日月神示=ひふみ神示=一二三神示  【 小里一六二三】 新訳 日月神示  朗読 | 「ポートレート スタジオ ファイン」 =「ファイン メディア コンテンツ ジャパン」

「ポートレート スタジオ ファイン」 =「ファイン メディア コンテンツ ジャパン」

美しい日本の自然、繊細で優雅な日本文化、匠の技の日本製品、綺麗で魅力的な日本女性。日本文化・日本文明・日本政治経済の情報発信です。写真・映像・映画の企画・撮影・編集・公開。ポートレート・ファッション・グラビア。マルチメディア・デジタル・コンテンツの創造。

 

日月神示=

ひふみ神示=

一二三神示

 

 

 

 

朗読

 

【 小里一六二三】

新訳 日月神示  

01 上つ巻  

 

朗読なので、聞いていればいい。

 

 

約二日間で、

横になって休んだり、

何かをやりながら、

全巻を聞きました。

 

現在の日本や世界の

警鐘と指針です。

 

詳細は別の機会に述べます。

 

 

 
昭和48年頃だと思いましたが、
名古屋で開催された会合ののち、
団体で湯の山温泉に移動して、
ロープウエーで御在所岳に登り、
山上のロッジで宿泊しました。
 
日本各地から青年(男女)が集まり、
日本の文化、歴史や、世界文明の勉強、
交流会を実施しました。
参加者は108名でした。
 
私の大学生時代の想い出です。
あれから約50年、仲間は日本だけでなく、世界的に拡大しました。
 
 
日月神事を知ったのは、
その2~3年後のことだと記憶しています。
 
 
昭和40年代の末頃、
まだ学生の頃、伊勢神宮に初めて参拝。
名古屋から伊勢市まで、近鉄急行で行き、
ものすごく時間がかかったことを思い出しました。近鉄は特急ばかりとわかりました。
 
 
 
昭和50年代の初め、
東京から名古屋経由で、
伊勢神宮を参拝。
滝原宮や伊雑宮にも行きました。
外宮から天岩戸経由で、
志摩磯部までバスが当時はありました。
 
伊雑宮の最寄り駅は近鉄の上之郷という
志摩磯部の一つ手前、
各駅しか止まらない無人駅です。
駅からすぐです。
 
滝原宮は、鉄道もありますが、
当時は特急バスがありました。
お宮の前に止まりました。
 
 
 
その帰りかどうか
記憶は定かでありませんが、
菰野町=湯の山温泉へ行き、
至恩卿 しおんきょう
日月神事の伝承者
岡本三典氏(岡本天明氏の後妻)
に会いました。
 
 
広島の千代田町に居住していた、
大本教の元幹部、
日月神示の伝承者 泉田瑞賢氏
に会いに行きました。
 
「日月神事 日本大予言」などの著者です。
 
「神示の世界経綸書」
全10巻、限定500部を刊行しています。
 
 
 
大本教の亀岡や綾部に行ったのもその頃です。
 
大本については、
批判的な小説「邪宗門」で初めて知り、
其の後、「大地の母」を読み、
興味をもちました。
 
私自身、大学を卒業して、就職して、
きわめて多忙でした。
 
ある団体に所属して、
そちらのほうも活動。
 
 
大本とか、日月神事に興味はあっても、
深入りは、時間的に、経済的に、
できませんでした。
 
岡本三典さんは、東京でも勉強会を開催していたと記憶しています。
 
中矢伸一氏が「日月神事」を研究し、
社会に広めました。
その功績は大きいと思います。
大本・真光など宗教団体との関わりは、
あったはずですが、隠しています。
 
 
私は、「日月神示」や「ひふみ神示」のことを、存在は知っていて、
所有もしていましたが、
全巻の朗読を聞いたのは初めてです。
 
このたび、「岡本天明伝」をアマゾンで購入、クロネコヤマトが配送、概略を読書しました。
 
 
大本の大正期の東京布教の拠点は、
「君の名は」で有名になった
「東京・四谷総鎮守の須賀神社」です。
 
昭和神聖会は新宿区四谷(東京市四谷区)の愛住町(あいすみちょう)にあったそうです。須賀神社の近くです。
四谷三丁目のあたりです。
 
人類愛善会の東京拠点は新宿区霞ヶ丘。
旧明治公園、現在の新国立競技場。
ホープ軒の前あたりです。
現在は、外苑西通り沿いの渋谷川は暗渠ですが、当時は川として流れていたでしょう。
岡本天明が勤務していました。
 
フーチといわれる神霊交流が行われていました。
後に代理留守神主になった千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の近くでした。
自宅は代々木八幡の近くの小田急線沿いだったそうです。
 
 
岡本天明は戦時中に、
千駄ヶ谷の鳩森八幡神社の代理留守神主をしていました。
代々木八幡の紹介でした。
鳩森神社には富士塚があります。
 
岡本天明はやめて、引っ越しするように
神様のお告げがあったそうです。
 
その直後に、千駄ヶ谷の鳩森神社に空襲があり、神主の奥様と家族が被災し、亡くなったようです。
 
昭和30年代、私が小学生のころ、
四谷と千駄ヶ谷は至近距離で、
自転車で鳩森神社へよく行きました。
 
現在の鳩森神社はさらに立派になったようですが、その頃は木造で、神社の本殿は再建されていました。
 
 
岡本天明は成田市のお告げを受けた神社の近くに引越しして、ひかり教会を設立しました。
うまくいかず、奥様はなくなり、岡本三典さんがかなり年齢差がある後妻となりました。
 
 
「北に気をつけよ」の神示は、昭和19年のようで、第二次世界大戦終了のソビエトの日本侵略を指すかもしれません。
現在に日本のことかもしれません。
 
もともと共産主義には批判的なように感じます。ロシアについても・・・
 
ただし、日本の海の向こう側に宝物があるとか、神示の後半は善悪を決めつけたり、戦ってはならないと述べています。
 
 
「石屋」とは手を握れ
とも書いています。


日本とユダヤは戦うのではなく、協調したほうがいいと、
大本関連の教団では
考えているようです。