時に政治家は意固地になっても良いと思う。直面する大問題を都度都度解決するために妥協を繰り返すと、歴史の中では何も改革されなかったとして記録にさえ残らない。今の戦法議会の課題はここにある。
オバマケアは一見して民主らしい政策だ。
時として共和党寄りに妥協を少なからずしていると見える最近の民主。
譲らない、譲れない課題をここに持ってきたのもらしいと言えばそうだ。
共和党は小さな妥協を見せた。
でも、民主は首を縦にふらない。
共和党にすれば、次の政権で修正出来る程度までなら妥協もあるだろう。
そもそも、現代のアメリカンスタイルは完璧なギャップ社会であり、このギャップ社会の環境下では国家は常に成長しなくてはならないのだけれど、現実を鑑みればアメリカの伸び代は、より激しい格差を生むこと無しには満たされない。
自己責任社会を前提とし、たち行かない者に限り最後の砦を提供するとした政策は、たち行かない者だらけの社会ではもはや継続不能だ。
多くの移民を受け入れて作られた国家は今、その限界を迎えている。
民主の政策はいつも弱者目権を忘れないけれど、弱者と心中になる事を懸念する共和党もまた正論かもしれない。

現実は日本より厳しい。
その日本が手本にしている政策がアメリカのそれだとしたら。
いま、東京はニューヨークの匂いがする。
永田町はDCの風が吹く。