2015年 3月20日 ハレルヤ!
今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
明日は晴れる家cafe礼拝です。クリスタルビーズのゴスペルライブもあります。ぜひご参加ください
今日の聖書箇所はエレミヤ記21章、使徒の働き21章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
しかしパウロは、断固として決心を変えません。 「なぜ泣くのか。 私の心をくじくのはやめてくれ。 主イエス様のためなら、エルサレムで投獄されてもかまわないのだ。 いや、殺されてもいい、とまで覚悟しているのだ。」
http://bible.com/83/act.21.13.jlb
☆コラム☆
使徒パウロは自分の命の危険を知っていましたが、それでも自分の使命を全うする事を選びました。
この決心により、パウロは主に用いられ数々の奇跡を行い、世界中に福音を宣べ伝える事となりました。
イエス様に忠実に従う事への決心は、大きな力となります!サタンの誘惑に打ち勝つ事となるのです。みことばをよく読み、私達も主へ人生を捧げる決心をしましょう! 本当の勝利の為には覚悟が必要なのです。
『それから、弟子たちに言われました。 「だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしについて来なさい。 いのちを大事にする者は、いのちを失うことになります。 しかし、わたしのためにいのちを投げ出す者は、それをもう一度自分のものにできるのです。 たとい、全世界を自分のものにしても、永遠のいのちを失ってしまったら、何の得になるでしょう。 いったい、永遠のいのちほど価値のあるものが、ほかにあるでしょうか。』 (マタイによる福音書 16:24-26 JLB)
後半に、君さん版、しゅんさん版を紹介しました。
決心についてさらに学んでみましょう!
あなたの上に神様の豊かな祝福がありますように
☆あきら☆
次回の晴れる家cafeのカフェ礼拝
3/21土曜日春分の日13:00から 「クリスタルビーズ ゴスペルコンサート&礼拝」ぜひご参加ください
http://s.ameblo.jp/hareruya-cafe/entry-11994394180.html
初歩的な聖書の学びをブログにアップしています
「バイブル・カフェ」
http://ameblo.jp/possible-dream/
君さん版
エレミヤ書21章8節
『あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。「見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。」』
ユダの王ゼデキヤは、「バビロンの王ネブカデレザルを遠ざけるために、どうしたら良いか主に伺ってください。」とエレミヤにたずねると、主はこのように仰せられたのです。
いのちの道と死の道……。私たちの前にもこのY字路が置かれています。私たちはいつも、このどちらかを選んで進まなければなりません。私たちの目に、死の道は魅力的に写るかもかも知れないし、いのちの道は、魅力的には見えないかも知れません。
『狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。』マタイ7:13~14
主に従う道はいのちの道です。大変そうに見えて楽なのが主に従う道であり、地味に見えて実は生き生きとしておもしろく、いのちに輝くのが主に従う道です。
また、私たちの口が語る肯定的なことばはいのちに至り、否定的なことばは死に至るのです。いつも、健全で、自分自身にも他の人の益のためにも益になることばを発していきましょう。
『死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。』箴言18:21
アーメン!
君joy〓
しゅんさん版
【マナメール】覚悟~イエス様の御名のために~(エレミヤ21, 使徒21)
■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き21章13節
★するとパウロは、 「あなたがたは、 泣いたり、 私の心をくじいたりして、 いったい何をしているのですか。 私は、 主イエスの御名のためなら、 エルサレムで縛られることばかりでなく、 死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。
■O:今日のコラム
パウロは旅を続ける中で、カイザリヤというところに立ち寄りました。そこでユダヤから下ってきたアガボという預言者に出会います。そして、突然パウロの帯を取って自分の両手両足を縛って「あなたはこうなります」と告げます。預言的な行動です。それを見た土地の人達はもちろんパウロを引き留めようとします。その時にパウロが言ったのが今日のみことばです。
この箇所を読む時に思い出されるのは、マタイの福音書16章22,23節のイエス様の姿です。
するとペテロは、 イエスを引き寄せて、 いさめ始めた。 「主よ。 神の御恵みがありますように。 そんなことが、 あなたに起こるはずはありません。 」
しかし、 イエスは振り向いて、 ペテロに言われた。 「下がれ。 サタン。 あなたはわたしの邪魔をするものだ。 あなたは神のことを思わないで、 人のことを思っている。 」
パウロはその預言的な行動の現実を受け入れたくなかったのでしょうか?カイザリヤの人々はパウロのことを思っていました。しかし、パウロはひたすらに神の事を思っていました。パウロのほうがカイザリヤの人々よりもより高い次元で先を見ていたのです。
イエス様は自ら進んで十字架にかかられました。しかし、避けられるのであれば避けたいとも思われました。なぜイエス様は自ら苦しい十字架の道を選ばれたのでしょうか。それは私たちに対する深い愛とご自分の使命の故です。十字架の御業無くしては人々に救いが訪れません。それを成し遂げられるのは先にも後にもイエス様しかいませんでした。
イエス様はご自分のその使命を知っておられました。同じように、パウロも自分の使命を聖霊様から教えられていたのです。その使命は死さえも覚悟させるものです。死をも覚悟した人ほど恐ろしい人はいません。テロを起こす人は自らの命を差し出して多くの人の命を奪います。しかし、私たちが主イエスのために命を捧げるなら、死よりも強力な爆発的な力、人々を永遠に導く生きる力をもたらすことになります。
自分の使命をつかみとったなら、次に必要なのは覚悟です。どっちつかずの状態が一番たちが悪い状態です。みなさんも祈りとみことばの中でうっすらと自分の使命をつかみとっているのではないかと思います。それであれば、みなさんに必要なのは覚悟です。イエス様のために命を失うものは命を得ます。主イエスの御名のために、覚悟を決めましょう。
■A:考えてみよう
神の賜物と召命とは変わることがありません。(ローマ11:29)まずは祈りとみことばによって、自分がどのような賜物を与えられているか、また、神様にどのようなことに呼ばれているかを教えていただきましょう。そして、少しでもその方向が見えたなら、勇気を持って一歩を踏み出していきましょう。
一歩を踏み出さず、その場にとどまっているのであればいつまでも0の状態です。0はいくら大きな数をかけても0にしかなりません。しかし、1であれば数は大きく増えていきます。
失敗するかもしれません。恐れがあるかもしれません。しかし、その一歩こそが信仰の一歩です。間違った方向でも、とにかく一歩を踏み出す決断をし、実際に踏み出してみましょう。今日、あなたが覚悟を持って踏み出す一歩を主は喜んでくださっていると信じます。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
■■ God Bless You !!! ■■