モデルや女優。着物姿で色気の魅力。着物・浴衣の着付け。ポートレートスタジオファイン 2018年版 | 「ポートレート スタジオ ファイン」 =「ファイン メディア コンテンツ ジャパン」

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モデルや女優。

着物姿で色気の魅力。

着物・浴衣の着付け。 

ポートレートスタジオファイン  

 

 2018年6月版 文章を更新

2020年11月 改定版

2022年9月 再改定版

 

 

成人式、卒業式、結婚式、お正月など

一般女性が着物を着る場合は、

着付けの先生の指導に

従ってください。

 

 

今回このブログで述べるのは、

女優やプロモデルが、

衣装として着物を着る場合です。

 

 

大規模撮影会では、モデルが着物や浴衣の場合、着付けの先生が着付けをしています。

個人的にモデルを撮影する場合、浴衣については、自分で着付けができるモデルを撮影しています。

 

撮影中、モデルは、隣の部屋とか、物陰で、

あっという間に着替えてしまいます。

洋服を着替えるのと同じぐらいに、素早く衣装を替えます。


きものの女王(日本、東京、各地)

きもの装いの女王(装道)、

京都五花街の舞妓・芸妓はん、

浅草(「花やしき」)の振袖さん、

全東京・東京・写真連盟撮影会、

きものファッションショー

(清水とき、千總=ちそう、西陣織)

東映京都女優(太秦映画村)・・・

 

女性きもの写真を数多く撮影させていただきました。

 

 

撮影はしていますが、公開していないのが真実ですが、複数の日本舞踊家の踊りを鑑賞しています。

 

 

 

京都の舞妓・芸妓は、京都だけでなく、出身地は日本全国です。
まさしく映画「舞妓はレディ」のように言葉遣いから仕込まれます。
京都の五花街は、日本舞踊、三味線、長唄・清元、茶道な、華道ど日本伝統伎芸を厳しく修行しており、極めて伝統的な世界です。



浅草の振袖さんは、浅草の花柳界の芸者さんではなく、浅草観光振袖学院の社員です。

 

東京の花柳界は高齢者が多いようです。

高級料亭は減少して、芸者さんも固定化していると聞いています。

 

ごく最近は、浅草の花柳界は復活しています。

向島は継続して人気があるようです。

夜間に行ったことはありません。

 

「浅草の振袖さん」から「花やしき振袖さん」に移行しました。
浅草のおかみさんの会の運営から、浅草の伝統的な遊園地の運営になりました。
 

社員の間は給料制で収入・身分は保証されています。
人により差がありますが、概ね20歳代の数年にわたり在籍して、やがて卒業します。
京都に比べて近代的なシステムで簡素化されており、アメーバブログもやっています。


http://ameblo.jp/furisodesan/





私の周囲には、年配者ですが、東京でも、

いつも着物を着ている女性がおられます。

私の亡くなった祖母は明治生まれですから、

日常的に着物を着ていました。

日本画の美人画、江戸時代の浮世絵、

数多く鑑賞しています。



それらを総合して思うことは、

江戸時代とか、戦前とか、

昔はゆったりと着物や浴衣を着ているように見えます。

 


現代の着付けについては、よくわかりませんが、
モデルは縛られているようで、かなり窮屈そうです。


芸者さんは、首の周囲や背中を

開けて着物を着ていますが、
これがほんのちょっとのことですが、色っぽく感じられます。


黒田画伯の「湖畔」をみますと、
浴衣を着ている美女がうちわであおいで湖畔で涼んでいる構図ですが、美女の胸は結構開いていて、これがまた色っぽいのです。

 

映画女優が温泉や浴場に入るシーンでは、

東映女優や日活女優は、裸になり、

乳房は見せて、前側のみ手ぬぐいで隠して、

入浴するのが一般的でした。


浴衣とは、文字どうり浴衣で、西洋的にはパジャマやガウンみたいのものなのでしょう。

時代とともに服装は変わっていいし、

日本舞踊でも夏は浴衣で踊っていますし、

お祭りも、花火大会も、みな浴衣です。
浴衣で繁華街を歩いても、

何ら問題はないと思います。


私が思うことは、着付けの先生とは意見が違うと思います。
モデルは自分の魅力を色気で表現してもよく、
浴衣までぎゅうぎゅうじめにして着付ける必要があるのか

ということです。


日常的に着物を着ている人々が多い京都では、夏には夏用の着物を着ています。

洋服に夏服、冬服があるように、私はよくわかりませんが、着物にも夏服があるようです。

私の周囲にいる日常的に着物を着ている人々は、夏でも着物を着ています。





日本の伝統的な着物の着方が

「着付け」と思っていました。
しかし、どうもそうではないらしいのです。


戦前までは日常的に着物を着ていましたから、

着付け教室などなかったのだそうです。

 

 


江戸時代の女性を浮世絵で観る限り、
現代よりも緩やかに着物を着ています。


現代のように、ぎゅうぎゅうきつく縛り上げるのではなく、緩やかに楽に着ています。


胸がはだけていたり、裾がまくれていたり、
かなり肌が出ていて、洋服なみです。


浮世絵だからそのように描いたのではなく、
実際にそのよう着ていたらしいのです。


水着やセクシー衣装を撮影したモデル・グラビアアイドルの着物姿を撮影すると、
いつもと違って、ぐっとおしとやかで「大和撫子」に変身して魅力的です。

 

モデルやグラビアアイドルやレースクイーンの日常の衣装はセクシー衣装です。


着物姿でも、色気=セクシーな姿
(胸がはだけるとか、裾がまくれるとか、洋服のドレス並でいい)をした方が、

女としての魅力が感じられて、
人気がでると思います。

 


モデルやグラビアアイドルや女優が着物姿で撮影をする場合、
芸妓のような首の周りや背中を開けた着付けをやって、

舞妓や芸妓に変身するのも面白いでしょう。
 
京都の芸妓は、自前の着物です。
着物を着るときに、前側の重なる部分を、
帯に止めて、折り返して、踊ると裾が乱れます。
 
日本舞踊は一般的には立って踊りますが、
両足を開いたり、座ったり、飛び跳ねたり、横たわる場合も、
お座敷や舞台での芸妓・舞妓ではありました。
 
お茶屋のお座敷のことは秘密です。
花街は見ざる、聞かざる、言わざるが徹底。
舞妓・芸妓はもちろんのこと、
お客様も秘密厳守です。
 
 
コスプレ衣装では、ミニ浴衣もあり、
グラビアアイドルであったモデルの撮影会で
撮影したことがあります。

 

 

(舞妓・芸妓にもよるが、

芸妓は首の周りや背中を大きく開けて着付けをしており、

舞妓は首の周りは閉めているが背中は開けている場合が多い。)

 

2015年6月に東京六本木ヒルズアリーナで、

高島屋&京友禅老舗千總(ちそう)のきものショーがありました。

ここの設備は舞台であり、洋楽に合わせて、

日本舞踊ではなく、ダンスのようにをどりました。

 

同じイベントの最終日、京都から舞妓・芸妓40名が着付けをしたまま新幹線で上京、

舞妓が「祇園小唄」、上七軒歌舞会が「上七軒夜曲」、宮川町歌舞会が「宮川音頭」を踊りました。

そのときに芸妓は、着物を完全に体に巻き付けず、裏返しにして足が見えるようにしていました。

 

 

京都の花街には、伝統的な着付けのやり方があり、舞妓の着付けについては、男性の専門に着付けをする人がいます。「おとこしさん」というらしいですが、どのような漢字かはわかりません。

 

良家の子女が、卒業式や成人式や結婚式で
そのような着付けをやってはいけません。

 

 



現代では、浮世絵は美術品として考えられていますが、本当は現代の写真誌のようなもので、

浮世絵は版画であり、出版文化であったのです。

 

 

広告のような浮世絵もあったし、
名所解説付きの絵図もあったし、
春画(グラビアどころかポルノ)もありました。

 

ほとんどの浮世絵作家は、春画も描いていました。

葛飾北斎も、風景画だけでなく、春画も描いていました。

それを基に彫り師が彫り、刷り師が刷ったのです。版元が現在の出版社です。



着付け教室ができたのは、実は戦後だそうです。
その時に今のような着物の着方にしてしまったようです。

 

日本が占領されていた時代背景があったのかもしれません。

 

戦後でも、もっと遅く、東京オリンピックの前のころという話もあります。

ここの部分は、詳細にはまだ調べてはいません。
着付けの関係者からそっと聞いたという話を、信頼できる人から聞きました。
正確な情報を求めています。

 

 

水着の上に浴衣や着物を羽織るモデルが以前いたことがありますが、着物そのもの、浴衣そのものが、一般女性が着る衣服です。

洋物と和物のアンマッチであり、グラビアアイドルとしての感性を疑います。

着物の下着は肌襦袢です。

 

歴史的事実として、日本女性は着物の場合、腰巻き・襦袢だけでパンティはありませんでした。

ましてブラジャーなどなかった。

明治の女性である私の祖母は、下着は襦袢でした。

 

日本女性がパンティをはくようになったのは、白木屋の火災で女店員が恥ずかしがって転落してしまった大惨事以降と聞いています。

 

乳房の大きいモデルや女優は、

胸を補正してつぶす必要はなく、

乳房の下側で帯を結べばいいと思います。

 

太秦映画村の新人女優で胸が大きい女性がいましたが、無理に補整すれば女性の魅力は失われ、ただのデブになってしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

浅草 振袖さん 照さん (浅草観光振袖学院)

 

浅草 振袖さん 照さん (浅草観光振袖学院)

 

 

 

以上 浅草 振袖さん 照さん (浅草観光振袖学院)

2010年 浅草寺で撮影 (現在は撮影会はできない)

花柳界とは別に、浅草のお店が中心となり、会社組織。

 

現在では「花やしき 振袖さん」になりました。

会社員として20歳代の数年間を勤務しています。

舞踊はSKDの流れをくむ新舞踊らしい。

 

浅草や上野の料理店、屋形船、イベントなど、

一見さんの制約は一切ない和風コンパニオンとして、

気軽に呼べるようです。

 

 

 

以上は東京写真連盟の10年ぐらい前の撮影会

場所は埼玉県川口市 「川口グリーンセンター」

川口市の北部は植木屋さんもありましたが現在は不明です。

「キューポラのある街」は川口ですが、川口市の南部です。

鋳物工場はなくなり、高層マンションになりました。

 

モデルは「吉野まみ」

水着が多く、グラビアもやったようで、着物は最初で最後。

つきっきりでポーズや表情づくりを教えました。

 モデルの現況は不明です。

 

 

 


 

 

 

 

 

 

以上は全東京写真連盟 2007年 新宿中央公園

モデルはすでに卒業。全東京写真連盟以外の撮影会にはでない。

本業は大企業のOLらしい。芸能界からの誘いを断った。

現在は新宿中央公園での撮影会はできないらしい。


京都 先斗町歌舞会 舞妓 (本物) 鴨川をどり2017

 

祇園甲部歌舞会 舞妓 芸妓 「祇園小唄」

 

 

 

 

以上 祇園甲部歌舞会 舞妓 芸妓 「祇園小唄」

京都 花の宴 2017年 祗園甲部歌舞練場 特設舞台

(都をどり2017は京都芸術劇場「春秋座」で開催)