2015年 6月1日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所はエゼキエル書19章とコリント人への手紙第一1章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
「この世がいかに人間のすぐれた知恵を結集しても神様を見いだせないのは、神様のお考えによることです。 そして神様は、一般の人には、ばかばかしくて話にならないような神のことばを信じる人を、救うことにされたのです。」
コリント人への第一の手紙 1:21 JLB
http://bible.com/83/1co.1.21.jlb
☆コラム☆
神の前で誰も誇る事はできません。キリストは私達にとって神の知恵となられ義と聖めと贖いとなられました。誇る者は主を誇るのです。
私達はますますへりくだり、この神にあって豊かな恵みを受けている事をもっと学んで解き放っていきたいです。
『どうか、父なる神と主イエス・キリストが、あなたがたをあふれるほど祝福し、すばらしい平安を与えてくださいますように。』 (コリント人への第一の手紙 1:3 JLB)アーメン
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第一1章5節(エゼキエル書19章)
★というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
■O:今日のコラム
コリント教会は、稀なほどに賜物豊かな教会でした。パウロが賜物に関する教えをし、愛がなければ賜物が活かされないという事を書き記すほどでした。異言、預言、異言の解き明かし、癒しや奇跡の賜物が豊かに注がれていました。
賜物は素晴らしいもの、なくてはならないものです。しかし、賜物にフォーカスを当てすぎると、当然起こるのは、比較して、高ぶる、落ち込むということです。またその高ぶりはへりくだる事を忘れさせ、分裂へと向かっていきます。コリント教会もそうでした。
私たちの信仰の歩みは、賜物によってすごいことをする事にフォーカスを当てるのではなく、主との関係にフォーカスを当てるものです。私たちが「あなたの名によって悪霊を追い出し、奇跡を行い、預言をしました」と言っても「関係ない。全然知らない。不法をなす者よ私から離れていけ」と言われる事は、起こりうるのです。それでも、賜物と召命は変わらないのです。ソロモンに与えた知恵が偶像礼拝をしても離れなかったようにです。ここで、パウロは、コリント教会に語ったかというと、十字架です。
私たちは、日々、悔い改め、十字架を見上げなければ、きよい良心を保てません。キリストの血潮は、私たちの良心をきよめてくれるのです。
また、キリストを通して、父との触れ合いの時間を持たなければ、懲らしめさえも、へりくだって受け取る事は出来ません。御父は、愛の懲らしめをもって私たちをきよめてくださる方ですから。賜物によって高ぶってはいけません。主との関係に生きるのです。
■A:考えてみよう
主との関係にフォーカスを当て続ける。日々悔い改めて十字架を見上げ、御父との交わりの時間を持つ。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
次回の晴れる家cafeのカフェ礼拝 6/20土曜12:00~
ブラックゴスペルのMARISAをゲストにむかえます。情熱的で迫力の本格的ゴスペルライブを楽しみ心からの礼拝を共に捧げましょう
http://ameblo.jp/hareruya-cafe/entry-12028918724.html?ambv=wv
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。