★大橋巨泉 逝く
1934年(昭和9年)3月22日 東京・両国生れの大橋巨泉さんが、 2016年(平成28年)7月12日に亡くなったことが公表された。巨泉さんというと、ある年代以上の日本人ならば、以下のような高視聴率を誇ったテレビ番組を思い出すはず。個人的には、小4~小5の頃に放送され、「アッと驚くタメゴロー」「ゲバゲバ・ピー」「うーしししし」が流行語となり、クラスで見ていないのは余程の馬鹿真面目な家庭の子だけという程の高視聴率を誇った、ショートコント連発番組「ゲバゲバ90分!」が一番衝撃的だった。ゲバゲバPのイラストもよくノートなどに描いて遊んだ。高校生になってからは11PMもよく見ていたが、巨泉さんの司会が楽しみで見ていた訳ではなく、10代の私は当然ながら基本オネエサンのハダカが見たくて見ていた。それと、11PMはどちらかというと巨泉さんよりも藤本義一さん(1933年1月26日-2012年10月30 日)の司会の方がダンディで好きなのだった。
【大橋巨泉 司会の人気番組】
1) 『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(1969年10月7日~1970年3月31日、1970年10月6日から1971年3月30日;日本テレビ系列)
2) 『11PM』 (巨泉司会は1966年4月~1985年9月;日本テレビ制作の月曜・金曜放送分)
3) 『お笑い頭の体操』 (1968年2月~1975年12月;TBS系列)
4) 『クイズダービー』 (1976年1月3日~1992年12月19日の全862回中、巨泉の司会は「セミリタイア宣言」に伴って降坂した1990年3月31日放送の第734回まで;TBS系列)
5) 『世界まるごとHOWマッチ』 (1983年4月7日~1990年4月5日;TBS系列)
★11PMの司会者、大橋巨泉さん、藤本義一さん、愛川欣也さんは何れも昭和一桁終盤に生を受けた同世代であったが、巨泉さんの死でその3人全員が鬼籍に入られたことは残念としか言えない。平和、護憲、憲法九条を守る、戦争放棄、同じ過ちは絶対に繰り返してはいけないという強い思いは3人に共通していた。それは基本的には先の戦争を体験した同世代であったためだろう(同じ昭和一桁生まれでも改憲派や目には目を的な武力行使も良しとする保守層も存在するが、それは真の世界が見えない大馬鹿者というものであろう)。
巨泉さんが週刊現代(講談社)に長期間連載していた、コラム『最後の遺言』の最終回(2016年7月9日号)の内容は次の通りである。
「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです。」
テレビを始めとするメディアは、巨泉さんの死後にこの遺言についても一応紹介はしたが、あろうことか最後の「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。~最後のお願いです」という部分は省いて紹介された。これはメディア側が与党・自民党の先生方に睨まれることを怖れたためだったのではあるまいか。
★閑話休題
今回は大橋巨泉さんの逝去に因み、自動車カタログ棚からシリーズ第322回記事としてダイハツの軽商用車「巨泉ハイゼット」(通称)をご紹介します。
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★1960年(昭和35年)秋にボンネット型スタイルで初代L35型がデビューしたダイハツ・ハイゼットは、2016年現在で56年の歴史を誇る我が国の軽商用車の中では最も古い車名である(スバルサンバーは発売が1年遅い1961年で軽商用車の車名の歴史の長さでは2位)。
1964年(昭和39年)4月に2代目となるキャブオーバータイプのハイゼット・キャブが発売され(1966年秋にフェロー・ピックアップ/バンが登場するまで初代ハイゼットも併売)、4年のモデルライフを経て1968年(昭和43年)4月に登場したのが3代目S37系ハイゼットである。
★3代目ハイゼットは、「巨泉ハイゼット」のニックネームの由来となった大橋巨泉の黒縁メガネ顔を彷彿とさせる太い縁の付いた角型ヘッドライト周りのデザイン、大阪万博開催に向け電気自動車仕様のリリース、初期は前開きドアを採用、橙色リアウインカーの採用、トラックの荷台に2名分の座席を設け4名乗りとした客貨兼用車の設定等が特徴であった。
正確なモデルチェンジ時期は資料が見当たらず不明ながら、1968年春に登場後、1969年(昭和44年)秋にはドアが特徴的な前開きからより一般的な後ろ開きに変更され、更に翌1970年(昭和45年)秋には左右ヘッドライト間に太いバーが入り、より一層、巨泉のメガネのような顔つきとなった。1971年(昭和46年)秋の東京モーターショー前に4代目S33系にフルモデルチェンジ。3年強という短いモデルライフに終わった世代ながら強烈な個性を放つエクステリアがとても印象的である。エンジンはガソリンとオイルを別々に注入し、回転数に応じて自動的にオイルを供給するオイルマチック水冷2サイクル356ccで出力は最初の23psがマイナーチェンジ毎に若干引き上げられ最終型では26psを発した。デビュー時のラインナップは、バン・スーパーデラックス、バン・スタンダード、トラック低床1方開き、トラック平床3方開き、トラック客貨兼用車の5種であった(電気自動車を除く)。後にトラック低床3方開き、平床1方開き、パネルバンが追加された。
【主要スペック】 1968年 ダイハツ・ハイゼット・トラック平床3方開き S37T型(1968 Daihatsu HiJet Truck Type.S37T)
全長2990㎜・全幅1290㎜・全高1620㎜・荷台長1660㎜・ホイールベース1680㎜・車両重量525kg・FR・水冷2サイクル直列2気筒356cc・最高出力23ps/5000rpm・最大トルク3.5m-kg・乗車定員2名・最大積載量350kg・変速機4速コラムMT(2・3・4速シンクロ付)・最小回転半径3700㎜・平坦路定速燃費26km/ℓ・燃料タンク容量25ℓ・最高速度85km/h・東京店頭渡価格32万円
★1970年 ダイハツ・ハイゼット・バン電気自動車「ナショナル」
1970年10月の第17回東京モーターショーで配布されたダイハツ総合カタログ 乗用車編に掲載されていた写真。水色/白/赤のナショナル松下カラーと背景の青果店や「はきもの」の看板という昭和の風景がなかなか魅力的な1枚。このハイゼット電気自動車は初期型S37ベースだが、電気自動車仕様は後期型でも造られている。但し、電気自動車の専用カタログが存在するのか否かは不明。
★1968年 ダイハツ・ニューハイゼット 本カタログ (A4横開き・日本語20p)
1968年12月発行。初版は68年4月(?)で表紙右下に「新発売」の文字が入る。3代目S37系ハイゼットは毎年1回、モデルライフ中に2回マイナーチェンジをしているため、本カタログ、簡易カタログ共に3種ずつ出ているようです(残念ながら現在手元のカタログ棚にはこの1部しかありません)。くっきりした角型ヘッドライト、触角のような異様にステーの長いミラーが何とも印象的な顔です。
【中頁から】
実力№1の軽商用車・バン スーパーデラックス
ニューハイゼットが颯爽と登場!
バリエーション(バンstd・トラック低床1方開き・トラック平床3方開き)
バン スーパーデラックス
外観ディテール
Bピラーに付く丸型サイドマーカー、角型ヘッドライト、橙赤2色テールライト
クリーム/赤ツートンのバン スーパーデラックス室内
バン スーパーデラックスの内装他。バンのリアゲート、サイドドアは共に横開き。
バン スタンダード
バン スタンダードの室内。スペアはリア床下吊り下げ。
トラック低床1方開き
トラック低床1方開きの各部
トラックのテールライトも橙赤の2色
トラック平床3方開き
トラック平床3方開きの荷台。低床・平床の各積載例。
最小回転半径は3.7m。
狭い路地もスイスイ。
サスペンション・ブレーキ・安全設計。
360cc23psエンジン
ジェットバルブ方式エンジン解説。右上:ガソリンスタンドにて。
荷台に2名分のシートを設けた客貨兼用車。
ダイハツ池田工場全景・営業拠点・鰻登りの登録台数。
裏面: 図面・スペック。左下は姉妹車のフェローバン/ピックアップ。
★1969年 ダイハツ総合カタログ 商用車編 (縦20cm×横21cm・日本語8頁)
1968年10月の第15回東京モーターショーで配布されたと思われる商用車総合カタログ。表紙・裏表紙は初期型S37ハイゼットの正面。
【中頁から】
バン スーパーデラックスとトラック低床1方開き
★1971年 ダイハツ総合カタログ 商用車編 (縦20cm×横21cm・日本語12頁)
1970年10月の第17回東京モーターショーで配布されたと思われる商用車総合カタログ。表紙は左右ヘッドライト間に太いバーの付いた最終型3代目ハイゼットとデルタ。
【中頁から】
バン スーパーデラックスとバン スタンダード。ドアが後ろヒンジ前開きから一般的な後ろ開きとなり、左右ヘッドライト間に太い黒のバーが付いた。元々前開きで設計されていたため、後ろ開きにしたためにヒンジが外に露出した。この最終型ではサイドマーカーも丸型から縦長に変更され、上のスーパーデラックスではミラーが丸型から小判型に変えられた。
トラック平床3方開きスタンダード
トラック低床1方開きデラックス(上)とスタンダード(下)。デラックスはホワイトリボンタイヤを履きミラーが小判型。
トラック平床1方開きデラックス(上)とスタンダード(下)。DX・stdの相違点は低床と同じ。
荷台に2名分の座席を設けた客貨兼用車
パネルバン
★オマケ(その1): 1969年~1971年 日本テレビ「ゲバゲバ90分!」
冴えたギャクセンスは現代でも通用しそうです。8分前後にトヨタ・ダンプも登場。
★オマケ(その2): 1969年 大橋巨泉 パイロット万年筆 テレビCM
そもそも芸名が「俳号」から来ている俳人「巨泉」。「みじかびの、きゃぷりきとれば、すぎちょびれ、すぎかきすらの、はっぱふみふみ」というアドリブ言葉遊びで大ヒットした名CM。 パイロットは1918年(大正7年)1月27日「株式会社並木製作所」を東京で創業、1938年(昭和13年)パイロット萬年筆株式会社、1989年(平成元年)株式会社パイロット、2003年(平成15年) 株式会社パイロットコーポレーションと名称を変えながら既に約1世紀存続している企業。
★オマケ(その3): 1979年? 大橋巨泉 ハウス食品「本中華」 テレビCM
この「ナンチュウカ、ホンチュウカ」もヒットした。「うまかラーメンうまかっちゃん」や「好きやねん」は現在も継続販売されているが、この本中華は生産中止に。でも、あれは美味しかったと再販を望む声も多いらしい。ハウス食品は、1913年(大正2年)に大阪・松屋町で創業とのことなので、既に1世紀を超える歴史を持つ食品会社。個人的には「ハウスバーモントカレーだよ~♪秀樹、感激!」のCMが大ヒットしたハウスバーモントカレーが思い出深い。
★オマケ(その4): 1980年代 大橋巨泉 ロート製薬「パンシロン」 テレビCM
時代はくだり、このCMは覚えている人も多いのでは。ロートの前身「信天堂山田安民薬房」は1899年(明治32年)に大阪・東心斎橋で創業、「ロート」の商標登録が1908年(明治41年)12月5日というから、製薬会社として1世紀を超える歴史を持つ。
★オマケ(その5): そんな本日のホットウィール
初代ハイゼットL35はバンダイ、2代目ハイゼットキャブS35は野村トーイからブリキ製の金属モデルがリアルタイムに出たが、残念ながら3代目・巨泉ハイゼットには現在に至るまで市販のミニチュアモデルが存在しない。でも、オマケにミニカーがないのは寂しいということで、これは先日ブラッと入った玩具店で税込み1台300円で買ったミニカー。007アストンマーチンDB5、007ムスタング・マッハ1、バットモービル。ブリバリ用と保存用で2台ずつ買っておこうか少々迷ったが、際限なく増えるのでそこはググっと堪えて1台だけ入手。ホットウィールの国内定価は300円(税抜)との情報があるが、トイザらスでは199円、通販サイトでは129円と更に安かったり、逆に500円、600円、1000円等で売られている店もあったりして人気度にもよって新品でも値段が変動するものなのか?どうもよく分からない。