主の知恵を求める | バイブル・カフェ

バイブル・カフェ

ハレルヤカフェのアキラの信仰生活から
神様への愛と喜びと感謝に
溢れる日々の学びや気付きを書きます。
読んでくれた方の希望や励ましになれば嬉しいです。

デボ
2015年 10月 日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所はダニエル1~2章です。共にデボーションしましょう。

  
☆今日のみことば☆
「神様はこの四人の若者に、すぐれた学習力をお与えになりました。 それで四人は、すぐに当時の文学や科学を修得したのです。 また、神様はダニエルに、夢や幻の意味を知る特別の能力をお与えになりました。」
‭‭ダニエル書‬ ‭1:17‬ ‭JLB‬‬
http://bible.com/83/dan.1.17.jlb



☆コラム☆
「そこでダニエルは、監督官が彼ら四人につけてくれた世話役と、このことについて話し合い、 ともかく、十日間、野菜中心の食事をさせてくれるように頼みました。 その試験期間が終わった段階で、王のごちそうを食べた者たちと比較して、野菜中心の食事を継続するかどうかを決める、ということにしたのです。 世話役は、ついにこの試験期間を実施することに踏み切りました。 さて、十日が過ぎました。 ダニエルとその三人の友人は、王のごちそうを食べた若者たちよりも健康そうで、栄養が十分なように見えます。 そこで世話役は、それからも、ごちそうやぶどう酒抜きの、野菜中心の食事をダニエルたちに与えました。」
‭‭ダニエル書‬ ‭1:11-16‬ ‭JLB‬‬
http://bible.com/83/dan.1.11-16.jlb

ダニエルは王の与える食事を断り、菜食で生きました。教育係の者はそれで、不健康になったら自分の命が危ないので10日間テストしましたが、かえって健康になっていったのです。
バイブルが菜食がいいといっています。しかし、今は、ダニエルの時代より農薬、肥料、添加物がドシドシ使われている時代なのでハレルヤカフェの自然栽培食材を使って野菜中心のナチュラルライフをしましょうね!😊


そしてダニエルは10倍もの知恵、能力を与えられました。知恵を求めなさいと聖書は言っています。

"主が知恵を与え、 御口を通して知識と英知を与えられるからだ。"箴言2:6

知恵を求めましょう!天の御国がこの地に来るために。多くの魂を救いに導くために!

この動画を観てください。ダニエルのような知恵も、言語も、能力も与えられる事が証しされています。本当にすごいですハレルヤ!
「第三の天の法則の中で生きる」
http://youtu.be/sg0M3Sc3Jgw




あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように  ☆あきら☆



☆次回のカフェ礼拝は10/31土曜日5~7時PMです。メッセンジャーは真島先生です。共に集まりましょう

☆日曜日の朝、ハレルヤカフェで小さな集まりを持っています。賛美し祈り、聖書の初歩的な学びをいたします。8時から二時間ほど。まだ教会につながっていない人は、ぜひご参加ください。
(来られる方はご一報ください)
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。





真島先生版
■S:今日の聖書の言葉
ダニエル書1章19~20節(ダニエル書2章)
★王が彼らと話してみると、みなのうちでだれもダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤに並ぶ者はなかった。そこで彼らは王に仕えることになった。王が彼らに尋ねてみると、知恵と悟りのあらゆる面で、彼らは国中のどんな呪法師、呪文師よりも十倍もまさっているということがわかった。

■O:今日のコラム 
ダニエル書はバビロンで活躍するリーダーの話です。これは、現代でいうと世の終わりに大バビロンのシステムの時代の中で、神の栄光を表す、終わりの時代のリーダーのストーリーと言えるでしょう。
 この19~20章で彼らはバビロンの中枢での活躍が始まります。同じように終わりの時代に政治の領域に深く入り込む、神に献身した聖徒たちが日本にも現れることを宣言します!しかし、このリーダーは、この終わりの時代の全ての聖徒とも言えます。彼らがどのように備えられていったかが、ここまでに記されています。
なくてはならない大事なことは、きよさを大切にすることです。ダニエルたちは、まずきよさを求めました。
リーダーとなる者は、今から多くのことを学び、体験し、吸収していくでしょう。しかし、きよさがその土台でなくてはなりません。世の知恵の前に神の知恵を求めなくては、その先で学ぶことも活かされません。神を知らずに知恵を身に着けても、悪賢い者にしかなりません。きよさの土台の上に様々なトレーニングは活きたものになると信じます!彼等もバビロンの言葉、文学を学んだのです。それはトレーニングです。
 きよさというのは、きよく見えるというのとは違います。神に属するものであるということです。だから見えないところにも、神の喜びのために良い行いを求めるようになります。すべてが神のためのものとなることを求めるようになるのです。たとえば、心の領域は、人からは見えません。見た目は良い行いであっても、心は良いとは言えません。しかし、きよさを求める人は、目に見えない心の領域も神の喜びとなることを求めます。 


■A:考えてみよう
きよい心を求めましょう!人に見られるかどうかではなく、神の目に喜ばれる者として歩みましょう!


■P:祈り


イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

■■ God Bless You !!! ■■

今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。