ワイキキの午後4時カラカウアAve の喧騒はこの時間一方通行とは逆に移動する人の波が目立つ。

つまりハイアットからDFSを目指す方向に人が多いと言う事なのだけれど、いつもゴチャゴチャと人が居るので歩き難い事にはいつも変わりはない。

僕はワイキキビジネスセンターでの用事を済ませて待ち合わせの場所へと急いでいた。

名古屋に住む知佳子と初めて出会ったのもここハワイだった。

彼女も仕事やらプライベートやらでここハワイには定期的にきている関係から、不思議と日本で会うことは本当に少なく、ハワイでの滞在が重なるとお互いに連絡して会うという関係が続いている。

智佳子は僕より2つ歳上で28歳、お互いに少し変わっている所や、人の話を聞かない所や、父親が癌という奇妙な共通点が多くて初対面の時から今に至るまで他人じゃないくらいに仲が良い。

もうかれこれ2年ほどが出会いから経過していた。

丸顔の活発な人、可愛い顔は当時のアイドル系にも関らず、やる事は大胆でオフィシャルな会合に缶ビール片手で登場するような奴だった。

時にはお互いの友人を紹介したりされたりしながら、ここハワイでの楽しいひと時を過ごしていた。

つい前回なんかは、智佳子が友達だと言って連れてきた男なんて笑う事も通り越すくらい面白い奴だった。

大体ハワイに来た交通手段や目的がまともじゃない、見た目は中々のいい男、そして良く喋り、良く騒ぐ。

お笑いの二枚目という感じの好青年、でも彼にはそのイメージからは想像も出来ない仕事と、生活があった。

その、仕事の事も生活の事も面白可笑しく説明してくれる。

大声で説明した後で「ここで今話している内容は、さしさわりの無い内容だけなのだけれど、本当は言えない面白すぎる話を僕は沢山知っているんだ、でも絶対に部外者はもとより関係者にも話せない事が多いのだ」とさらりと大声で言う、はそれも観光客もロカールも沢山集まる著名なレストランでだ。

そして彼は米国入国にパスポートは使わず合法的な証明書で入国している事などを話してくれた。

おまけに、僕は六本木にあるオフィスに通う時に連日時間と経路を意図的に変えているなどと言い出す始末。

名刺ももらったけれど、とても信じて良いものかどうか・・・・

でも疑うにはあまりに現実味のある良く出来た名詞だった。

その有りそうな部署名があまりにも怪しくて、そんな所の人間がそんな真っ正直に担当業務を名刺に記載するか???

という疑問と、そんな名刺初対面の遊び友達に渡す訳がないでしょ・・・・


後日、智佳子に彼の事を尋ねると、彼女も大真面目に「そうだよ・・・」と答えていた。

その、そうだよ とは 彼はそういう仕事をしているそういう機関の人間だという事だった。

今日はどんな話が聞けるのか、どんな奴が一緒なのか楽しみにしながら僕は歩いた。

カラカウアの喧騒が幾分収まるPKのプールサイドのカフェで智佳子は先に来て待っていた。

麻素材のノースリーブにコットンのフレアスカート、裸足にサンダルという格好だっだ。

僕は彼女の隣に座った。

「お嬢様 ご無沙汰いたしました ストロベリーダイキリそれもフローズンですね・・・」

軽口たたいているとアロハのウエイターが来た。

僕はフリーズンのピナコラーダをオーダーして彼女を見た。

「相変わらず おこちゃま してるんだ・・・」

「知佳ネエの前ではね」

「じゃさ あたしじゃ無かったら何をオーダーする  例えば年下の可愛い子が相手だったら」

「え~ そうだな~  とりあえずモエ ボトルで・・・」

「バッカみたい ここハワイだよね あなたは おこちゃま ドリンクの方が似合う」

「そして年下の可愛い子ちゃんより 知佳ネエの方が良いよ」

ふと真面目に智佳子がこちらを見た

「お父様元気」

「うん何とか大丈夫みたい 多分本人も知っているとは思うけど、告知もしないでそのまま」

「うちは父先日亡くなったの」

衝撃の言葉だった。

後の言葉が出てこないままプールの水面を見ていた。

やがて彼女が話し出した。

その内容は父親の死にゆく話ではなく、彼女が思う父親がどんな気持ちで旅立ったかという話だった。

それは、父親の気持ちと娘である自分の存在と、現在 過去その流れの中でのエピソードだった。

僕は、じきに同じように父親を失う事が解っているものとして、その話を素直に聞く事が出来た。

やがて2人の会話は元の楽しいいつもの2人の会話に戻っていった。

でも今日に限っては、何処か二人とも少し歳をとったような気持ちになり軽い話はかえってギクシャクとした。


その日は夕日が沈むまで僕達はプールサイドで過ごした。

夕闇の中で僕はウエイターに手をあげて清算をした。

その仕草の一部始終を見ていた彼女が別れ際に言った。

「うん かっこよく出来るのね いいよ いいよ」


今僕の記憶の中に、この日この後の記憶が全く無い

多分、ここで別れたのだと思う。


この事があって数ヵ月後、彼女の名古屋の家に僕は電話をした。

彼女そっくりな陽気な声で出たのは彼女の母親だった。

「知佳子ね 実は結婚したのよ 今は別の場所で暮らしています。あの子ね君の〇〇君のこと凄く気にしてたんだけれどね・・・・・」

彼女の陽気なお母さんと何やら仲良く話したのを覚えている。

新婚家庭に電話することはしなかった・・・・

今のように携帯も、メールも無い時代の若者の話でした。


彼女の結婚あいて もしかすると あいつか? 



molt posso 追従できない放物線の裏側へ