【福島第一原発の事故に対して、基本的な東京電力の責任】


○直ちに健康に被害を及ぼす事は無い

○摂取しても問題はない

○人体に影響を及ぼすレベルではない


ものの言い方は様々だけれど 皆 そもそも論を忘れてる


人体への影響の有無はケースバイケースだとしてもだ。

本来なら、そこにあるはずもない無害 有害で言えば 有害に属する物質を自然環境に放出させてしまった責任が東電と言う一民間企業にあるのではないか。

被害は、短期的判断ではなく、長期的視点に立ち論じなければならない。

被害の規模があまりに大きいからといって補償の規模を集約してしまう事は理屈としておかしい。

どんなに、莫大な規模でも東電は会社を潰してでも補う義務が生じるのではないか?

企業は当然の様に存続し、当然の様に電気代金を徴収し、社員は潤沢に給与が支給されて、何事も無かったかの如く企業活動が続けられている事に猛烈な嫌悪感と違和感を感じる。

国が肩代わりし、それを国民が負担するのは東電の存続が不可能と判断されてからで良いのではないか。


大企業は企業の規模的部分から責任の所在があまりに曖昧になり

誰も責任をとらない風土が根付いている


昭和の時代、水銀を含む廃液 や 科学物質で環境と人命が脅かされた。

当時は科学的根拠が照明されないと、科学技術の限界を盾に企業は生きながらえた。

何も変わっていないどころか、今度の被害は具体的に何も報道されていない。

否定は出来ないが、認める事も無い。


国民は怒るべきである


世界に、その曖昧な処理を訴えるべきだ。


国益に優先するのは 唯一人命だ 国益が人命に優先される事は許されるべきではないのだ。


原発事故は 天災でないのだからだ


原発自体が問題なのではない、それを運用する人間の覚悟とモラルが問われているのだから。