ばぁばとの東京旅行の続きです。
連絡が取れなくなった友達の安否確認をした翌日は、ばぁばが関東に住んでいた時のお友達と20年ぶり位に浅草寺で会いました。
以前お会いしたのは、まだ私が独身の頃。
京都で将軍塚という夜景スポットを案内した時でしょうか。
そのお友達も「地元だからこそ行ってない」とのことで、浅草寺近辺でお茶した後、一緒にスカイツリーに行きました。
もちろん70代後半の女性ばかりなので、旦那さんが病気になったとか、自分も病気をしたなんて話があります。
その時にそのお友達から
「○○さんなんて、旦那さんが亡くなって一人だけど、好きなときに好きなところにいつでも遊びに行けるし、お金も自分の自由だし、今までで一番幸せって言ってるわよ!」
と共通の知人の近況も聞きました。
昭和20年代の女性なら、若いときの自由度は低いでしょうし、その後も子育て、介護など、拘束時間が長かったでしょう。
生まれて初めて、自分の都合や気持ちだけで予定も予算も組めるわけです。
同年代だからこそのリアリティで話して貰えて、ばぁばも心強くなったようです。
なお、この日はサンシャイン水族館も行く予定をしていましたが、お友達とゆっくりしたのでその予定は中止しました。
ところで
「サンシャインって行ったことあった?」
とばぁばに聞かれたので答えました。
「サンシャイン60が出来てまもない頃、展望階に連れていって貰ったよ。
窓ガラスが出窓みたいになっていて、離れていて高さがあって、下は子供からはほとんど見えないから、上ったら?って何度も言われて、渋々窓の出っ張りに上ったよね。
私は高所恐怖症だからおっかなビックリ窓ガラスから離れて覗いたら、お母さんが「それじゃ見えないでしょ」って言って、グイッて私のお尻を押して窓ガラスギリギリに追いやったから悲鳴を上げたじゃない
めっちゃ怖かったわ」
すると、ばぁばは
「そんなことあった?」
と言うので、さらに言いました。
「やった方は覚えていなくても、やられた方は覚えているよ。
イジメだってそうでしょ?」
覚えていないだろうついでに、別件も指摘します。
「じゃあ、お母さんがシャトルループに乗ってみたいからって、高所恐怖症で乗り物酔いもする私を一緒に連れていこうとしたことも覚えてないでしょ?
兄貴に断られたからって、私を無理やりつれて行こうとしたやつ。
私が嫌がって近くの鉄柱にしがみついて泣いて抵抗するのを、引き剥がそうとして体を掴んで力任せに引っ張ってたけど。」
当時、おそらく私は小学1年生か2年生でした。
まだ一回転するジェットコースターが出てきたばかりの頃の話です。
私は当時は特にひどい乗り物酔い体質で、なんなら今でさえメリーゴーランドでも酔います。
兄が嫌がったことは受け入れたくせに、下の子である娘は力ずくでシャトルループに乗せようとした鬼母だったばぁば。
もちろんばぁばに悪意はありません。
ただ、当時の女性は
「じゃあ一人で行ってくるわ~」
ということはあまりしなかったし、なぜか兄には働かない「これも経験」という名のお節介が働いているのです。
(おひとりさま文化なんかありません。)
ばぁばは昔から善良な人間ですが、デリカシーや思いやりの心は、欠片たりとも持ち合わせていません。
過失を除いても、人は悪意でのみ加害するわけではないということです。
そしてやはり加害者側は行為を覚えていませんでした。
まぁそういうものでしょう。
ついでに
「東京タワーに連れていってくれる約束をしていて、その日が中止になったよね。
今度、絶対に連れていくって言ってたけど、連れていって貰えないまま引っ越したよね」
ということも指摘したところ
「そんなこともあった?
ごめんごめん。
じゃあ今回東京タワーも行く?」
とばぁばは言いました。
さすがに
「スカイツリー行って、同じ時に東京タワーに行くって必要性ないやろ
今回のスカイツリーでチャラにしとくわ。」
と話しました。
浅草からスカイツリーまで徒歩で移動し、途中の素敵なカフェで昼ご飯。
年齢がいくつでも女性はこういうお店が好きなものですが、
「横文字で書いてあると諦めちゃうわ」
とはお友達の言葉。
入口の看板に書いてあるメニューが、英語っぽい雰囲気で日本語で書いてあったのです
なお、スカイツリーやソラマチに来たのは私もばぁばもお友達も初めてではありません。
ただ全員、以前来たときには混みすぎていて展望フロアに行くのは諦めていました。
今回は30分ほどの待ち時間だったため上ることにしたのですが、やはり今時のためチケットレスでの申込みと支払いがメイン。
現金で支払う窓口も別にあるようでしたが、待ち時間や場所がわかりにくかったため、私がスマホで手続きしました。
「よかったわ~。お嬢さんが来てくれて。
チケットも買えないとこだったわ」
とおばあちゃんたちは言いました。
まぁ私も、既に昔のお嬢さんですけど。
ただ、こういうチケットレスの流れというものは、高齢者などには優しくないと思います。
私もLINEはしない派なので、LINEありきの受付や割引は鼻白んでしまうことが多いし、スマホを使わない者には市民権がないように感じることも多いものです。
スカイツリーは、ちぃかわのイベントもありましたが、おばあちゃん達にとっては
「何それ?」
の世界。
おそらく私世代のサンリオか、いいとこすみっコぐらしで止まっています。
最近ではサンリオキャラクターも昔のものを復活させていたりして、ちょっと嬉しいです。
子どもの頃に大好きだったタキシードサムのぬいぐるみを鞄につけた女子高生を通勤で毎朝見るのですが、見るたびに顔が緩んでしまいます。
やっぱ、可愛いよね~
待ち時間のソラマチでは、おばあちゃん達が座ってお話ししている間、私は子どものお土産探しをしていました。
ポケモンが好きな息子ですが、六年生男児ともなるとポケモングッズを持つのは恥ずかしいので、難しい。
帰宅後に確認したところ、やはり置いてあったゲームとかも興味がなくて買わなくて正解でした。
ちなみに、ばぁばのオススメでこの日の夜にお台場にもいったのですが、ばぁばの目的物の観覧車は廃業。
私の目的地のガンダムベースでは、旦那と連絡を取り合って息子の好きなガンプラを探したのですが、置いておらず。
棚ごとに同じプラモばかり並んでいてガッカリしました。
これならネットでエエやん…
それはともかく、スカイツリーの展望室から80歳前のおばあちゃん達はキャッキャウフフと楽しく、あれが見える、これが見えると仲良く話し、記念撮影をすると、また一緒に旅行に行く約束をして別れました。
未来の予定を決めるおばあちゃん達っていいですよね。
翌日、新宿御苑に行きました。
私も母も植物と庭が好き。
有名だし一度は行ってみようということになりました。
秋バラの名残を見たり、温室の植物を見たり。
都会の立地で、街の人がすぐに見られるというのはいいところだけど、国立科学博物館と同じく、やっぱり専門的な植物園を見て回っている身には物足りない。
あまり時間が取れず、半分ほどを見て回り、木立の中を入口に向かっていた時です。
母が
「こんなに私だけ幸せでいいんやろか。
お父さんは死んでしまったのに、一人で旅行来て友達と会って…」
と言いました。
私は力強く断言しました。
「お父さんの世話はやれるだけのことをやったでしょ。
そもそもワガママなお父さんに50年も付き合って散々振り回されたやん。
旅行先で宿が気に入らなくて、突然夜中に帰ってきたこともある。
私の家に来て、お母さんが食事していないのに自分は食べたから、お前のことは知らんって突然出発すると言ったこともある。
本当にあれやこれや。
折角の自分の自由時間を楽しんだらええやん。」
そう言い終わったその瞬間です。
「あ痛っ!」
私のおでこに、枯れて硬くなったでっかい葉っぱらしきものが空から直撃!
まさに親父の鉄拳制裁のタイミング!
葉っぱといえばヒラヒラ舞い落ちるイメージだと思いますが、ひゅーっと落ちてきた重量感。
ひょっとしたら古い樹皮だったかもしれません。
うわぁ、バチが当たったわ…
もうこれしか思い当たらない。
確かに木立の中の道でしたが、真上に樹冠があったわけでもなく、本当に突然現れた落下物。
しかも、頭頂部ならともかく、何故におでこに当たるかな?
まぁ、普通カツンと額に植物が当たった位ではバチが当たったと考えることはないかと思います。
ただ、これには訳があって、2ヶ月前の父の一周忌法要で実家のリビングに泊まった夜、寝静まって消灯してから私と旦那で喋っていた時のことです。
突然、隣の和室の電気がパッと点きました。
リビングと和室はガラスの入った四枚引戸で仕切られていて、音も気配も光も筒抜け。
他の家族は2階で寝ていて、階段を降りてきていません。
和室の電灯は、ヒモをカチカチ引いて蛍光灯の数や豆球を切り替えるタイプですが、廊下側の壁にもメインスイッチがあります。
灯りがついてすぐに、 緊急事態には強いタイプなので二人で咄嗟に和室の扉を開け、私は電灯スイッチ、旦那はメインスイッチをカチカチやったので、最初の状態がどうだったのかさっぱりわかりません。
なお実家は、地盤改良をして建て直してから14年程度のヘーベルハウス。
歪みとかによる影響は考えにくい。
とにかく、こんなことはかつて一度としてない。
さらに実はこの時も私は罰当たり発言をしていたのです。
「こわっ」
このタイミングも明らかに父からの
「いい加減にしろ!」
でした。
そんなことが起きてほとぼりもさめない内の新宿御苑。
もう、これは雷親父の鉄拳に間違いありません。
まぁ、私は懲りない感じですけどね。
少し前には旦那の実家でまた、亡くなった義父の声とも思われる心霊現象があったみたいだし、なんかじいちゃん達主張が激しくない?
とはいえ子どもの頃のように、
「ひょっとしたら…」
と怖れる気持ちなわけではなく、
「まぁそうかもねー」
な気持ちで受け止められるあたり、やはりよく知った相手だから、というのはあるんだと思います。