先日、被災地に被災直後に救援に行った東京消防庁の隊員の方の話を聞いた。

彼はとても、消防士らしい若者だった。

若者とはいえ、副隊長の肩書きを持つ人なのである程度のベテランではあるのだろう。


彼は、震災後直ぐに召集され被災地に向ったという。

寸断された道路、電気も水も食料も充分でない中での仕事

彼らは早朝に東京を発ち 現場には深夜に入ったという


無線に入る通信内容は 同じ それが数分おきに決められているみたいに

その報が届くたびに胸が締め付けられたという

彼は涙を隠す事無く話していた

ただ、一言 「すみません 思い出してしまうんです」とだけ小さく添えて 話した。


任務は肉体的にも過酷だったと語る、しかし精神はそれ以上に

限界という言葉を彼は言った、限界があり交代をしなくては精神を保てないと

訓練を積み 修羅場を見てきた彼でも 限界があるという状況で彼は戦った

頭が下がる思いだ


一緒に話を聞いていた 一人が彼に質問した 「もしここ東京に、これだけの地震が来てこの建物は大丈夫でしょうか?」

彼は言った、「地震では崩れたりはしません。」

彼は、建築の専門家ではないし耐震強度は解からないだろう。

その彼が言った「大丈夫」 一見 消防士として無責任な発言にも聞こえるが

彼の体験がその理由を代弁していた


あの場所で、3月のあの日、地震で死んだ人はわずかだった だから 8月の今 あの質問をした後の彼の答えを無責任だと誰が責められるだろう。

彼は消防士として以前に人間としてそう答えたに違いない。


瓦礫の中から 沢山の 本当に沢山の人を救助したと言う。

その殆どが、もはや命が失われた人たちだった。

救助する 命が無い人でも 要救助者なのだ

亡くなっていても、瓦礫の中から救い出すこの行為は救助なのだと

家族のもとに帰してあげる事が救助


東京消防庁が正式にこの活動を救助しているのかはわからない。


でも、この気持ちがとても大切だと強く思った。


生きていても 亡くなっていても 彼らは全力で救助する


その気持ちを持つ 消防士は誰よりも 立派だと思うんだ。



被災地で聞かれる言葉 『国は何もしてくれない』


自治体は『国が動いてくれないから 何も出来ない』



一番大事な事は、そんな事を発言するのではなく


『自分に何が出来るか』だと思う。


それは、勿論 国も自治体も被災者もボランティアも、私達も同じ