預言者エリアに学ぶ | バイブル・カフェ

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ハレルヤカフェのアキラの信仰生活から
神様への愛と喜びと感謝に
溢れる日々の学びや気付きを書きます。
読んでくれた方の希望や励ましになれば嬉しいです。

2015年 4月28日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!

今日の聖書箇所は列王記第一17-18章です。共にデボーションしましょう。


☆今日のみことば☆
「王は、エリヤを見るなりどなりました。 「おまえだな。 イスラエルに災害をもたらした張本人は。」 エリヤも負けてはいません。 「災害の張本人は、陛下のほうです。 陛下もそのご一族も、神様を捨てて、バアルを拝んでいるではありませんか。 さあ、イスラエル国民と、イゼベル王妃おかかえのバアルの預言者四百五十人、それにアシェラの預言者四百人を、カルメル山に集めなさい。」」
‭‭列王紀上‬ ‭18:17-19‬ ‭JLB‬‬
http://bible.com/83/1ki.18.17-19.jlb




☆コラム☆
預言者エリアが登場します。

貧乏な未亡人がいました。最後の粉と油が残っていただけでそれでパンを焼いて子供と分けて死のうとしていたところでした。
エリアは神に示されました。
「その最後の材料で私にパンを食べさせなさい」と言いました。
なんとひどい事を言うのかと思ったでしょう。しかし、それに従い未亡人は言う通りにしたのです。
それから、そのかめの粉も油は無くならなくなりました。神の奇跡が起こったのです。


それからしばらくして、その子供が病で死にました。
未亡人はエリアに「あなたは私に罪を思い知らせ息子を死なせる為に来られたのですか?」泣き叫び訴えたのでしょう。
エリアは神の前に子供の遺体を運び、祈りました。

『神様が祈りをお聞きになったので、子供は生き返りました。 エリヤはその子をかかえて下へ降り、母親に渡しました。 「ご覧なさい! 息子さんは生き返りましたよ」と言うエリヤの顔は、喜びに輝いていました。 あとで未亡人は、エリヤにこう告白しています。 「今こそ、私は、あなたが預言者であり、あなたのおっしゃることはみな神様のおことばであることが、ほんとうにわかりました。」 (‭列王紀上‬ ‭17‬:‭22-24‬ JLB)』

神は生きておられます!願いを聞いてくださいます。ハレルヤ


⭐️最後にひろみち兄と君姉のデボガイを紹介しています。さらなる学びにご活用ください!


あなたの上に神様の豊かな祝福がありますように
☆あきら☆




明日です!
次回の晴れる家cafeのカフェ礼拝
4/29祝水13:00から
「サムエル・ライブ&カフェ礼拝」
ソウルフルなトライリンガル・シンガーソングライターのサムエルさん http://www.samizreal.com
の素晴らしいゴスペルライブ!ぜひ予約の上ご参加ください 。毎回のカフェ礼拝は聖霊に満ち溢れ豊かな臨在の中で主を礼拝する素晴らしい時間です。神様を共に礼拝しましょう!
http://ameblo.jp/hareruya-cafe/entry-12005427207.html

その次のカフェ礼拝は
5/23 土17時
6/13土 15:30



初歩的な聖書の学びをブログにアップしています
「バイブル・カフェ」
http://ameblo.jp/possible-dream/


この聖書通読表に基づいてデボーションしています。↓↓↓
http://shinjuku-shalom.com/wp-content/uploads/2013/01/2015_devotion.pdf




ひろみち兄弟のデボガイ
■S:今日の聖書の言葉
1列王記17,18章
★2 それから、彼に次のような主のことばがあった。
5 それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。
18章1,2節
★ 1 それから、かなりたって、三年目に、次のような主のことばがエリヤにあった。「アハブに会いに行け。わたしはこの地に雨を降らせよう。」
2 そこで、エリヤはアハブに会いに出かけた。そのころ、サマリヤではききんがひどかった。


■O:今日のコラム
4月28日の朝です。今日1日も天のお父さんの声に敏感になれるよう、心を主に向けていきましょう。主は、やるべきことをはっきりと教えてくださいます。



雨が降る時、降らない時、僕らがどの様に主の言葉を聴くかが大切です。そして、御言葉に従う時に、本気で従うことです。


御言葉に従う時、川のほとりでカラスに養われる時があります。水なるイエス様のすぐ側に留まり、自分の力ではなく周りにいる能力のある人から神様のパンと肉を受け取る時です。雨が降らないため、イエス様の臨在が枯れた状態を味わう時があります。飢え乾く時です。また、精錬所に留まらなければならない時、自分を大切にしてくれていた人との別れの時、大切なモノを手放す時、敵の前に自ら行き、自分では行きたくない所に行かなければならない状況もあります。



一つ一つのステップによって僕らは、雨の降らないような飢え乾く時をも過ごすことができます。僕らは主なる神様に「天のお父さん」と言える神様に愛されている神様の子供としての権威を与えられています。アバ父、お父ちゃんと呼ぶことができます。それは、主なるイエス様が僕らの身代わりとして十字架に架かられたからです。天のお父さんの声に敏感に聴き、本気で従っていたイエス様の行動によってです。イエス様が十字架の上で完全に渇ききってくださいました。



そして、イエス様は、天のお父さんに信頼していたことで、死に繋がり続けることなく、力強く復活されたのです。僕らに、復活の希望を与えてくださいました。天のお父さんとイエス様、そして聖霊様が互いに愛の主だからです。


御霊の実は愛です。愛は恐れを締め出します。愛はすべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍ぶのです。愛は僕らに力を与えてくださいます。僕らを満たしてくださいます。


僕らは力を受け取る時、御言葉を自分の宣言とし、御言葉をより求め、御言葉に本気で従うことができるのです。今日、御言葉を受け取り、理解できないことでも従っていきましょう。主が必ず従う力さえも与えてくださるからです。


■A:考えてみよう
主の声に敏感になれるよう、心を主に向けていきましょう。
御言葉に聴き従う力を主から受け取っていきましょう。御言葉に飢え渇いていきましょう。



■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひろみち 】

■■ God Bless You !!! ■■




君姉さんのデボガイ
Ⅰ列王記17章16節
『エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。』


エリヤが主のことばに従って、二、三年の間は露も雨も降らないと、アハブ王に宣言したしたとおり、雨は降らず、川の水もかれてしまいました。主はさらにエリヤに、シドンのツァレファテに行って、ひとりのやもめに養われるように、と言われました。
そのやもめは、最後の粉と油でパンを造り、息子と二人で食べて死のうとしているところでした。エリヤは、そんな状態のやもめに、「先ず、私のためにパンを造り、そのあとで自分たちの分を造りなさい。イスラエルの神、主が、地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、つぼの油はなくならない、と言われるからです。」と言い、彼女はエリヤのことばのとおりにして、彼らは長い間、それを食べました。

最後の食事のための粉と油を、いくら神のしもべとは言え、先ず、彼のために使ってしまうなんて……やもめの心には大きな闘いがあったことでしょう。しかし、彼女も、エリヤを養うようにと、主に語られていたのです。

よく取り上げるみことばですが、マタイの福音書6章33節の『だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。』に通じています。やもめの信仰が、彼女を救ったのです。

かめの粉はイエス様の裂かれた御体、つぼの油はイエス様の流された血潮とも聖霊とも考えられます。かめの粉とつぼの油が尽きないように、神の救いと赦しは、決して尽きることがなく、聖霊様もともにいてくださいます。だから、先ず第一に神の国とその義とを求めましょう。私たちが神様を第一にするととき、神様が私たちのことを心配していてくださり、整え、満たしてくださいます。信じましょう。アーメン!

君joy〓