★戦前から三輪トラックを製造してきたダイハツ(「大阪」の「発動機製造」が転じた社名)は、1950年代当時主流だった1トン積み三輪トラックと零細商店が使用していた自転車やオートバイとの間を埋める超小型三輪トラックとして、1957年(昭和32年)8月にダイハツ ミゼットを発表した(本格販売は同年12月より)。
★ミゼットの開発・生産は、終戦の1945年(昭和20年)まで本土決戦用の戦闘機を生産していたダイハツ系列の旭工業がおこなった。
発売から5年前の1952年(昭和27年)秋にミゼットの開発がスタートした際の目標は以下の5点だったという。
(1) 300kgの荷物が積載出来て、取扱いが簡単な三輪自動車とする。
(2) 全国に200数十万軒あると言われる従業員2人以上の小規模事業所・商店をターゲットとする。
(3) 低価格で販売し維持費もかからない経済的な実用車とする。
(4) 六甲山を無理なく登れるパワーとする。
(5) 安全性の高い車とする。
★果たして、発売されたミゼットは184000円 というオートバイ並の低価格(10回までの月賦払いも可能)、当時のスクーター・軽免許で運転出来たこと、維持費もかからないこと、何よりオートバイにはない屋根が付いて安全であることなど開発当初の目標の大部分をクリアしたクルマとなり、それまで自転車やオートバイを配達に使っていた零細業者を中心に爆発的にヒットした。
ミゼットは、印象的な「街のヘリコプター」の宣伝コピー、楠トシエさんの歌ったCMソング「ミンミンミゼットの歌」、そしてABCテレビで1958年(昭和33年)4月~1959年(昭和34年)2月に放送された「やりくりアパート」の佐々十郎と大村昆さんのコンビによる生コマーシャル(録画装置のなかった当時のテレビ放送はCMも全て生放送だった)といった効果的な宣伝も大ヒットに繋がった。当時の日本人でミゼットの名前を知らない人はいないような人気者になったのであった。
販売台数は、試験販売的であった1957年354台、1958年9659台、1959年39815台、そして丸ハンドルのミゼットMP型と併売された1960年には実に86471台(日本車初の月産5000台を達成)と物凄い勢いで伸びた。
●ミゼット(midget)車名の由来: 英語で小人、極小型の意味から、小回りが利くとても小さなクルマ
【主要スペック】 1957年ダイハツ ミゼット(DKA型)
全長2540mm・全幅1200mm・全高1500mm・車重305kg・強制空冷2サイクル249cc・最大出力8ps・最小回転半径2100mm・バーハンドル・3速・乗車定員1名・最大積載量300kg・最高速60km/h・販売価格184000円
●1958年7月発行 ダイハツ ミゼット カタログ (18×14cm・4つ折)
このカタログには復刻があるが、復刻品は表紙の右上に折れ筋が印刷されていること、全体に写真がボヤけていて色合いも異なることが識別点。
※中頁から
※裏面スペック
●1958年10月発行? ダイハツ ミゼット カタログ (18×15cm・3つ折)
※中頁から
●1959年5月発行 ダイハツ ミゼット カタログ (21×11cm・4つ折)
佐々十郎と大村昆さんのコンビが登場する傑作カタログ。開いていくと2人の全身が現れる仕掛けになっている。
※中頁から
●1959年10月発行? ダイハツ ミゼット カタログ (B5判・8頁)
※中頁から
●1960年2月発行 ダイハツ ミゼットDSA型カタログ (21×10cm・4つ折)
この時期には丸ハンドルのMP型も併売
※中頁から
●1960年5月発行 ダイハツ ミゼットDSA型カタログ (21×10cm・8頁)
※中頁から
●1959年10月? 価格表
セルなしDKA型184000円、セル付DK2型193000円、丸ハンドルMP2型228000円。
全車種10回分割払いの場合にはトータル1万円高となっている。
★オマケ(その1): 1959年 ABCテレビ「やりくりアパート」 ミゼットCM
★オマケ(その2): 光球商会 1/15スケール 1957年ダイハツ ミゼット
箱には「街のヘリコプター」のコピーとミンミンミゼットの歌の楽譜と歌詞が印刷されている。バーハン・ミゼットの当時物ミニチュアが沢山発売された中では出来が良いモデル。
★オマケ(その3): メーカー不詳 1/43スケール 1959年ダイハツ ミゼット
ホワイトメタル製。エブロ製よりずっと重く、モデルワム製よりも全体に出来が良い。1/43なのでエコーモデル製のHOスケールよりずっと大きい。以前から箱なしで手元にあり製造メーカー不明(メーカーを御存知の方は御教示ください)。
※丸ハンドルのミゼットMPについては別項でご紹介する予定です。