歩道やホームなど、街のあちこちで見かける黄色い線
正式には、視覚障害者誘導用ブロックという。
30センチほどの細長いマットにコイン大の凹凸がついているものだ
白杖といわれる杖の先で、その凹凸を認知し、方向の確認をする
視覚障害がある人達には、街を歩くのになくてはならない大切なツールである。
ところで何故、この線は黄色いのか?
視覚障害者の方達は『見えない』のだから、黄色だろうが、白だろうが、関係ない・・・のではないだろうか?
都市の中には、この黄色が街の景観をそこねるとして、歩道のタイル模様の中にとけこませたようなブロックを設置しているところもある。
ところが、この考えには、大きな思い込みがある。
実はこのブロック、実際には多くの『弱視』の人達が方向のよりどころとして使っているのだ。
ぼんやりとしか見えない人達の目にも、太い黄色い線は鮮やかに力強く映る。
黄色は、そのための色なのだ。
『見えない』にもいろいろある
全く見えない人から
あんまり見えない人まで
視覚障害=見えない
という、あまりにもおおざっぱな認識が、多くの弱視の方達の都市生活の快適性をそこねているのだ。
確かに景観も大事だけど・・・。
多少景観が損ねられても、その街で暮らしていけない人はいないけど
ライフラインである誘導用ブロックが認識できなければ、弱視の人は街を歩けない
暮らしていけない
景観と、ライフラインと
どちらが大事だろう
どうしても、黄色い線に味方したくなる
私は黄色い線の味方だと、思っていた
何年か前のある日までは
仕事を通じてお友達になったTさんは、たっぷりと日焼けした笑顔が魅力的な男性だった。
いつも、街を移動する時は車いすを使っていた。
私の仕事場に遊びにきてくれることになって、迎えにいった駅から車いすを押して一緒に歩いた。
交差点を通るたびに、ガタガタと車いすがうなる事に気づいた
黄色い線のコインが車いすのタイヤの邪魔をするのだ
私が押しにくそうにするのに気付いたTさんは、
『そうなんだよね。僕らみたいな車イスの連中には、この黄色い線って、ちょっとつらいものなんだ。視覚障害の人達には便利なものでも、車椅子の移動には便利ではない。同じ障害者同士で、利便性の矛盾が生まれるんだよね。』
と聞いた時、私は今までの自分の無知さかげんや、考えの浅さに恥ずかしい気持ちでいっぱいになった。
黄色い線をたてると車イスのストレスが生まれる
車いすのストレスをたてると、黄色い線がなくなる
どちらもとても大切なのに、お互いがお互いの利便性を侵略している
どうして両方が一緒に利便性を感じることができないことになっちゃうんだろう
どちらも大事なのに
どちらもお互いの矛盾をうんでしまう
なんて悲しい状況なのだろう
社会の役割は、人々の幸福の最大化
ひとつひとつの幸福の最大化を図っても、全体の最大化にはならない
なんとかならないだろうか?
可能性はある
車イスのストレスも黄色い線も消すことができるかもしれない可能性はある
ひとつにはハイテクの白杖・・RFIDといわれる物体を感知する機能を持った杖
現在開発がすすんでいて、杖が文字通り目の代わりに街を『見て』くれる
その情報を音声で案内してくれる機能も開発されている
歩道に同様のチップを埋め込むことで、弱視の方達も信号情報を得られる機能の開発も可能だ
また、電動式の車イスの開発で、より凹凸の振動が伝わりにくい車イスの開発もすすんでいくだろう
人間の知恵
人間の頭で考えること
知恵をしぼることで
全く新しい価値を生むことで
悲しい対立が一つ減る可能性はある
考えること
生み出すこと
答はゼロから作っていくものなんだね。
考えることが…考え続けることが
幸せにつながっていくんだね
さあ、今日もはりきってたくさん頭を使おう