重要な時、主にのみ信頼を置く | バイブル・カフェ

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ハレルヤカフェのアキラの信仰生活から
神様への愛と喜びと感謝に
溢れる日々の学びや気付きを書きます。
読んでくれた方の希望や励ましになれば嬉しいです。

2015年 9月  6日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は箴言30章、テモテへの手紙6章です。共にデボーションしましょう。

  
デボーションの前に…
九月は重要な時だとお話ししています。
聖書的にいろんな重要なタイミングが重なっているからです。
シェアします。ぜひ読んでください!

シェアするに当たって、一言お伝えしたいことがあります。

※夢や啓示、預言は、必ずしも100パーセント正しいとか神様からとは限らないので、皆さんも吟味しながら読んでみてください。

でも、聖書に書いてある預言は必ず時が来れば成就します。(1000いくつもの預言はすでに成就していむす!)黙示録の預言もその通り起こると、私も信じています。

そして、大切なことは
『主は約束通り戻って来られる、この地に裁きをもたらされることは必ずその通りであり、その日も近づいている。
しかし、だから、自分が掲挙に漏れないように頑張ろう、ではなく、一人でも多くの人が、イエス様の福音を信じて救われるように祈り行動すること、
私たちはさらに悔い改め、主に立ち返り、信仰をしっかり握り本当の礼拝者となって祈っていくこと。そしてイエス様を追い求めていく』ということです。


以下、リンクです。

http://www.osaka-grace-church.com/report.html




☆今日のみことば☆
「ですから、食べる物と着る物があれば、満足すべきです。 しかし、金持ちになりたがる人は、もうけ話には見境がなく、すぐ悪に走ってしまいます。 その結果、ひどい目に会い、心を汚し、ついには、地獄へ送り込まれることになります。 お金を愛することは、あらゆる悪の根源です。 中にはお金を愛するあまり、信仰を捨て、神様から離れてしまった人もいます。 おかげで、そんな人はわが身を刺し通す、激しい悲しみに襲われるのです。」
‭‭テモテヘの第一の手紙‬ ‭6:8-10‬ ‭JLB‬‬
http://bible.com/83/1ti.6.8-10.jlb



☆コラム☆
昨日からお金への執着心が続きますね。お金やモノへの執着心を捨て、欲望、誘惑を断ち切り、主を第一にしましょう!
主がすべてを備えてくださるお方だからです!

「また、お金の生きた使い道を教えてやりなさい。 自分の持ち物はすべて神様からいただいた物だとわきまえて、困っている人には喜んで分けてやるように心がけなさい。 そうすれば、神様の前でたくさんの善行をほどこす者となり、 自分のために、ほんとうの宝を天に積むことになるのです。 これこそ、未来に備える、ただ一つの絶対に安全な投資です。 また、そうする人は、この地上でも、実りあるクリスチャン生活を送れるのです。」
‭‭テモテヘの第一の手紙‬ ‭6:18-19‬ ‭JLB‬‬
http://bible.com/83/1ti.6.18-19.jlb



あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように  ☆あきら☆


日曜日の朝、ハレルヤカフェで小さな集まりを持っています。賛美し祈り、聖書の初歩的な学びをいたします。8時から二時間ほど。まだ教会につながっていない人は、ぜひご参加ください。
(来られる方はご一報ください)




■■ God Bless You !!! ■■

今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。



レナ姉妹版

■S:今日の聖書の言葉
箴言30章4節

★だれが天に上り、また降りて来ただろうか。だれが風をたなごころに集めただろうか。だれが水を衣のうちに包んだだろうか。だれが地のすべての限界を堅く定めただろうか。その名は何か、その子の名は何か。あなたは確かに知っている。

■O:今日のコラム
会社で働いていると毎日自分はなんて無知なんだろうと思うことが多くあります。その度に勉強して、、少しはましになることもありますが、聖書を読むともはや自分が何も知らないことを思わされます。
無知なだけならまだしも、しまいには目に見える現実、自分の知識の範囲内が全てであると思い、その範囲内で判断し気落ちし怒る、本当に愚かな自分もいます。
そんな自分を悔い改めると同時に、今日の箇所やヨブ記の38~40章を読む中で全てを知っておられ、全てを支配しておられ、それでも私たちに答え仰せられた主に感謝する1日にしたいと思います。

■A:考えてみよう
「その名は誰か、その子の名は誰か」、知恵の書である箴言に全知全能の神にひとり子がいることが書かれていることに驚きを覚えます。当たり前ですが、天にのぼることも降りることも、地の限界も定めたこともない、そんなわたしが唯一知っているのがイエスの名、ただただその名に信頼し、尋ね求め、期待する者でありたいと願います。

第一コリント2章2節「なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何もしらないことに決心したからです。」

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 れな 】