

授業外に自転車で市内を駆け回るなど,

規格外のものでした.

高校を転学し,美術学校に通い,哲学書を読み,

結局,統合失調症を発症しました.

当時の心労を思うと,人生で最も過酷なものでした.

 

私には,県内最難関の高校も,国立大学での教育も,不要でした.

というのも,結局,私が身についた勉強は,

講義でなく,独学したものだからです.

私,講義を聞いても,理解できないのです.

別に何も覚えても理解もできていません.

 

例えば,大学でプログラミングの実習がありましたが,

私は3回落第し,結局単位をとれていません.

就労継続支援で独学したからこそ,初めて身について

今,プログラマとして働けています.

大学時代の講義は少しも役立っていないと感じます.

 

もし私が特別支援学校で,マイペースに独学していても,

今の私の業務レベルには達していたと思います.

そうしていれば,統合失調症を負う必要もなかったですし,

人生のQoLが格段に良くなっていただろうと思います.

 

父も,それはすでに察しているようで,

学校で勉強に励むより,マイペースに心豊かに育ってほしい

と娘の孫たちに伝えているそうです.

私が反面教師のようです.

 

私のような発達障がいの人には,

早期診断と特別支援学校での教育が受けられる方が,

その後,大人になって自分の人生を歩めるのではないか

という私のメッセージです.