若い時に感動したハリウッド映画が、あまりにも露骨なメッセージと商業的な思惑が見えて吐き気をもよおしたのな先週のこと。
あまりに予算のないVシネに映像が描かないバックボーンを見て面白く感じたのが週末。
映像作品は制作費によるところ大だが、それも受け手の感じ方次第だと思ったりする。
映像では描ききれない部分を台詞や表情や雰囲気で出すのなら、多額な制作費とは無関係なゾーンで作れる。
アメリカ的な善悪を違う視線で見せるのがフレンチテイスト。
悪には理由があったり、正義を貫く人間がどこか病んでたり。
曖昧な白黒があって面白い。

そんな意味でも今の日本は限界に近づいてる。
映画がでは無く現実がだ。
推定無罪の愚かな善人が、己の経験と知識のなさから悪に加担してる。
それに気づかない。
悪人は、自分が悪人と知っている。
彼らの免罪符は、仕方がないんだ、これしかないんだ、そんな自分への言い訳だけ。
仕方が無いから悪いことするのを許されるかと問えば、違う。
仕方が無いならそれをどうにかしようなんて思ったらいけない。
ダメなものはいずれダメになる。
ダメの延命は悪だから。
早死にするのは善人だけ。
善人が早死にするのは、悪人が長生きするからにほかならぬ。



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