8/2(金)灼熱の京都―汗と渇きのぶらり旅 3日目〜その1~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 今日の予定で決まっているのは、午前中にNIEの京都大会に行って元同僚と会うだけ。それまでどこかへ出かけるわけではありませんし、ここから今日の会場である京都経済センターへはバス1本で行くことができます。
「楽勝、楽勝。ごはんだって、四条大宮ならなんでもあるでしょう」
今朝もゲストハウスのお粥をいただいて、8:30頃、最寄りのバス停から46番の市バスに乗りました。


 四条大宮で降りると、京都経済センターはバス停の目の前。ここからどこかへ出かけるのは、ちょっと面倒です。午前中はお粥パワーでなんとか乗り切ることにします。
 今日は元同僚で、現在は大阪市立の小学校で先生をしている方とお会いする予定です。昨日はもともと仕事の都合で参加できず、2日目だけ参加すると言っていました。
「じゃあ、会場でお会いしましょう」
とゆるく約束していたのですが、始まる前にちゃんとお会いすることができました。


 今日のプログラムは、特別分科会と公開授業・実践発表です。9:00から始まる第1部は、京都市立御所南小学校の公開授業を見学しました。大きな部屋の中央をパーテーションで区切り、4年生の2つの授業が同時に行われます。
 最初に見たクラスは、「どうしたらより祇園祭のみりょくが伝わるかをさぐろう。」というめあてがホワイトボードに貼られていました。子どもたちはそれぞれ4人くらいのグループに分かれ、机上には彼らが作った新聞が置かれています。これを、実際の新聞と比べてどこが違うかを探り、自分たちの新聞をより良いものに改善していこうという活動です。
 子どもたちは自分たちが作った新聞を模造紙に貼って、空いているスペースに改善点を書いていきます。どのグループも、子ども同士でこうしよう、ああしようと話しながら、的確に「こうしたらもっと良くなる」という点を見つけていました。言葉で伝えるということの難しさと面白さ、そして可能性を、子ども自身でしっかりと掴んでいるように見えました。
 もう一つのクラスのホワイトボードには、「写真の効果を生かして祇園祭のみりょくを伝えよう。」と書かれていました。
 子どもたちは、最初は自分が選んだ写真と選んだ理由を端末に入力しています。それをみんなで交流させた後、新聞において、どんな写真を使えばよいかということを検討していました。
「きっと、写真で何を伝えるのかということが学習のゴールなんだな」
写真によって読者に訴えかけることもあれば、写真によって文章の理解を補足することもあるでしょう。それは、読者にどんなことを伝えたいかという作り手の意図によります。
 しかし、子どもたちの考えはもっと深いところにあったのかもしれません。子どもたちが伝えたいのは祇園祭についてではなく、「祇園祭のみりょく」。ただ祭りの様子が分かっても、それで十分だとは言えないのです。
 どちらの授業でも、子どもたちは「読む人の立場」というものを考えていました。
「自分が子どものとき、ここまで考えられていただろうか」
小学生の時の私も、「誰かに伝えたい」と思ったことは確かです。しかし、ここまで深く考えてはいなかったというのも確かす。この授業の子どもたちは少なくとも、自分たちの新聞をもっとよいものにしたい、そう考えているのです。
 子どもが「◯◯したい」という気持ちを引き出す。保育現場は、それをしなければ成り立ちません。子どもがやりたいと思わないものをやらせることは、とても難しいのです。学校でもそれは同じでしょう。例えば漢字を覚えるとか、九九が言えるようになるとか、学校で身につけるスキルはどれも大切です。先生たちはそれらのことに対して、「やりたい」「できるようになりたい」と思わせなければならないのです。
 公開授業で子どもたちは、自分たちの新聞を作るという目標に向かって、「やりたい」「できるようになりたい」と活動していました。公開を前提とした授業ですから、当然その準備や検討も重ねてきていることでしょう。それにしても、子どもたちが生き生きと活動する姿は素敵でした。
 また、新聞を友だちと作るという点も自分が子どもの時と違っていたように思います。
「自分が作った新聞を掲示する」
というのが、私が子どもの時のゴールだったような気がするのです。
 この授業のテーマの一つが、対話でした。友だちとの対話だけでなく、情報との対話ということもおっしゃっていました。つまり、自分の考えと向き合い、他人の考えに触れるということでしょう。出来上がった新聞を読んでもその人の考えに触れることはできますが、友達と一緒に作れば、作りながら自分の考えと向き合ったり、自分とは違う考えに出会ったりできるのです。
 記者だって、一人で新聞を作るわけではありません。取材した内容が記事になるまで、何人もの人がその文章を読み、検討し、編集していきます、子どもたちがしていたことは、大人がしていることとまったく同じだったのです。
 授業後の協議会で、会場から「先生(授業者)が考える祇園祭の魅力とは何か」という質問がありました。これはそのまま、子どもたちに祇園祭のどんなところに気づかせたいかということになるでしょう。
 授業者の先生は、「祇園祭を愛し、大切にしている人がいるということです」とおっしゃいました。新聞で伝えるのは、情報だけではありません。そこにどんな人たちがいて、どんなふうに生きているか。どんな思いをもっているのか。人間の姿そのものも、新聞が伝えるべきものでしょう。
 このような学校での活動を通して、子どもたちがこの社会で自分らしく生きる力をどんどん身につけていってほしいと思うのでした。