8/1(木)灼熱の京都―汗と渇きのぶらり旅 2日目〜その3~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 平安神宮の境内に入るとまず、規模の大きさに圧倒されます。その社殿は、桓武天皇が開かれた当時の平安京の正庁、朝堂院が約8分の5の規模で再現されているとのこと。今の平安神宮でも十分に大きいと思うのに、実際にはこの1.6倍もあったとあれば、当時の都の人々にとても太刀打ちできない存在であることを示すのに十分な大きさだったはずです。


 この炎天下、そしてこの酷暑。広い境内を歩いて拝殿に行くと考えただけでも気が遠くなりそうですが、他に行くところもありません。「それなら宿舎で休んでいればいいじゃないか」という声が聞こえてきそうですが、動いていないといられない私なのです。


 参拝を終えても、時刻はまだ10時半すぎ。NIE京都大会の受付開始時刻までは、まだ1時間半ほどあります。とりあえず、会場の入り口を確認して、さらに時間調整のために歩くことにします。それに、12時から受付ということは、それまでに昼食をとっておかなければなりません。しかし、あまりお腹は空いていません。8時に食べたチーズのパンが結構なボリュームだったので、まだそこまで空腹でもないのです。ということは、歩いて少しはお腹を空かせておかなければなりません。


 疏水を渡り、流れに沿って二条通まで下がってから西に進むと、東大路通との交差点の角にお寺が見えました。こちらは、妙傳寺という日蓮宗のお寺。そしてそのすぐ南には、聞名寺。明眼地蔵というお地蔵さまらしく、メガネがないと生活ができない私はそっと手を合わせておきます。ひと区画ごとに寺があるのではないかと思うくらい、京都は寺が多い街。規模の大きなものから小さなものまで、いったいいくつの寺があるのか想像もつきません。


 そのまま歩いていくと、次の仁王門通との交差点のところにポッポというお店がありました。入り口の看板には「COFFEE & CURRY」とあります。


「カレーなら、なんとか食べられるだろう」
お店の入り口のドアには、赤い文字で「喫煙OK」と書かれ、その隣には「Smoking 喫煙 OK,Child 子供,NO」とありました。なかなか主張の強さを感じる張り紙です。


 恐る恐る店の中に入ってみると、カウンターの向こうに男性が一人だけ。煙草を吸っている人は誰もいません。昔の刑事ドラマの一場面のように、あたりが煙で白く見えるような店内を想像していましたが、ひと安心。
「どこでもどうぞ」
 この店のマスターらしい柔らかい笑顔の男性が言いました。
 カウンターの中央には何かが載っています。どうやら、かき氷やさんなんかで見る、あのブロックの氷です。それを、私が不思議そうに見ていたからでしょう。
「今、氷屋が持ってきたんよ」
と教えてくれました。
「昔は2つで45円、今は1,200円もする。普通の店では出せんよ」
それを贅沢にも、お冷やに入れて出してくれました。
「普通の氷とやっぱり違うんですか?」
「そりゃあ、違うよ。ゆっくり溶けるから、味が薄まらん」
いつもは夏でもホットコーヒー派なのですが、そう聞くとアイスコーヒーが飲みたくなります。気がつくと、
「じゃあ、アイスコーヒーとカレー、お願いします」
と注文していました。


 カレーを待っている間、朝採れだというきゅうりを切って出してくれました。これがなんともうまい。
「昔のきゅうりみたいに、ちゃんと味がしますね」
「ほうじゃろ。最近のはあかん」
おっちゃんも自慢げです。


 カレーもとても美味しく、普通のカレーやさんとはひと味違います。
「カレー、美味しいです」
と言うと、
「うちはカレー屋です」
ときっぱり。いや、喫茶店だと思っていましたが、そうおっしゃるのですから、カレーやさんなのでしょう。
 しかも、肉がうまい。こちらは、甥っ子さんがお肉屋をされているからだと言います。
 おっちゃんのおしゃべりは、食べ物の話にとどまりません。
「そこに電車の写真、あるやろ」
と、今度は京都市電について語り始めました。この店の前の通り、東大路通は、1978年(昭和53年)の京都市電廃止の時まで電車が走っていたところなのだそうです。
 この京都を走っていた車両は15両が広島にやってきて、今でもその多くが活躍しています。私にとっても懐かしさを感じる写真。それを話すと、
「そうかぁ」
と、おっちゃんは嬉しそうです。
 おっちゃんによると、さらに昔は、ここから蹴上へ向かって走る路線もあったこと(京都市電蹴上線)や、
「もっと昔は、木屋町を市電が通りよったらしいですわ」
といったことも話してくれました。
 店内にあった古い路線図を指さすので見てみると、確かに河原町通には線路が通っていません。今の木屋町には電車と車が一緒に走れるような通りはないので、まだ車が普及していない時代のことでしょう。
 旅から戻って調べてみると、木屋町を走っていたのは京都市電木屋町線。1926年(大正15年)に河原町線が四条河原町まで延伸され、その後、木屋町線の二条木屋町―四条小橋間が廃止されるうまでの話のようです。
「おっちゃん、どんだけ市電好きなん……」
しかも、おっちゃんのおしゃべりは続きます。
「その地図(路線図)、東海道本線が東山を抜けとらんやろ」
今の東海道本線に乗って京都駅から大津方面へ向かうと、東山トンネルと新逢坂山トンネルという2つの長いトンネルを抜けます。けれど、路線図には山科から大津へ抜ける線路がないのです。
「昔は奈良線の方をまわってたらしいわ」
こちらも後で調べると、おっしゃる通り。トンネルができるまで、山の南側を迂回するようにして通っていたようです。
「こういう昔のことが大好きな鉄っちゃんもいるんだなぁ」
美味しいカレーと冷たいコーヒー、そしておっちゃんのおもろいおしゃべりを堪能したのでした。