★1965年 フィアット2300S クーペ ハイウェイの貴婦人 ~ 自動車カタログ棚から 125 | ポルシェ356Aカレラ

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フィアット(Fiat)は1899年(明治32年)にトリノで創業した長い歴史のあるイタリアの自動車メーカー。日本には明治末期より大倉財閥の大倉喜七郎が創立した輸入会社・日本自動車の手により連綿と輸入されてきた。なお、現在街で見かける郵便配達用の郵便車は、1912年(明治45年)に日本自動車が輸入したフィアット2台が使われたのが最初。フィアットは自動車のみならず航空機やトラクターのメーカーとしての歴史も持ち、現在は老舗アルファ・ロメオ(Alfa Romeo)やランチア(Lancia)を傘下に収めるイタリア最大の自動車メーカーである。

1960年(昭和35年)11月のトリノ・ショーにカロッツェリア・ギアが出品したフィアット2100ベースの2+2クーペは、そのプロポーションの美しさ、、プレーンかつエレガントなデザインで好評を博し、翌1961年(昭和36年)に2100クーペとしてフィアットのカタログモデルとしてデビューした。セダン用の2054ccエンジンは3個のダブルチョーク・ウェーバーで140psに強化され最高速200㎞/hを公称した。ブレーキは当初から4輪ディスクが標準であった。1962年(昭和37年)にはセダン系のモデル・チェンジに追随して2300ccとなり、セダンと同じ130psで最高速175㎞/hの標準グレード(ノルマーレ)とダブルチョーク・ウェーバー2個の150psで190㎞/h以上に達する2300Sの2種となった。車重は1230㎏、165-15のピレリー・チンチュラートをはき、ファイナルは2300が3.9、2300Sは更に3.636と高められていた。日本には1968年(昭和43年)の生産終了まで当時のフィアット正規輸入代理店・日本自動車(本社・赤坂溜池)と西欧自動車(本社・新宿歌舞伎町)により少数が輸入された。エレガントなプアマンズ・フェラーリの異名を持つクルマだったが、日本国内では270万円(初任給2万円前後の時代のこと、現在の貨幣価値では概ね10倍の3000万円弱程度)とけっして庶民が手に届くようなクルマではなかった。

★ル・マン24時間に優勝するなど優れたレーシングドライバーであると同時に優れたモーター・ジャーナリストでもあった、ポール・フレール(Paul Frère:1917年1月30日-2008年2月23日:フランス生まれベルギー国籍:日本ではCG初代編集長・小林彰太郎氏と親交が深くCG誌への寄稿でよく知られるようになった)が、このフィアット2300Sクーペを自ら購入しその思い出を自伝の中で次のように綴っている。

パリと南仏アヴェンヌの間で、典型的に路面の不整なフランスのB級路をポルシェ356で飛ばしていた時、ポルシェ356の快適とは言えない乗り心地と過大なノイズのことをしきりに考えていたことを、今でもよく覚えている。1960年代に入ると、運転して楽しく、ほとんどポルシェ356並みにも速く、それでいてポルシェ356より遥かに乗り心地のよい車が市場に現われ始めた。絶えず成長する私の子供達のことも考えて、私は1962年の初め、居住性も良いフィアット2300Sクーペを手に入れた。この車にはポルシェ911Sに乗り替えるまでの5年間、距離にして9万㎞も乗った。そのエンジンは元フェラーリのアウレリオ・ランプレーディの設計した半球型燃焼室の6気筒OHV136psで、ツインチョーク・ウェーバー38DCOEを2基備えていた。音までもフェラーリと似ており、エンジンが十分馴染んでからはフルスロットルではほぼ200㎞/h出た。このフィアットは私にとって初の4輪ディスクブレーキを備えた車で信頼性も高かった。私が持っていた間に当時出たばかりのハロゲンランプを装着したが、それは夜間のドライブに素晴らしい効果があった。ナルディはこれに短いリモートコントロール・ギアレバーを取りつけた(メーカー標準仕様は長くクランクしたシフトレバー:カタログ画像参照)。フィアットでジアコーサの後任者になったオスカー・モンタボーネは、標準の5J×15.5インチホイールを5.5Jに換えてくれ、お蔭で過度のアンダーステアが大いに改善された。
(ポール・フレール自伝「いつもクルマがいた」より抜粋)

★1965年(昭和40年)以降は、セダンの2300エンジンのクーペ用S仕様への換装はアバルトの工場で行われていた。アバルトは「フィアット・アバルト2300S」(1963)により1963年4月1~5日にかけて行われた国際Dクラス(2000~3000cc)の速度記録に挑戦している。記録挑戦のために排気量はフィアット版より若干アップされ2323ccとし、新しい燃料供給システムと排気システムが組み合わされて助手席にはクイック・リリースの燃料キャップが付いた大型補助燃料タンクが設置された。165psのパワーから220㎞/hの最高速を出し、96時間で14,750㎞を走破し平均約177㎞/hの速度記録を樹立している。
アバルト・チューンの2300Sクーペは1963年には幾つかのレースにも参加、当時ツーリング・カーの王者であった3.8リッター・ジャガーにも勝るほどの好成績を残した。上記のポール・フレール氏は7月14日のニュルブルリンク12時間にルシアン・ビアンキと共にフィアット・アバルト2300Sクーペで出場し、クラス優勝と総合2位に入賞という好成績を残している。

【主要スペック】 1965年 フィアット2300Sクーペ
全長4620㎜・全幅1630㎜・全高1365mm・ホイールベース2650mm・車重1290kg・FR・水冷直列6気筒OHV2279cc・150ps/5600rpm・20.0kgm/4000rpm・4輪ディスクブレーキ・変速機4速MT・乗車定員4名・燃費9.5km/L・最高速190km以上・日本国内での販売価格:270万円(2300セダンは215万円)

●1964年発行 フィアット総合カタログ (横21×縦18cm・10頁)
1912年(明治45年)から1968年(昭和43年)までフィアットの輸入を行なっていた大倉財閥の日本自動車株式会社発行版。なお、日本自動車は戦前、「くろがね三輪トラック」の前身「ニューエラ号」の製造もしたメーカーで本社は赤坂溜池に存在した。1960年代に入ると新宿歌舞伎町に本社のあった西武グループの西欧自動車もフィアットの日本代理店となり1968年までのフィアットは両社で販売されていた。
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※中頁から
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●1965年発行 フィアット2300Sクーペ カタログ (B5判・英文10頁)
カタログNo.2130。裏面には1960年代にフィアットの輸入代理店となった新宿歌舞伎町の西欧自動車の印が押されている。表紙は文字のみですこぶるシンプル。
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※中頁より
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1960年代のイタリタン・スポーツの典型的なコックピットの眺め。シフトレバーが真っ直ぐでなく折れ曲がっているのが2300Sの特徴。
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実用性が高そうなスクエアなトランク
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いかにも乗り心地が良さそうな分厚いシート
$1959PORSCHE356Aのブログ-65年5中シート座り心地良い
このクルマはリアビューが特に美しい。繊細かつ上品。
$1959PORSCHE356Aのブログ-65年6中リアビュー美しい
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※裏面スペック
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●1966年発行 フィアット2300Sクーペ カタログ (B5判・英文8頁)
カタログNo.2284
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※中頁より
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座り心地の良さそうな分厚い前後シート。センターアームレストのある後席も快適そうだ。
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相当入りそうなトランク。ポール・フレール氏は荷物満載で家族旅行にも出かけたのだろう。
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※裏面スペック
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★オマケ(その1): マーキュリー1/43スケール 1964年フィアット2300Sクーペ
伊マーキュリー品番23。国内当時輸入価格400円。ボンネット・ドア・トランクのフル開閉ギミック付。1960年代の欧州製ミニカーらしい渋い魅力に溢れた1台。赤1st、シルバー2nd。
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★オマケ(その2): イチコー(一宏工業) 1/17スケール 1964年フィアット2300Sクーペ 教習車
全長27㎝。当時定価:都内800円/全国840円。実車では在り得ない左ハンドル2ドアクーペの日本国内の教習車仕様。21世紀に入って古い玩具店の倉庫から発掘された品物。リモコン操作で前後左右に動きルーフとトランクの表示灯が点滅する何とも賑やかなギミック付。ノーマル仕様も発売されていた。
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★オマケ(その3): 実車 動画
2台の2300Sクーペでランデブー走行している動画。リアウインド・ピラーの細さは驚異的。後方視界は抜群だがエアコンがないと夏場は苦しそうだ。ヨーロッパにはフィアット2300Sクーペのオーナーズクラブがあり、毎年開催されるオーナーズ・ミーティングの動画もYouTubeには多数アップされている。