マイペースにブログ更新しております。
34歳から不妊治療を開始し6年、
不妊治療クリニックのKLC(加藤レディースクリニック)でPGT-AにてA判定(適)移植可能胚を移植し妊娠するも、
妊娠25週(7ヶ月)で死産でした。
いまは半年ほど経ち、徐々に元の生活に戻りつつあります。
ブログを見るのも書くのもしんどくて離れていたので、半年以上前の出来事になりますが、メモに書き溜めていた妊娠記録の続き〜妊娠25週(7ヶ月)での死産〜リアルタイムの経緯を少しずつ記しております。
前回ブログ
●7/7(木)七夕🎋
37.2℃
朝食後咳止め服用。
10:45、MFICUの個室部屋からコロナ病棟へ移動。
4人部屋。
だけど私1人だけ。
シーンと静かで少し広めのお部屋。
身体の症状としては咳と痰が少し出る程度。
私は普段から平熱が高めなので、すでに平熱に戻っていました。
きっともう身体の具合としては退院できるレベルなんじゃないかと勝手に思ってました。
でもこの頃は罹患してから数日間は隔離、外出できなかったし、お腹に赤ちゃんがいるので様子を見るための管理入院だったのかな…
MFICUはもちろんのこと、4人部屋の病棟もパソコン使用できず、看護師さんにお仕事できる方法があるか相談したら怒られました
口調はもう少し柔らかかったと思いますが、
「コロナで弱った身体を治しに来てるのに、しかもお腹に赤ちゃんいるんでしょ⁉︎仕事なんて変わりがいくらでもいるんだから!赤ちゃんのママはあなただけでしょ!」的なことを言われて、最もだなと…
会社には申し訳ありませんが、入院中しばらくの間お仕事ができない旨伝えました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした…
それにしても静かな病室だなぁ…
1人でベッドに腰掛けて、夕食を食べようとしたら、食事のおぼんに七夕メッセージが。
この当時は
このメッセージがとても優しく感じ
何だかとても心に響いて
嬉しくて
寂しくて
不安で…
ごめんね、赤ちゃん…
心配かけてごめんなさい。夫、父、母…
自分のベッド以外は電気が消えてて暗く
静かすぎてちょっと怖くて
日が暮れかけた空を眺めながら
泣きながら夕食を食べました。
早く退院したい…
●7/8(金)
36.2℃
6日ぶりに平熱に戻った。
むしろ普段の平熱より低め。
咳と痰が少し
鼻詰まり
味覚が薄い
これが味覚障害か、、、
やっぱりコロナだったんだ私…
変なところで実感しました。
10時のヘパリン注射が遅れ12:00に打つ。
ボーっとテレビを見ていたら、お昼頃、突然テレビに緊急速報が出た。
安倍さん銃撃で心肺停止
かなりショックを受けました
どうか、命だけは無事であって欲しいと願いました
でも残念ながら
安倍さんは亡くなられてしまいました
信じられなくて、悲しくて、不安で、怖くて
1人ベッドの上でまたシクシク泣いて過ごしました。
このあとから入院記録メモが途絶えていました。
安倍さんの悲しいニュースが連日流れて、気分も暗く落ち込んでいたのかもしれません。
退院までの数日間で患者がさらに増え、4人部屋も全員埋まり、4人中3人が妊婦、1人は大学生という状況でした。
妊娠中は免疫力が下がるからか、コロナに罹患する妊婦さんて割といるのかな…?
同室だけど、全員コロナ患者
退院するまで挨拶すら交わせず
カーテンで仕切られたベッドの上でひたすら過ごす
顔も合わさない
4人部屋内にトイレ1つ
トイレに行きたくなったら、お互いが被らないように探り合い
シャワーは3日に1回、一人30分
テレビはイヤホンで視聴
話し相手は看護師さんか医師のみ
作ってもらってて文句は言えませんが(てか患者だよね…)
ご飯は美味しくない、しかもおかずに対してお米の量が多くて食べきれない。ふりかけ持ってくれば良かったな…売店にも行けない…
家族とはLINEのやりとりのみ
何とも言えない雰囲気の中で数日間ベッドの上だけで過ごしました。
ここから6日後の7/14(木)
やっとのことで退院できました。
エコーで見たお腹の赤ちゃんは元気でした
翌日から自宅でテレワーク再開。
職場の皆様、長い間ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした…
次は退院後、
7月末に赤ちゃんのスクリーニング検査です。
お読みくださりありがとうございます。
不定期更新にはなりますが、よろしければまた寄ってって頂けましたらうれしいです