私はまわりから温厚とか怒ったりしない優しい人のように思われています。
本当は自分をそのように見せているだけなのかもわかりません。
人からよく思われたい、人から嫌な目で見られたくないと思っているが故に・・・
でも、やはり、そのように装っているだけでそんないい人ではないと思います。
確かに、
どんなことを言われても、どんなことをされても、その時に怒りを爆発させたことはあまりありません。
でも、家に帰ってからだんだんとムラムラと怒りがこみ上げてきて我慢できないくらいになります。
すぐに怒る人を瞬間湯沸かし器とか言いますが、私は三日遅れくらいの蛍光灯のようです。
私は嬉しいことがあれば喜び、悲しいことがあれば落ち込んでしまう者です。
わたしは、一喜一憂というよりも、『一(激)喜 一(激)憂』する者です。
喜びの反対語は、『悲しみ』 『憂い』です。
嬉しいこと楽しいことがあった時は、喜ぶことができます。
しかし、喜びの正反対の時、悲しみや憂う時、喜ぶことはできません。
『よろこび探し』でどんなことがあってもいつも喜ぶ秘訣(プラス思考)
昔日曜日の夜にあった
「世界名作劇場(アニメ)」で放送していた
『愛少女 ポリアンナ物語』というのを、よく子供と見ていました。
幼い時に、お母さんを亡くし、
教会の牧師をしていた病弱のお父さんもついになくなって
一人ぼっちになってしまいます。
しかし、ポリアンナには、どんな悲しい時でも、苦しい時でも、
困難や絶望に思えるようなことがあっても、
いつも喜ぶことができました。
なぜ、いつも喜ぶことができたのでしょう。
小さい時から、訓練して練習を積み重ねてきたからです。
病弱なお父さんが、いつもポリアンナにさせていたことがあります。
それは、『喜び探し』です。
悲しいこと、苦しいこと、希望を見出せないような時であっても、
ポリアンナは『喜び探し』をしました。
ある時は、泣きながら必死になって
喜びを探しました。
小さいある時に、あ
る慈善団体から送られてくるクリスマスプレゼントを楽しみに待っていました。
小さい女の子なので、可愛い人形が送られてくることになっていました。
でも、送られてきたものを見たとき、ポリアンナは泣き叫びました。
なぜならそれは、
人形ではなく、松葉杖が送られてきたのです。
お父さんは、病気で寝ていたのですがポリアンナをベットに呼びました。
ポリアンナは、泣きながら
『お父さん・・・今度だけは、どう考えても絶対に喜ぶことができない・・・』と言いました。
お父さんは、『絶対にどんなところにも喜びはあるよ。時間がかかってもいいから、喜びを探しなさい。』とポリアンナを優しく見つめて言いました。
でも正直、お父さんは、ポリアンナに無理な難しいことを要求していると思いました。
そして、かわいそうで不憫(ふびん)に思いました。
でも、それから何日かしてポリアンナが笑顔で嬉しそうに急いで走ってきて言いました。
「お父さん!喜びを探すことができたよ。
人形が欲しかったのに松葉杖が送られてきて、悲しかったんだけど、
ポリアンナは、その松葉杖を使わなくても元気に歩いたり走ったりできるんだね、
これって本当は、素晴らしいことだとわかったよ。」
お父さんも、ポリアンナがどんな状況でも、喜びを探せたことを本当に喜びました。
これ以降も、いろんなことがあるのですが、
ポリアンナはどんなことがあっても喜びを探して感謝しました。
それだけでなく、まわりの人たちもポリアンナの喜び探しをまねました。
まわりの人たちも喜びを探すことができて、
ポリアンナのまわりはいつも喜びで満たされたそうです。
わたしも今日一日、よろこび探しを実践しました。
喜びの反対語は、『悲しみ』 『憂い』です。
一日の終わりに、
「今日いちにちどんな喜べることがありましたか?」と質問すると、
ほとんどの人は別に思い浮かぶことがありませんと答えます。
ですが、明日一日、
どんな小さな些細なことでもいいので嬉しい喜べると思えることを無理矢理でも探してください、
自分のまわりで起こっていることを注意深く観察して、メモにでも記録してくださいと言うと・・・
わたしの今日一日・・・
ボーッとしていると見過ごしてしまうような出来事が・・・
①朝外を歩いていると、綺麗なかわいい花が咲いていた、
じっと見ると幸せな気分になって嬉しくなった・・・
②コンビニで、店員さんが笑顔で挨拶をしてくれた。
気持ちのいい笑顔だった。これも小さいけれど喜びを感じた・・・
③電車で、高校生の男の子が、年配の人に席を譲って、
相手からすごく感謝されていた。それを見ているだけでも、幸せな気分になった・・・
④朝、警備員の人に、笑顔で挨拶をしたら、
相手もニコッとして挨拶を返してくれた。
少しだけ気持ちのいいコミュニケーションが取れたようで喜べた。
⑤喜び探しをしようといろいろまわりを注目していると、
今まで見えなかったようなことが少し見えてきた。
喜び探しをするということは、
まわりを注目してまわりに関心を示すことだとわかった。
そして、まわりに関心を示すと、
まわりも自分に関心を示してくれるということがわかった。
感謝の反対語は、『拒否』 『無視』であるなら、
まわりへの無関心は、まわりからの関心も拒否したり、無視しているということになる。
でも、ある人は、喜び探しは無理矢理喜ぼうとしているようで無理があるのではと言う人がいます。
しかし、プラス思考は、本当にどんなことがあっても、
いつも喜ぶことができます。
プラス思考に考えるかどうかという問題ではないのです。
どんな困難や苦しみがあっても、
いつも喜ぶことができます。
聖書の言葉に・・・
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」と書かれています。
わたしたちのまわり存在する喜びを奪う泥棒とは?
私たちのまわりには、喜びを奪ってしまう泥棒がいます。
第一に、状況が私達の願い通りでない時、私達は喜びを失います。
第二に、回りの人々の存在・言葉・行動が私達の喜びを奪います。
第三に、持ち物の有無とか、欲しいものが手に入ったか入らなかったかとか、
せっかく持っていると思っていたものを失ってしまった、
ということも私達の喜びを簡単に左右し、奪います。
第四に、私達は明日のこともわからない存在ですから、
実に様々な思い煩いによって喜びを奪われています。
しかし、、いくら「喜び泥棒」に出会っても、
決して奪われない喜びを持つことができれば素晴らしいことです。
私達が喜びを失うのは、喜びの土台を、
過ぎ行くもの、変化するもの、頼りないものに置いているからです。
しかし、喜びの土台を、決して過ぎ行かない永遠のもの、変わらないもの、絶対に信頼して裏切られないものに置くならば、私達の喜びはどんな時にも奪われないのです。
少し前にこのブログで書いた
中学生の時に、同じクラスの子がわたしに言ってくれた最高の言葉・・・
『くよくよ考える習慣が頑張っていれば
何とかなるさという楽観的習慣に変わっていた・・・と聞きました。
その時、性格が変わったとか考え方が変ったとかではなく、
くよくよ考える習慣が頑張っていれ
ば何とかなるさという楽観的習慣に変ったと聞き何かが弾けました。
くよくよ考えたり、悲観的に考えて悪い方悪い方に行ってしまうのは『習慣』だと言ったのです。
このポリアンナという女の子も、生まれつきプラス思考ではなかったのです。
父親から何度も何度も教えられたことを、繰り返しているうちに
習慣になったのです。よかった探しの達人になったのです。
わたしたちも願っている性格などをそのようになるまで継続して
習慣になればどんなに素晴らしいことでしょうか。
また繰り返しになりますが・・・
Fake it! Untill you make it!
目標を達成するまで、そうなると信じろ!思い込め!って言っているのではないのです。
達成するまで(まだそれが達成していないともちろん自分ではわかっているのです。)
しかし自分の理想を演じ続けろ!って言うことです。
そうすると、それが習慣となり、潜在意識にとってはそれが現状となり、
『潜在意識の現状維持メカニズム』が発動されて、強力な味方となってくれるのです。
『習慣としろ』っていうことなのです。
『もう一人の自分をダマせ!』
達成するまで、もうひとりの自分(潜在意識)を騙して演じ続けろ!
潜在意識は、演じているかどうか判断できないのです。