心から知ってほしい「十字架」と「救い」の話 | バイブル・カフェ

バイブル・カフェ

ハレルヤカフェのアキラの信仰生活から
神様への愛と喜びと感謝に
溢れる日々の学びや気付きを書きます。
読んでくれた方の希望や励ましになれば嬉しいです。

今日は日々、聖書を学んで行くなかで僕なりに救いのことをまとめてみた。
イエス様をまだ知らない人に読んで欲しい



神様は天と地、宇宙も太陽もこの地球もすべてを創造されたお方。
そして神様はご自身の形として人類を創造された。
人は神様の愛の対象として創造された。

愛するがゆえに神様は人を縛らずに自由意思を与えてくださったの。
それは人だけの特別な特権だった。
エデンの園という楽園に住まわせてくださり、
自由に何でも食べることが許され、全ての動物を支配する者としてくださった。

ただし「善悪の知識の木の実だけは食べないように。それを食べると必ず死ぬから」と警告されていた。
人の祖先であるアダムとエバは
サタンに誘惑されて神様から唯一、禁じられていた善悪の知識の木の実を食べてしまった。
その時から罪が人間に入ってしまったのだった…。



善も悪もそもそもは無いのです。
善悪持ってしまったのは
それは善悪の知識の木の実を食べてしまった人間が
罪を持ってしまったから。
その罪とは神から離れた自己中心的な性質の事。
自分を中心として、自分の都合によって、
物事や相手を善や悪と判断するからなのだ。


神様に立ち返ると善も悪も無い。
神様中心に生きることが、それが真理であり道であり命だから…
 

イエスは彼に言われた。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネ14:6

贖いの目的:
そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、
これらのものをお持ちになりました。
これは、その死によって、悪魔という、死の力を
持つ者を滅ぼし、
一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
ヘブル2:14ー15



罪によって神様との関係が断絶されてしまった人間。
その時から人間はサタンの支配下におかれ、
いつかは死ぬ者となり死の恐怖を永遠に背負ってしまった。
罪からくる報酬は死です(ロ6:23)
アダムにあって全ての人が死んでいるように
キリストによって全ての人が生かされるからです(Ⅰコリ15:22)



あなたは死は怖いですか?

死ぬことがなく、愛する人たちとみんなでずっと生きていたら嬉しくないですか?


神様は 壊れてしまった人間との関係をなんとか回復したいと...
人類を救いたいと思ってくださる憐れみ深いお方です。
そのために御子であるイエス様をこの世に送ってくださいました。

イエス様は神ですから何でもできるのですが、人としてこの世に来られ
信仰の模範を弟子たちに見せてくださいました。
神としての力は横に置いて人間として生活されました。
それもすべて「贖い」(あがない)の為でした。

そして人類を死から救うために、人々の罪をすべて背負い
捕らえられ、ツバキをはかれ、なじられ、さげすまれ、いばらの冠をつけられ、
ムチ打たれ、裸にされ、十字架に太い杭を手足に打ち付けられ、苦しみの限りを受け、
父なる神からも見放され完全孤独となり「完成した」と最後の言葉を残し、
死んでゆかれました。

それはすべて私たちの救いの為のご計画だったのです。
神様の贖いによって救いは完成したのでした。

十字架で死なれたイエス様はヨミ(地獄)に下ります。
そして死とサタンをヨミで打ち破り圧倒的な完全勝利をされます。
三日目に死から蘇り、弟子たちの前に現れて40日間、伝道されました。
そして皆の前で天に上り、天の父なる神の右におられ、今も私たちの為に
祈ってくださっているのです。


すでに救いは完成しています。
イエス様があなたの身代わりとなって苦しみを受けて
死んでくださったからです。

このイエス様を信じる事によって死ぬことはなくなります。
地獄は永遠に苦しいところですが、そこへ行くことがないように
永遠の命を与えてくださったのです。


あなたは天で永遠の命を受け喜びの日々をおくるのと
地獄で永遠の苦しみの日々をおくるのとどちらが良いですか?


信仰とは宗教ではありません。
宗教とは人が作ったもの。人を縛ります。
信仰は人を自由にします。
信仰とは見えないものを信じることです。


あなたが救われ、永遠の命を受け愛と喜びの日々を送ることができますように
心から祈っています