4/28(日)e-道再申請 香港の旅 2日目~その2~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 まずは、線路沿いに少し戻って、達德公所というところへ向かいます。少し高くなっている道路から下の方に、何やら古めかしい建物が見えてきました。これが一つ目の見どころらしい、達德公所という建物でした。


 日本語の情報が乏しいので、まず白水社 中国語辞典のネット版で「公所」について調べてみると、その意味は「役場」「同業組合事務所」とありました。さらに、Google翻訳や中国語版の維基百科を参考にしてみると、この達德公所の建物の一つ、大德殿が建てられたのは、1857年だとわかりました。中華人民共和国の前の中華民国よりさらに前、清の時代に遡ります。
 アヘン戦争後の南京条約が結ばれ、香港島の永久割譲が決められたのが1842年。1857年時点では達德公所がある新界地域はまだイギリスの植民地ではありません。つまり、イギリスの植民地になるよりも前の香港が、ここには残っているのです。
 私たちがよく知っている香港は、イギリス領になった後の香港でしょう。しかし、イギリス領になる前にも香港には人々が暮らしていたはずです。私たちが知らない香港の歴史。それを物語るものの一つが、この屏山文物徑なのです。


 先ほどの聚星樓の横を通り過ぎ、次の見どころらしい上璋圍を目指します。歩いて行くと、右手に池があり、そのまわりにたくさんの幟が立っていました。「天后誕」という文字が見えるので、いかにここ香港で天后誕が大切にされているかが想像できます。


 池の真ん中には小さな島があって、いかにも子どもが遊びたくなるような場所です。しかし、池は物々しくフェンスで囲まれていて、標識で「DEEP WATER」と注意喚起されていました。どこの国でも、子どもが考えることはそう変わらないのでしょう。


 さらに進むと、何やらお墓か祠のような場所がありました。ガイドブックを開いてみると、「社壇」とあります。英訳のところをみると「Shrine of the Earth God」と書かれていたので、この土地の守り神といった感じなのでしょうか。


 言われなければ、何も感じることなく通り過ぎてしまうでしょう。しかし、この土地の人々にとっては大事な場所なのかもしれません。
 上璋圍と書かれていた場所に着くと、何やら塀があります。ガイドブックをGoogle翻訳で日本語にしてみると、屏山文物徑唯一の城壁に囲まれた村とありました。こんな村は、日本では見られません。


 以前は「日本には城郭で人々の暮らしを守るという文化はないのだ」とずっと思っていたのですが、大阪くらしの今昔館で、町の入り口の木戸門を夜間には閉めていたということを聞きました。城壁を築くかどうかの違いはあっても、自分の身を守る必要はあったのでしょう。
 洗濯物などが見えることから、きっとこの中には今も人々の暮らしがあるはずです。本当は入ってみたいところですが、入り口の脇に「禁止進内」と書かれていたので、遠慮しておくことにします。


 さらに進むと、どこからか歌声が聞こえてきました。「基督教天諾堂」とあったので、教会でしょうか。すると、聞こえてきたのは賛美歌だったのかもしれません。
 天后誕といい、さきほどの社壇といい、香港の人たちが大事にしているものに少し興味が湧いてきました。日本ほどではないにしろ、いろいろな神さまや宗教行事が合わさった文化があるのかもしれないと思うのです。
 道が二手に分かれているところに、写真入りで「←仁敦岡書室」と書かれた案内表示があったので、これに従って曲がってみました。これまでと違い、なんとなく殺風景な道が続きます。


「あとどれくらいあるのかな?」
 そう思って地図を広げてみると、途中にあった古井を見落とし、その近くの楊侯古廟も通り過ぎていたようです。
「しまった。あの看板に目がいってしまった……」
 けれど、振り返ってみれば、地図にはない道が伸びていて、その奥に楊侯古廟らしい建物が見えます。このまま空き地のようにも見える車が停まっているところを抜ければ、楊侯古廟に行けそうです。
 古廟というので、中国や東南アジアでよく見かけるような極彩色の派手な寺院を期待していたのですが、とてもシンプルなつくりで、一見ただの倉庫のようにも見えるほど。それでも、地元の方らしい人が行き来していて、大事にされていることがうかがえました。


 先ほど戻ったところからさらに奥は狭い路地のようになっていて、家と家の間を進んでいくと、突き当たりの塀に仁敦岡書室と書かれていました。塀の中は、まるでお寺のような空間です。


 ガイドブックの英語の解説に、「The roof ridges and facade are decorated with plaster moldings of auspicious motifs.」とあり、auspiciousが気になり、調べてみると、「縁起の良い」と訳されました。繁体字の方にも「吉祥」の文字があるので、全て見ていくと、そういった文様が刻まれているのでしょう。


 地図によれば、次の見どころは鄧氏宗祠と愈喬二公祠。「この辺りではないか」と思って集落に入り込んで探してみるのですが、見つかりません。路地というよりも、例えるなら見知らぬアパートの外の廊下を歩くような道です。当然、案内の地図にはそんな道は書かれていませんし、観光客のための道ではなさそうです。


 時折出会う地元の方らしい人が、ちょっと怪訝そうな顔でこちらを見ている気もします。にこやかに挨拶をして通らせてもらうのですが、内心、「こんなところ、通って大丈夫なのかな?」と思っていました。先ほどの上璋圍のように、「禁止進内」とは書かれていなかったと思いつつ、通るべきところじゃない、そんな気がしていたのです。
 その鄧氏宗祠と愈喬二公祠は、意外な形で見つかりました。集落を抜けると、なにやら祠の前に人々が集まって、お祭りのような雰囲気です。


「やっと見つけた」
 そう安堵して来た道の方を振り返ると、しっかりと「請勿進入」と書かれた看板が立っていたのでした。