【再掲載】宝塚歌劇団OGが明か す「私たちの第二の人生の歩き方」 2021年10月8日  | 「ポートレート スタジオ ファイン」 =「ファイン メディア コンテンツ ジャパン」

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宝塚歌劇団OGが明かす
「私たちの第二の人生の歩き方」

【再掲載】

 
2020年9月4日記事に、私の文章を追加。
2021年9月11日 再掲載
2021年10月8日 改訂版
 
私には、宝塚歌劇団のOGが、第二の人生を、
芸能界(モデル、女優、歌手、演奏者、舞踊家、司会者など)で、活躍できないほうが不思議。
 
東宝ミュージカルの主要キャストは、
男性ミュージカル俳優もいるので、
女性の配役で獲得できるのは、
トップ娘役の一部ぐらいかな?
 
 
宝塚歌劇団のしがらみからを、脱皮して、
舞台だけではなく、マルチメディアで、活躍することは可能だと思う。
 
ただし、新たな男性ファンを獲得する必要がある。
 
 
キャスティングのために、年齢、サイズ、特技など、基礎的なデータを公開しよう。
年齢秘密など、すみれコードのままで、
他業界で仕事をするのは無理だろう。
芸名もわからないのに、
仲間内で愛称で盛り上がっていても、
業界人でも部外者はわからない。
 
 
男性は全く知らない
熱烈な女性ファンだけが支える
「夢の世界」=「閉鎖社会」
 
 
OGは、能力も、魅力もあるが、
いつまでも「夢の世界」で、
「現実世界」を生き抜くための、
つぶしがきかない人生。
 
男性ファンの獲得が必要!
 
宝塚退団したのならば、
過去の栄光を振り返るのではなく、
舞台を演じ続けるだけではなくて、
ありのままの自分に、
いったん戻ろう。
 
 
芸能界で活躍したいのであれば、
退団=卒業=再出発の時点で、
男役であっても、
魅力的な女性に変身する
ことが絶対に必要。
 
変身すると言うよりも、
現代の、日本に生きる、
年齢通りの女性でいい。
 
 
厚化粧から薄化粧に、
舞台衣装を脱いで、
水着かレオタードに戻ろう。
 
 
容姿端麗、踊りで鍛えているので、
引き締まったスタイルのいい、
美人だろうと思う。
 
キャスティングのために、
年齢や、身体サイズや、スタイルなど、基礎的データーを公開しよう。
 
特技や趣味なども、ブログ、YOUTUBEなどで、
公開したほうがいい。
 
Twitterでは文字が少なすぎるし、
Instagramの写真では、
容姿がわからない。
 
 
男役は首から足まで、すべて衣装を着ている。
肌を出していないので、美人かどうか、
わからない。
 
セクハラと言われると困るが、あえて述べる。
 
映画でも、ドラマでも、コマーシャルでも、
背が高くスタイルがいい美人と思われる。
 
写真や映像では、舞台と違い、体の一部、
バスト、ヒップ、脚などのアップの撮影があり、
女性的な魅力があるかどうか、
キャスティングするときには、
確認する必要があるだろう。
 
 
 
自然に、明るく、楽しく、自由に。
自信を持って、歩みはじめよう。
 
 
男役であれば、
男になりきっていた、
数年間~十数年間。
 
宝塚を退団したならば、
女優とか、女性ダンサーとか、
基本的には、現実世界の、
一女性に戻るのだ。
 
別の世界では、過去の栄光を捨てて、
新入りとして、
下から階段を駆け上がる必要がある。
 
 
宝塚歌劇団に入団したときの初心に戻れ。
 
娘役のつもりで、衣装や、演技をやり直せ。
男役でも、娘役も、演じられたほうがいい。
 
夢の世界から、現実の世界に戻れ。
 
小林一三先生・宝塚歌劇団が、
宝塚歌劇団の「団員」とは呼ばず「生徒」と呼んだのか、
おそらく卒業後=退団後の人生を考えたのだろうと想像する。
 
初期の頃の歌劇団「生徒」は、退団後、寿結婚することもあるが、女優などになり大活躍した。
初期の頃は歌劇団所属で、映画にも出演したらしい。八千草薫さんなど大女優に成長した。
 
 
ありのままの自分に戻れば、
新たな出発点として、
限りない未来に向けて、
新たな旅立ちができる。
 
新たな方向性を見定めた宣材写真と
そのネット配布では、
私もお手伝いができるかも?
 
ポートレートの理論と技術
を教えます!
 
 
宝塚以上の舞台は歌舞伎を除き無い。
東宝も四季も西洋歌劇の翻訳物が多い。
観劇料金X劇場の観客人数X公演日数が、
総収入の上限になり、それを配分する。
練習をする必要があり、中小の劇場では、
採算に合わない。
 
写真・映像へ進出し、
新たな可能性を開こう。
 
映画やドラマで、主役や主要配役の女優になれる人材が埋没しているのは、もったいないと思う。
 
今は無料でいいし、有名になってから、
お礼程度を、出世払いでかまいません。
販売できるレベルの作品ができれば、
モデル料を支払います。
理論と技術の継承者捜しが主目的です。
連絡方法はアメブロのメールのみです。
 
 
天海祐希は宝塚のトップから芸能界のトップに横滑りではない。
芸能界の階段を下から、誰よりも努力し、早くかけ登っていった。
セクシーな写真集を製作し、マイナーな映像でのセクシー演技もやっているが、短期間で次のステップに進み、知られていない。
 
映画「狗神」(いぬがみ)では映像処理によって、脱いでいないように見えるけれども、
映像分析すると、撮影中は、わずかに、見えちゃっている、見せちゃっている?
セックスシーンを芸能人ではなく、
監督のご子息と演じている。
 
 
他の女優に比べて、
宝塚歌劇団の卒業生(退団者)は、演技、歌、踊り、
人によっては演奏もできる。
 
生徒は卒業し、自分で
仕事を獲得しよう。
 
公演で鍛えられたきれいな体を、できる限り見せた=魅せたほうが、男性の人気が獲得できる。
 
 
 
 
 

配信

2021年ではなく、2020年。

 

FRIDAY

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/2e0f7c13219c23e4a256c6b5a16073e8b6ae83e5?page=2

 

フリーアナウンサーでも多岐にわたる番組をこなすようになった瞳ゆゆさん(提供:宝塚OGサポーターズクラブ)

 

 

新型コロナウイルスのクラスターが発生し、8月2日以降、宝塚大劇場での花組公演『はいからさんが通る』を中止していた宝塚歌劇団が3日、公演を再開した。

 

 

【写真】ピラティス、アナウンサー…第2の人生で奮闘する宝塚歌劇団OGたち 1

 

 

1913年(大正2)の創設以来107年目を迎え、「夢」と「憧れ」を追求する同歌劇団の卒業生には、トップスターだった天海祐希を筆頭に真矢ミキ、檀れいなどがいるが、

芸能界で活躍できる卒業生は

ひと握りもいない。

 

毎年40~50人いる卒業生の多くが在籍年数は10年程度、

ほとんどが20代後半から30歳前半に歌劇団を去る。

 

一度はエリート街道に乗った彼女

たちが、

早ければ20代中盤で直面する

第2の人生の苦労を乗り越えながら必死に生きる宝塚OGたちの話

を聞いた。 

 

「私、どんな時も最初は劣等生ではじまるんですよ」 宝塚歌劇団を2012年に退団した瞳ゆゆ

さんはドラマの台詞にもなるような、しかし意外な言葉を、笑顔も交えて発した。

 

宝塚時代は、笑顔だけで10種類表現できるような厳しい訓練を繰り返し、現在はフリーアナウンサーとして経済、情報、医療、ラジオや司会業など多岐に渡って活躍するが、誰もが憧れる華やかな表舞台の陰で、泣くような思いもしてきた。 

 

中学卒業後、毎年20倍以上の倍率がある

宝塚音楽学校の入試に1回で合格。

令和になった今も「東の東大、西の宝塚」という

日本の難関校に入った、選ばれしエリートだ。

 

2004年3月、90期生として歌劇団に入団。

5つの組と専科がある歌劇団の中で

「ダンスの花組」に配属された。

劇団創設時に1番目に作られた伝統の「花組」への配属は嬉しかった。 「宝塚は毎年全国ツアーがあるんですが、小学校5年生の時に見た『風と共に去りぬ』に出演されていた安蘭けいさんに一目ぼれして入りたい、と思いました。でも音楽学校では、成績が50人中、49番の時もありました」

 

歌劇団には8年在籍。

年数としては少ない部類に入る。

セカンドキャリアとして、在団中に宝塚のCS番組で進行を担当したことがきっかけになり、

フリーの女性アナウンサーを選んだ。 

 

 

◆第2の人生が軌道に乗るまでの   「試練」 

 

ただ、宝塚OGのセカンドキャリアを見ると

フリーアナウンサーは異色だ。

天海祐希のように芸能界からオファーが来る人もいるが、多くは舞台関係の仕事につく

 

しかし舞台だけでは生活は成り立たず、

アルバイトや契約社員との掛け持ちになる。 

26歳からアナウンサー学校に1年間通った

瞳さんも例外ではなく、1日働いても1万円に満たないようなサッカースクールの受付のアルバイトなどもしながら、目指す道の勉強を続けた。

 

宝塚に在団中はSNSを禁止されていたため、

パソコンにもほとんど触れられなかった。

 

メールの送り方や領収書の切り方など

社会人の基本をアルバイトの仕事を通して

学ぶこともあった。 

 

最初は大手の事務所に所属。

希望する仕事のオーディションが回ってこなかったが、

多数のフリーアナウンサーやキャスターを輩出するジョイスタッフに移ると、約2か月でレギュラー番組が決まった。

 

ただ、決まる前までは誰もが経験する試練も味わった。 「5回連続して落ちてしまったこともあります。1日で2度、オーデション不合格の連絡が来たこともあって、その時はさすがに泣きましたね。でもマネジャーの方から『落ちることが普通だから大丈夫』という言葉に助けられました」 

 

6回目のオーディションでつかみとったのは、それまでの人生でほとんど触れることがなかった競馬の番組だった。 「競馬にすごく詳しい方を求めているのではなく、競馬のイメージを変えられることが求められるのかなって思いました。競馬の知識もほとんどなかったので、オーディション前に競馬場にも行き、馬券も買いました。少額でしたが賭けた馬があたって、その楽しさをオーディションで伝え、採用になりました」 

 

特に2016年からつとめた『草野仁のGate.Jプラス』のオーディションでは、事前に「倍率200倍」と聞かされて驚いたが、採用に至る過程で、汗と涙を流した宝塚時代の思い出が蘇ってきた。

 

 

 「オーディションは宝塚時代の役作りととても似ているって思ったんです。

自分のPRだけではなく、メインキャスターの方や番組から何を求められているのか、そこにどう貢献できるか、という視点を加えました。

それは結局、与えられた役に近づけていく宝塚と重なります」 

 

 

宝塚時代、いつも台本は他の人の台詞もすべて覚えた。

するとある公演の開始2時間前に突然、「代役の代役」が回ってきた。

 

成績が下から2番目だと普通は回ってこないというが、台詞、動きを覚えていた瞳さんは千秋楽までの残り10日間、役をそのまままっとうした。 

 

 

競馬の番組でも、一戦一戦に人生を賭けている人の存在を心に留め、払戻金、馬体重、馬番、馬の名前は絶対に間違えないことを肝に銘じ、出走馬の過去の成績もすべて把握してからのぞんだ。さらに、血統を学ぶことで出走する馬への愛着もわいた。

 

宝塚時代から血肉になっているひたむきな努力によって、共演する厳しい解説者からも認められる存在になった。最初は挨拶しても返事もしてくれなかった番組スタッフの態度も、ガラリと変わったという。 

 

 

◆宝塚音楽学校が水面下で

  迎えている危機 

 

瞳さんが競馬番組でのキャリアを元に、現在のような多岐に渡る活躍ができるようになったのは、それぞれの仕事場で求められることが何かを考え、そこにどう近づけていくか、という努力の積み重ねたからだ。

 

その経験を、他の多くの宝塚OGに伝えたいという想いから、コロナ禍の6月、「宝塚OGサポーターズクラブ」を結成した。 宝塚歌劇団は創設100周年を迎えた2014年以降、今に至るまでチケットがなかなか手に入らないほど「熱」は冷めないが、実は音楽学校への受験者数に異変がおきている。ここ数年、その受験者数が少子化の影響もあり右肩下がりの年が続いているというのだ。瞳さんが続ける。

 

 「受験する生徒さんのご両親から『(瞳さんは)宝塚を受験するときに、セカンドキャリアのことを考えていましたか?』と聞かれ、返す言葉に詰まりました。

 

 

今から宝塚を受験されるお子さんの親御さんは不景気の時代を過ごしてきて、将来に不安を抱えています。

私が聞かれた質問を一歩踏み込んで考えると『私たちOGの活躍がまだまだ』と言われていることに等しい。

だからOGサポーターズクラブを通して、OG同士や外部の方と情報交換して、セカンドキャリアでも輝けるような連携をとれればと思っているんです」

 

 

花咲あいりさんは宝塚歌劇団を退団後、ピラティスで第2の人生を歩みはじめた

(提供:宝塚OGサポーターズクラブ) 

 

 

 

 

◆「舞台は宝塚で十分すぎる

  ほど立てた……」 

 

瞳さんと同様、娘役として宝塚に12年在籍した

花咲あいりさんもOGサポーターズクラブ

ひとりだ。

 

 

不特定多数の人から注目される仕事と一線を画して、第2の人生をスタートさせた。2018年に宝塚歌劇団を離れてから、半年間でピラティスのインストラクターの資格を取得。その後、日本母子運動協会が発行する産後運動指導者の資格も取った。宝塚OGの間でもインストラクターの道に進む人は増えているが、安定した収入を得るために1日に3か所を掛け持ちする人もいるという。花咲さんが明かす。

 

 

 「セカンドキャリアにスムーズに入っていけたのは、『卒業してから何をしようか、と探すことだけはやめて』と、両親から言われていたんです。

 

 

私の中では宝塚より大きな舞台はなかった。小さい頃はバレエで海外留学したい、と夢を持った時期もありましたが、バレエだったらこれだけの舞台には立てなかった。宝塚で十分すぎるほど立てたと思っています」 

 

花咲さんの両親はともにプロのバイオリニスト。幼い時期からクラッシックバレエをはじめたが、「日本人のバレエ留学は並大抵ではない」と諭され、ミュージカルへの挑戦に切り替えた。

 

2006年、音楽学校の入試は1発で合格したが、2008年に歌劇団へ進んだ後、在団生で一番背が小さいかったこと(157cm)によって、配役に恵まれない経験もした。 「成績通りに役柄をいただけるわけではないのでもどかしい時期もありました。

 

ちょうど試験前だったんですが、プロデューサーに聞きに行くと、『特に悪いことは無い。でも、何かで目立って“君をキャスティングしたい”と思わせてほしい』と。

 

さらに『次の試験で貴女の結果が見えなかったら、私たちも言わせてもらいます』と言われてやるっきゃない!と。

 

あの出来事が分岐点でしたね」 その後、劇団レッスンを誰よりも多く受け続けるような努力の甲斐もあり、その試験で成績を残すことが出来た。「大きな才能を与えられたかどうかはわからない。でも努力する才能は与えられたと思う」という両親の言葉は、今後も花咲さんの生きる糧になるだろう。 

 

宝塚音楽学校の校訓「清く、正しく、美しく」をもとに、厳しい稽古や規律の中で磨かれた彼女たちが、舞台を離れても輝き続けられる場を提供したい。

 

そう考える瞳さんの「母校愛」を形にできれば、チケットがなかなかとれない宝塚の魅力は、舞台の枠を超えて今以上に広く社会に認められるはずだ。

 

 ◆瞳ゆゆさん

 

 ◆花咲あいりさん

 

 

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