湊川神社 ~ 花隈界隈 | minatoのblog 小さな旅・・・

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そういうこと、僕にもときどきありますよ。よくわかります。
I hope you'll have a nice trip. よいご旅行を。(^O^)/

GWも後半となりました。遠方に行かれた方達の帰省が始まる頃ですね。

 
こちらは地元にて長い週末のような感じのGW後半に。

JR神戸駅の近くにある湊川神社へ。表神門からの眺め。
 

大きな境内案内図がありました。規模の大きな神社ですね。境内には、楠公にゆかりのあるものを納めた宝物殿や能楽堂である神能殿、結婚式などのための楠公会館などがあります。また兵庫県内の神社の事務を管轄する兵庫県神社庁の事務所もあります。
 
大楠公御一代記。横山大観の絵と幼少期からの一代記が記してあります。立ち止まって読んでる人も居ました。
楠木正成は、延元元年(1336年)5月25日、湊川の地で足利尊氏と戦い殉節(湊川の戦い)。その墓は長らく荒廃していたようですが、元禄5年(1692年)になり徳川光圀が「嗚呼忠臣楠子之墓」(ああちゅうしんなんしのはか)の石碑を建立。以来、水戸学者らによって楠木正成は理想の勤皇家として崇敬され、幕末には維新志士らによって祭祀されるようになり、彼らの熱烈な崇敬心は国家による楠社創建を求めるに至ったとのこと。
1867年(慶応3年)に尾張藩主徳川慶勝により楠社創立の建白がなされ、明治元年(1868年)、それを受けて明治天皇は大楠公の忠義を後世に伝えるため、神社を創建するよう命じ、明治2年(1869年)、墓所・殉節地を含む7,232坪(現在約7,680坪)を境内地と定め、明治5年(1872年)5月24日、湊川神社が創建されたようです。
 
ご本殿。赤絨毯が敷かれていました。
 
 
本殿東西に配置されたの狛犬。凛々しいお姿。
 
本殿の奥には鏡が見えました。この日は太鼓の音が響き渡ってました。何か催事があるようです。
 
本殿近くを少しぶらぶらしていましたら、雅楽の音色が近づいてきました。神社の行事かなと眺めていたら、雅な結婚式だったようです。
 
厳かな雰囲気でしたが、絵巻物に出て来そうな独特の良い雰囲気。
 
新郎新婦の後に続いて、結婚式に出席する大勢の関係者がゆっくりしたペースで本殿に入って行きました。
 
せっかくなので本殿以外の境内社なども巡りますかね。
本殿東側の境内社である菊水天神社へ。
 
何とも言えない表情をした牛が鎮座していました。微笑んでいるような穏やかなお顔。
 
規模は比較的小さめな菊水天神社ですが、厳かな雰囲気がありました。
 
新緑が綺麗な時期ですね。
 
大きな干支の「戌」、酒造各社から奉納された剣菱、大関、菊正宗、日本盛、白鶴など各種銘柄の酒樽。
 
境内を南下しまして、楠本稲荷神社へ。
紅い鳥居が続きます。
 
稲荷神社なので、狛犬ではなく狐ですね。
 
本殿近くにも狐。2重で見守っているようです。
 
 
規模は大きくないものの、本殿内部はとにかく朱色というか真っ赤な感じ。それでいてギラギラ感がなく落ち着く感じも。天井一面からぶら下がっている提灯が鮮やかで、天井を見上げていますと、なんだか時空を超えていきそうな雰囲気も。
 
境内東南隅には、正成公以下御一族等の墓所(国指定文化財史蹟)がありました。
 
「楠木正成公墓所(国史跡・嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか))、徳川光圀公銅像⇒」とのことなので、そちら方面へ。
 
徳川光圀公御銅像
 
徳川光圀といえば、江戸時代後期から近代には白髭と頭巾姿で諸国を行脚してお上の横暴から民百姓の味方をする、あの黄門漫遊譚の「天下の副将軍 水戸光圀公」(=水戸黄門)のこと。水戸黄門と湊川神社のつながりは、大日本史の編纂の過程で「嗚呼忠臣楠子之墓」を建立し、楠公さんの盛徳を天下に顕彰されたようです。なお、御像は、その功績を追慕した人達が昭和三十年に建立したとのの記載がありました。
 
水戸黄門は講談や歌舞伎の題材として大衆的人気を獲得し、昭和時代には映画やテレビドラマなどの題材とされていますが、これは、『大日本史』の編纂に必要な資料収集のために家臣の佐々十竹、安積澹泊の二人(後の「助さん・格さん」)を諸国に派遣したことや、隠居後に水戸藩領内を巡視した話などから諸国漫遊がイメージされたとのことです。
 
水戸黄門とは、権中納言である江戸時代の水戸藩主・徳川光圀の別称かつ、徳川光圀が隠居して日本各地を漫遊して行なった世直しを描いた創作物語の名称とのことで、かつては専ら『水戸黄門漫遊記』と呼ばれていたようです。
因みに、当時の身分制社会では諱(いみな、英語では true name(直訳すると「真の名」))で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が諱で呼びかけることは極めて無礼であると考えられていたことから、水戸黄門の名は、光圀が徳川御三家の一統である水戸藩の藩主であり、武家官位として権中納言を名乗っていたことから、「徳川光圀」と直言することを避けるために、藩名である「水戸」と、中納言の唐名である「黄門」をとって広く用いられていた別称とのこと。
 
実在の水戸藩主である徳川光圀は、国史編纂(『大日本史』)の為に史局員の儒学者らを日本各地へ派遣して史料蒐集を行っていたようですが、光圀自身は世子時代の鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、諸国を漫遊したという記録は一切確認されていないそうです・・・。光圀は同時代の伝記史料において名君として評されており、庶民の間でも知名度は高く、水戸黄門漫遊譚の成立には、名君としての評判や、幕末における水戸学の浸透が後の物語の形成に影響しているようです。
 
湊川神社の東門を出ましたら、目の前に神戸地方裁判所の建物がありました。
 
遅めの昼食でも食べますかねってことで、第一旭 神戸ラーメン に入ることに。
 
醤油出汁のチャーシュー麺とミニ神戸丼にしてみました。
ラーメンは、チャーシューがてんこ盛りな感じもしますが、一枚当たりの厚さが薄いのと、スープがあっさり系なので、食べやすい感じではあります。
 
第一旭を出た後、JR高架北側の道を西側に向かってる途中、花隈界隈に近づきましたので、食後の珈琲でもいただこうかと、カフェ・ハルさんへ。
 
店内の棚には色々なコーヒーカップが並べられています。
 

お好きなカップを指定して下さいとのことでしたので、しばし迷いましたが、珍しい感じの色のコーヒーカップを選んでみました。

普通のコーヒーの他に毎月更新のコーヒーがメニューに加わりますので、今回は5月のコーヒーをチョイスしてみました。豆はインドネシア産のセレベス アラビカ とのこと。まろやかで美味しかったです。

 

そんなこんなのGW後半も5月5日(土)となりました・・・。

 

(おしまい)

 

(^^)/

 

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こどもの日に飾り付けやイベントごとした?

⇒子供の頃、町ではカーニバルが開催されていたような記憶があります。

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