出来すぎた現実よりも、いかれた物語の中にメッセージがある。
少なくても僕はそう考える。
彼は自殺したと言うわけだ。
それは、今も揺るぎない事実として。
彼の作品は常に死と向き合う。
そして、物語の登場人物は望む、望まないに関わらず、それをさらりと受け入れるのが彼の作品の常だ。
死は物語の結末であり、されとて、それ以上でもそれ以下でもない。
そこまでに繋がる物語もプロセスとして描かれ、それもそれ以上でも以下でもない。
そんな、彼にとっての死は
それほど単純ではなかったような気がする
酒の力を使い
感覚を麻痺させても
作家の感覚はなおも
鋭敏だったのではないだろうか。
そんな彼が、死を
そんな出来すぎたことを
するのか。
いいや
それでは余りにも工夫がない
余りにも皮肉が無い
あれほど皮肉な作家にそれは無いだろうと。
彼にとっての死は
生きるよりも
づっと気楽だった筈
だからこそ
彼が死を選ぶのは
むしろ
そう思う
彼に似合うのは
午後の死くらいだ。



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