昔の日劇ミュージックホールのような、綺麗で、明るく、楽しく、セクシーな劇場が、復活されてもいい | 「ポートレート スタジオ ファイン」 =「ファイン メディア コンテンツ ジャパン」

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昔の「日劇ミュージックホール」のような、綺麗で、明るく、楽しく、セクシーな劇場が、復活されてもいい。

 

日本だけでなく、世界の富裕層や有識者を楽しませる、ショーやレビューをやろう。

 

洋風と和風の踊りの、両方があったほうがいい。

 

 

 

小林一三先生が丸尾長顕を指導して、「日劇ミュージックホール」に関わっていました。



日劇ミュージックホール - Wikipedia

 

 

 

2016年8月制作 

 

2023年12月 第5改訂版

 

 

 

東京は国際観光都市ですから、昔の「日劇ミュージックホール」のような、綺麗で、明るく、楽しく、セクシーでお色気のところが、復活されてもいいのではないかと、真面目な私は思います。

 

 

パリでは「ムーラン・ルージュ」や「Lido」などで、ショーを開催しています。

 

日本女性の美しさ、優しさ、おもてなしの心が、

「日本を守り、地球を救う。」

世界支配者はファミリーでもあるが、

未婚の男性集団でもあるらしい。

 

四季のある美しい日本の風景。

お色気・セクシー日本女性。

 

世界支配とか、物と金を独占する幼稚な心を

高尚な精神に転換させる。

日本攻撃をやめさせる。

平和な防衛力になりうる。

 

 

 
大人の男性が、男女一緒で、

健全に楽しめるところがほしい。観光客の誘致にも役立ちます。

 

 

 
昭和時代の女優やダンサーは、
仕事として上半身ハダカなんか、当たり前だったのです。
綺麗な体を映画やテレビで見せていました。
 

 

「日劇ミュージックホール」は、ストリップではなく、あくまでショーのステージです。

 

大きな劇場ではなく、出場者は一人から数人、観客は数百人ぐらいと記憶しています。

 

 

 バストは見せていますが、アンダーヘアは衣装からはみ出さないように、きれいに剃っていました。
当時は陰毛は猥褻でした。女優は映画で前バリをしていました。後にアンダーヘアは許容されるようになりました。 
 
現在のモデルやダンサーは陰毛を脱毛しているでしょう。衣装が透けても、ずれても、目立ちません。
 
2015年頃までは、舞台やステージで、写真・映像をアップで撮影できるのは、写真・映像カメラマンに限られていました。
 
モデルやダンサーやレースクイーンの一部は、ステージでミニスカートにパンストのみの衣装もありました。
 
 
 
日劇ミュージックホールのダンサーは、性器をハイレグ衣装で、しっかり隠しており、たまにひもなしで、貼って隠す衣装もありました。


いやらしさは全く無く、綺麗な肢体で、セクシーダンス、女性客も現在の宝塚歌劇団の男性客数以上の人数が来ていました。

 

 

「はとバスの夜のコース」に組み込まれていました。

赤坂の[「ミカド」とか、吉原の「松葉屋 花魁ショー」とか、コースだったと思います。

 

 

劇作家の丸尾長顕が日劇において設立。東宝小林一三から「女性が見ても上品なエロチズムの探求」という承諾を受けてスタートする。以降、数多くの優秀なダンサーたちやコメディアンをそれぞれ輩出した。

特別な演目として三島由紀夫寺山修司新藤兼人武智鉄二山口清一郎高林陽一勅使河原宏らが脚本を手がけた。

 

日劇ミュージックホール」は、かつては日本劇場の上にありました。

日本劇場解体後は旧東京宝塚劇場」の上に移転しました。
男は上の「日劇ミュージックホール」、
女は下の「東京宝塚劇場」でした。
 

1952年に日本劇場(日劇)5階の小劇場に開場し、

有楽町再開発に伴って有楽町センタービル(有楽町マリオン)が同地にできるときに

興行場所を東京宝塚劇場に移動し、1984年に閉場した。

 
 
その頃の宝塚歌劇団の映像を見ると、
トップスター自らハイレグ衣装
で踊っています。
 
 

 

 
 
小林一三先生が丸尾長顕を指導して、
日劇ミュージックホールに関わっていました。
 
 

丸尾 長顕まるお ちょうけん、1901年4月7日 - 1986年2月28日)は、作家演出家

大阪府生まれ。本名・一ノ木長顕(ながあき)[1]。1918年(大正7年)、関西甲種商業学校(現・関西大学第一高等学校)を卒業後[2]、1922年、旧制・関西学院高等部商科(現・関西学院大学)卒業[3]

1928年「芦屋夫人」が「週刊朝日」の懸賞に入選、モダニスムの代表作といわれる[4]

宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の文芸部に所属し、同歌劇団機関誌「歌劇」の編集長も務めた。

1933年上京し「婦人画報」編集長となる[5]

戦時中、陸軍省情報部長嘱託となったため、戦後一時公職追放[6]

1951年小林一三に請われて日劇ミュージックホール・プロデューサーとなり、

メリー松原伊吹マリジプシー・ローズ等の肉体美を擁し、洗練されたヌードショーを披露、同ホールの黄金時代を築き上げた[7]

 

今となっては極秘事項だったかも?
 
 
白井 鐵造しらい てつぞう1900年4月6日 - 1983年12月22日)は、宝塚歌劇団の演出家。
宝塚歌劇団元理事長。
レヴューの王様と謳われ[1]、
宝塚レビューを形成した第一人者である。
1928年、宝塚歌劇団創始者小林の命により
レビューの本場パリへ渡欧。
 
本場のレビューに圧倒された白井は約2年間の修業を積み、
1930年、帰国後第1作に『パリゼット』を発表。
全20場・上演時間1時間半の大作であり、
ダチョウの羽を使った羽根扇、
タップダンス、
それまでは白塗りだった舞台メイクがドーランになり、
足を高く挙げる振付のラインダンス
などが日本初登場した。

また、この作品の主題歌で白井が作詞を担当した
「すみれの花咲く頃」
「おお宝塚」
などの現在まで歌い継がれている愛唱歌も誕生した。
 
 
欧米のレビューやショーでは、トップレスのダンサーもいます。男性のダンサーもいます。
 
「宝塚歌劇団」ではできない衣装・演出を、「日劇ミュージックホール」でやったのではないかと、私は思います。
 
英雄豪傑色好みというのではなく、大衆娯楽の提供を考えていました。
 
 
売春禁止が決まったのは昭和34年頃です。
昭和時代には、全裸で性器を見せる、ストリップ劇場は、各地にたくさんありました。
現在は、浅草のロック座、渋谷の道頓堀劇場、新宿のたしかニューアート、川崎のロック座などが残っているはずです。
 
 
大人と子供の境界、一般女性と商売女の区分、昭和時代では、はっきり分けられていました。
成人男性は、護る女性と、遊ぶ女性を、完全に分けていました。
キャバレーで、店は許容し、女性は合意して、女性の体を触れたので、痴漢は少なかった。
正妻以外に愛人がいても、その女性の生活を支援する財力があれば、社会的に寛容でした。
 
 
 

東京にはかつて、日劇ダンシングチームと松竹歌劇団SKDがありました。


有楽町の日本劇場、浅草の国際劇場で公演されていました。


日劇ミュージックホールは

舞台衣装を着て踊ります。

 

はっきり覚えてはいませんが、上半身が裸である衣装が多かったと記憶しています。
現在復活するためには、トップレスでなくても、ダルマでレビューでもいいですね。

 

女優として活躍するダンサーも
かなりいました。
 
舞台で活躍した人気ダンサーが、
東映とか日活の映画
にも出演していました。
主役、脇役、敵役などの主要キャストです。

 

 


宝塚歌劇団でレビューをやりますが、
観客の女性たちはけっこう楽しんでいます。


拍手をして、女性観客たちは、老いも若きも乗り乗りです。

 

男性観客は口々に、「芝居以上にレビューが良かった」と言っているのが聞こえます。


 

宝塚歌劇団の卒業生、30歳代まで活躍できた主要キャストは、宝塚に青春を捧げたのだからいいとしても・・・

 

20歳代半ばで退団した生徒たちは、もっと活躍したいでしょう。

 

 

 

YOUTUBEでみただけです。
見ているとちょっと可愛そうに思います。

才能を持て余していますね。

 

今後、2・5次元ミュージカルが数多く創作されるようですが、主たる観客は女の子。
女性キャストよりも男性キャストが有利。

 

東宝ミュージカルに出演できるのは、ごく一部のトップ娘役でしょう。

男性については、宝塚歌劇団と違い、男性俳優が演じます。

 

 

商業演劇は欧米の作品の翻訳物がほとんどです。

日本の伝統に基づきつつも、現代劇がもっとあっていい。

日本のミュージカルが創作されるべきだと思います。

 

歌、踊り、芝居ができる宝塚卒業生は、
もっと芸能界で活躍していいと思うけれども、

ファンは女性ばかりで、男性に知名度がない。

 

 


男性で宝塚歌劇団を見たことがある人は少ないでしょう。
頻繁に見ている人など、業界関係を除けば、ごく一部の暇人か。
ほとんどの男性は、時間が空いたら、観ても良い程度の関心でしょう。

 

一般人は生徒の芸名もわからないのに、愛称で呼び合って、身内と熱狂的なファンという閉鎖社会で盛り上がっていますから、部外者は全くわかりません。
 

 

私は芸能界のことはまったく知りませんが、

芸能事務所の力関係というものはあるようです。

 

 


東京で、レビューをやればいいのにと思います。

東宝が宝塚の若手卒業生を使って、既存のレビューの規模を縮小して、観客収容人員が500人ぐらい、出演者が10名ぐらい、都内近郊の劇場を借りて、レビューをやれば、けっこう人気が出るのでは・・・

 

宝塚のレビューだけであれば、公演回数は1日に3~4回ぐらいできるし、すでに稽古は宝塚歌劇団でやっていて、衣装は本公演のお古を使えば、採算は会うはずです。

 


踊っているダンサーは、若い女性なのだから、男性観客に見てもらいたいというのが、ごく自然な気持だと思います。

 

 


都内近郊の男性にレビューを観てもらえれば、年齢にかかわらず、男性ファンが増加します。

 
業界で活躍できたり、企業広告・イベントに採用してもらったり、寿結婚できたり、進路が開けるでしょう。

 

 

 

 

かけたお金と努力のわりに、報われているのは、
男役・娘役ともにトップ近くだけという感じがします。

 

 

2018年追記

この文章を書いた後に、NHKで放送された「小林一三物語」を宿泊先のホテルで見ました。

前後2回に分かれており、前半だけです。

 

池田の阪急文庫へ行き、小林一三先生の業績を調べました。

東急のお手本は阪急で、東京でも小林一三先生は大活躍をされています。

東京では意図的に表に出なかったようです。

無報酬で企画を授けていたらしいのです。

 

先生の業績の一部に、芸能があり、小説創作が好きでした。

宝塚歌劇団の初期には、ご自分で書いた脚本があり、2冊を速読しました。

ムーランルージュやブロードウェイを視察されました。

日劇ミュージックホールにも関わっていたことを初めて知りました。

 

 

2018年8月追記

世界の支配者たちはおそらく男性の集団。

ファミリーの可能性もあるが、

結社の可能性もある。

世界支配とか、物や金の独占とか、唯物的な人生観です。

 

そのような野暮なことはばかばかしいと教えましょう。

 

美しい自然の中で、

美人たちの踊りを鑑賞して、

楽しく生きる人生観を

日本人は教えてあげましょう。

 

東京宝塚劇場の前には

帝国ホテルがあります。

 

 

 

 

 

 

今までのファンクラブ中心の女性客とは別に、

男性客を中心に(ご夫妻でもいい)、当日席も残し、1時間半程度で、歌とダンスを、

新宿あたりか、東京郊外の市民ホールで公演することをすすめます。