【シナリオセンター】
日本随一のシナリオライター養成スクール
新井先生は成城学園の卒業生、東宝の社員でした。小林一三先生の援助で設立。
後継者のお子様は2人とも成城大学。
映画、テレビ、演劇、イベント、アニメ、ゲーム・・・
すべて脚本、台本、シナリオが基になっています。
創設者の新井一氏は
成城中学を卒業。
東宝に勤務していました。
お子様は二人とも
成城大学を卒業。
お嬢様が跡継ぎの社長。
講師はお弟子さんが中心。
港区の神宮前。
青山通り、青山学院の斜め前。
スーパー紀ノ国屋の渋谷より、
北側へ、裏の道あたりに、
学校があります。
横の道を北上200メートル、2つ目の角を右折して
右側にビルがあります。
シナリオ・センター創設者の新井一は、
「シナリオを書くことで、創る側も観る側も考える力が身につく」と
「テレビは日本人の考える力を奪う『一億総白痴化の箱』」と言った
ジャーナリストの大宅壮一に対抗。
(大宅壮一文庫は京王線の八幡山駅近くにあります。)
この考えを粋に感じた大宅から、シナリオ・センターを創設する際、「新井さんが目指すのは『一億総シナリオライター化』」と言葉をもらう。
1915年1月1 日東京生まれ。理髪店の長男として生まれ、成城中学卒業後、理髪師、美容師として、理容学校の教師を勤める。
その後水産講習所(現水産大学)入学。
卒業後魚河岸の魚河岸新聞「魚商通信」の編集に従事。
戦中、「魚の配給に軍部の不正あり」と公表した為「事変惑乱罪」で逮捕される。出征後、無罪となる。
劇作家川村花菱に師事し、戦後、劇作家として「ボス」(新国劇)などを発表。文春企画、東宝映画で映画企画に参画。
東宝の総帥小林一三の肝いりで、東京映画の企画室長に。
テレビ創世記には、テレビ部長を兼任し、
映画企画にあたり、また脚本家として活躍。
東宝のドル箱シリーズ「喜劇駅前シリーズ」ほか300 本の映画脚本を執筆、
ラジオ、テレビを含めると2000 本以上にも及ぶ。
映画業界で、東宝の社員でありながら脚本家との2 足のわらじをはいていたのは新井一がはじめて。
「映画やテレビは藝術ぶらず
みんなが楽しめなくちゃ」が
口癖で、喜劇が得意だった。