1/20(日)行きますアルマス泊まります ゲストハウスを訪ねる長崎の旅 2日目〜その2~ | ちいたろうのお出かけ日記

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 神の島教会下のバス停の前は、すぐ海が広がっています。その海を向いて立つマリア像の後ろ姿が、バス停からも見えました。この像は、正しくは「岬の聖母像」というそうで、ザビエル渡来400年を記念して建てられたもの。
「ここでもザビエルか……」
 最近の私の旅では、なぜかザビエルに縁があるようです。


 1948(昭和23)年に初代の聖母像が建てられ、現在の2代目の像は、1984(昭和59)年に建てられたもの。高さ4.7mと書いてありましたが、岩の上に立っているせいもあって、もっと大きく感じられます。


 防潮堤の上を歩いていくと、潮が引いているせいもあるのでしょう。聖母像の向こうまで回り込めそうです。まずは、聖母像が立つ岩の下まで行ってみることにします。もうすぐ今日の干潮時刻なので、潮が満ちてきて帰れなくなるという心配はないでしょう。
 遠くから見ても存在感があった聖母像は、近くで見るとさらに迫力があります。写真を撮って、岩場を足元に気をつけながらさらに進んでいきます。
 岩場の先の方には、釣り人がいます。あの辺りまでは行けそうです。
 不意に、カラスの大きな鳴き声が聞こえました。振り返ると、青空を背にそびえる白い聖母像の頭のてっぺんに、真っ黒なカラスが止まっています。この白と黒の対比がなんともアンバランスで、すぐに写真を撮ろうとしたのですが、時すでに遅し。私に気づいたのか、カラスはどこかに飛び去ってしまいました。
 防潮堤のところまで戻り、狭い階段で聖母像が立つ岩に上がります。像のすぐ近くまでいってみると、4.7mの聖母像はさらに迫力があります。これなら、船から見ても目立つはずです。


 ちなみに、ここへはながさき旅ネットというサイト(https://www.nagasaki-tabinet.com/)を参考にして来たのですが、このサイトには聖母像の高さは4.7mと書かれていました。けれども、聖母像の台座には高さ4米60糎とあります。


「どちらが正しいんだろう……」
 よく見ると、聖母像の頭には何やら針らしいものが見えます。避雷針なのか、鳥よけなのか。
「まさか、あれが10センチってことはないよなぁ」
 そんなどうでもいいことが気になってしまうのでした。


 海岸沿いに歩き、どこか先の方から教会堂に上がれると思ったのですが、こちらの道は後からできた大通りだからなのか、外側から集落に入れる道が見当たりません。仕方なく、バス停の近くまで戻ってから集落に入ります。
 神ノ島教会は、階段を上がったその上に建っていました。真っ白い壁が美しい教会です。会堂の中の撮影はできませんが、外も中も小ぢんまりとした素敵な教会。大聖堂といった感じの教会も素晴らしいと思うのですが、その土地に住む人々のための小さな教会もまた、素晴らしいと思うのです。


 神ノ島の神というのは、もちろんキリスト教の神さまではありません。埋立前は離島だったというこの神ノ島。長崎市が発信している「ナガジン」というサイトによると、神功皇后がこの島へ上陸し、榊に鈴をつけて神に祈ったという言い伝えに由来しているとありました。また、教会から見える高鉾島も神功皇后に由来し、神功皇后が島に渡って鉾を立てたので高鉾島なのだそうです。
 しかし、この高鉾島というのは、神話のような神功皇后の伝説だけでなく、キリシタン殉教の地でもあります。


 禁教令から3年後の1617年(元和3年)、宣教師をかくまっていた宿主のガズパル上田彦次郎とアンドレア吉田が役人に捕らえられ、斬首された場所です。そんな島をオランダ人は、Papenberg ( 伴天連の山 ) と呼んだそうです。
 教会の敷地には西兄弟の墓がありました。


 禁教時代、長崎港口にある神ノ島には多くの潜伏キリシタンが居たとされます。その中の、帳方で西忠吉と水方で弟の西政吉の兄弟は、1865年(元治2年)の信徒発見の後、プティジャン神父を密かに尋ねてキリシタンであることを打ち明けています。そしてその後、禁教中ながら外海の出津をはじめ潜伏キリシタンの郷里をプティジャン神父に案内して布教活動を支援していた方々だそうです。禁教の時代、そんなことをすれば弾圧や処刑は免れません。それでも、そういった方々がこの国にいたのです。
 現在の日本は、さまざまな宗教に寛容な国だと思っています。逆に言えば、宗教に熱心でない国だと言えなくもありません。
「◯◯という国は□□教の国」
 そんな言い方をすることがありますが、日本の宗教といえば何でしょう。
 真っ先に思い浮かぶのは、神道と仏教。しかし、熱心な信者の方というのは、身の回りにはあまりいる印象はありません。
 この国のお葬式は仏式であることが多い印象ですが、結婚式には神父さんがいることが多いですし、初詣や七五三、厄払いなど、神社との接点も多い。こんなに他宗教に寛容な人々というのは珍しいのではないでしょうか。
 しかし、そんな日本人がキリスト教を弾圧したのは、歴史上の事実です。小学校の歴史の授業でも習うのですから、キリスト教の弾圧の歴史を知らないわけがありません。
 それが一体いつ、どのようにして変わったのか。日本人が他の宗教をどのようにして受け入れていったのか。それなのに、キリスト教の信者は昔から人口の1%と言われるのはどうしてなのか。
 自分が生まれ育った国でありながら、つくづく不思議な国だなぁと思うのです。
 教会堂の建物のまわりをぐるりと歩きます。白壁にステンドグラスの色が映えて美しく、建物もちゃんと手入れされて、大事にされているのがわかります。のんびりするにはとてもよいところなのですが、そろそろバスの時刻も迫っているので、山を降りることにします。