経済政策に求められるのは、痛みを伴っても決めたらぶれ無い覚悟につきる。目的が達成できるまでには、各部の摩擦、外交的な不都合や誤解がたえずつきまとう。それでも決めたら譲らず推し進めるのが政策だ。
でも、これができるのは政権が良きにつけ悪きにつけ安定している事が大切だ。
近年、与党、野党のポジションが不動絶対でない政治環境では選挙と言う厄介なもののために政策は常に挫折した。ぶれなかったのは後にも先にも近年では小泉さんしか居ない。
しかしながら任期も限られる中ではトップが変わると党政策がぶれる現状では難しかった。
野党が政権を握り、政党が連立して、分列して、消滅することの繰り返しでは何も変わらない。
既に失われた20年は更なる自動継続を続けている。
今政権に期待はしない、なぜなら出来るなら、づっと以前に出来ている。
出来無いのなら、なぜ出来ないかを考える。それでも出来ないなら、せめて出来無い理由を伝えるべきだ。
少なくてもそうすることで、ここからの20年は失われずにすむ。
失われた20年の中でも民主の3年は悪い夢のようだった。
参院選挙ばかり目が行けば
自民も危ない。
円高是正、デフレ脱却ならば
些少の円安につけて不用意な発言をしてしまう閣僚が居るのは問題だ。
閣僚は持論は語らないことだ。
公器の長として発言をするべきだろう。
この辺が、失われた20年の中で育った政治家は解っていない。

沈黙は金だと言うことをだ。



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