夫婦は体の弱い主人の事を考えて、孤児院から一人の子供を預かることにした。
男の子、働き手と言う大前提の基に。
マシューとマリラがやって来たアン・シャーリーを一目見た時にかれらはどう驚いたのか?絶望してコンプレインを出して、代わりを要求したのか?
甘んじて受け入れたのは宗教観からか?
いずれにしても、アンはその日からハッピーな日々を過ごす。
少なくても、虐めや負い目は皆無の暮らしが待っている。
普通なら、孤児院からもらわれた子供は不幸で辛い。
日本の物語ならそうだ。
少なくとも幸せには中々なれない。
そうだと思っていたのが、僕がアンを読まない理由だ。
アンはグリーンゲーブルズで幸せに成長する。一度は諦めた上の学校にまで行く事になる。
同じ家の2階の階段脇のスペースに住まわされたフランス系の男の子の方が遥かに不憫だ。
マシューがアンにドレスを買いに行くシーン、人見知りのマシューは、なかなか買うことができずに、余計なものを買ってしまう。愛情とは苦手な行動をも人にさせるものなのだ。ささやかでも、心温まる出来事や、天真爛漫な空想に物語は包まれている。アンはちょうど、おしん、と対局にある作品なのかもしれない。
100年前のアイランダー達の暮らし。
一方の作者モンゴメリーさんはどうか?
アンとの共通点はあまりに多い。
けれど、気持ちの中は何処か違っていたのではないか?
作者が物語に込めたものを考えると、アンの物語を読むことが躊躇われる。
先入観で読まなかった僕は、
島のアンを大好きな人の話を聞いて、
バックボーンを知り
ますます読めなくなった。
グリーンゲーブルズ博物館に実際に泊めてもらった彼女達の話を聞いて、僕には重すぎるアンの物語だと感じた。
これは、表と裏の物語だし、現実逃避できる人は良いが、そうでない場合は、少し違った赤毛のアンだろう。

僕はまだ読んでいない。
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