春。
5月。
初夏の風が若葉を揺らし、澄み渡った青空が広がるいい季節。
昨日は真夏日でかなり汗ばむ気候でしたけどね。
そんないい季節は、税金の季節でもあります。
自動車税、固定資産税がまさにどーんとやってきます。
いや、もちろんわかっているから冬のボーナスを取り置きしているのですが。
なのになぜか春を向かえる頃には、取り置きが臨時支出とか、なんだかんだでジリジリ目減りして、時にはすっからかんになっているのが不思議!
今回目減りした理由の一つは、私が就職後の初ボーナスで奮発したオーブンレンジが黄泉の国に旅立ったことです。
はっきり覚えていませんが、10万円位は出した品物だったこともあり、20年以上頑張ってくれたので、感謝を込め、無事の成仏を祈りました。
そもそもなぜそんな高級品を、特に料理が趣味でもないのに、独身時代に買ったのか。
話せば長い理由です。
(いつも長いけど)ささ
こどもの頃、料理教室に通ったばあばが大きなオーブングリルスチームレンジを自宅に導入していたことが最初のきっかけです。
それが、関東から中部に転居した際に電圧の違いで、まもなく壊れてしまったのです。
(そもそも自家用車もなかったのに、家庭用パソコンが100万円とかした時代にパソコンが2台あったりして、「うちは貧乏だから!」と言われ続けた割に、アンバランスな家庭でした。
ただし、車だけでなく普通の家庭に導入されていたビデオデッキとか、ファミコンとかもありませんでした。)
この母のオーブンレンジで、パウンドケーキやパン、グラタン、ミートローフ、クッキーなどの美味しいものが作られたり、作ったりしました。
特にその中でも思い入れが強かったものは、クリスマスの鶏の丸焼きでした。
もちろんそんなゴージャスなものは、貧乏(?)な我が家ではこれまで現れることなく、クリスマスには鶏の骨付き肉を照り焼きにしていたわけです。
しかし夢見る少女だった私はある時、マッチ売りの少女の夢見たようなご馳走をとても食べてみたくなったのです。
母に交渉したところ、私が作るなら丸鶏は買ってあげる、ということでしたので、早速、オーブンレンジに添付されていた料理本片手に一人で奮闘しました。
もちろん、羽をむしり、首と脚を落とされて内臓を抜いただけの鶏なんて見るのも触るのも初めて。
魚は小学一年生の時に、母が突き指したことで捌かされていたものの、「肉」として切り分けられていない死体は、本当に心のハードルが高い。
クリスマスイブの昼間に、一人きりのキッチンで
「ぎゃー」
とか
「ムリムリ」
とか喚きながら、なぜかキッチンを逃げ出したり、気を取り直して戻ったりして下ごしらえをしたものです。
夜にはその甲斐があり、夢のメニュー「ローストチキン」がクリスマスイブのテーブルに、最高のご馳走として載ったわけです。
(今から考えたら、鶏肉なのでそこまで高額でもありませんけど。)
その美味しかったこと!
切り分ける瞬間のワクワクした特別感はえもいわれぬもの。
家族もすっかり気に入って、翌年もクリスマスにはローストチキンを食べよう!ということになりました。
その矢先にオーブンレンジが壊れたのです。
あぁ!
私のローストチキンが…
まさにマッチの炎に浮かび上がったご馳走が消えた気持ちです。
そんな失望感に満ちた私に、ばあばは「電子レンジ買い直すよ」とあっさり決めたのです。
(レンジ機能がどうしても必要だったんですね)
まさに天の助け
と喜ぶ私でしたが、残念ながら当時、大型オーブンを買う財力がなかったため
「これでいいでしょう」
と通常サイズの、横開きタイプのオーブンレンジを購入することになりました。
私は縦開きタイプの大型オーブンレンジしか知らなかったので、ちょっぴりがっかりしました。
まぁ仕方ない。
ない袖は振れない。
お金は突然現れない。
出きる範囲で暮らすしかない。
納得をしたのです。
その時は。
さて、お楽しみの次のクリスマスイブ。
母が丸鶏を前日に買ってきてくれました。
これを若干怯みながらも、一人寂しく鶏の首チョンパと向き合って下ごしらえをするのが、小学生だった私の仕事です。
「夢のご馳走のため!」
と歯を食いしばって、気色悪さと戦います。
焼いてしまえばツヤツヤして美味しそうなのに、生でだらっとした皮をつかむのは全く別の感想しか持てません。
特に内臓を取り出した後のお尻の穴から、鶏の体内に手を突っ込む気持ち悪さといったら!
(当時は使い捨てビニール手袋も100均もありません。)
よし!できた!
後は夕暮れ時にオーブンでローストし始めるだけ!
あぁ楽しみ
ウキウキ
としか言い様のない気持ち。
マッチ売りの少女も、炎の中の幻影でこんな幸福感を味わったのでしょうか。
さあ、夕方を過ぎて兄もばあばも帰って来ました。
父の帰宅予想時間に合わせて焼き上がるように、鶏をオーブンに入れます。
入れます
…入れます
…入れたい!
…入らない
なんと、鶏肉の高さがありすぎて、どう見ても入口で完全につかえてしまっています。
こんなの100%入るわけがない状態。
奥行きも足りないのですが、そもそも入り口を通る気配もない。
この衝撃たるや、言い尽くせないものがありました
どうして!
どうしてなの!
一年間、すごく楽しみにしていたのに。
気持ち悪くて泣きそうなのを我慢して、鶏の中にまで手を突っ込んで、一人で頑張ったのに!
ひどい!
クリスマスなのに神様ひどい!
(キリスト教徒じゃないけど)
どうにかしてよ!
なんでなの!
なんでうちはこんなに小さなオーブンを買ってしまったの!
またローストチキンを作るってわかってたでしょ!
なんでお父さんとお母さんはこんなに小さなオーブンしか買ってくれなかったの!
なんでうちにはお金がないの!
なんで私は自分で選べないの!
納得なんて出きるわけない!
とまぁ、我ながら情けないほど涙にくれて、生の丸鶏を前に途方にくれて、拗ねて嘆いていたわけです。
(今ならもちろん、横開きタイプのやや小型のタイプで普通は事足りることが冷静にわかります。
しかし当時は小学生でしたからね。)
結局、この時は次善の策として、母が生の丸鶏を切り分け、部分ごとにしてフライパンで焼きました。
あの立派で、素敵な夢のご馳走になるはずだった丸鶏が、不器用に、強引に、無惨に切り分けられていく姿を見ている私は、果てしない喪失感を味わっていました。
ばあばは
「仕方ないじゃないの入らないんだから」
と今度もあっさり言いました。
しかし当時、転校で地域の言葉にも文化にも馴染めず、いじめられていて友達もおらず、先生にも嫌われ抜いていた私がどれだけ楽しみにしていたのか、傍目には想像もつかなかったでしょう。
非常に大きな心の支えが折れてしまった出来事でした。
鶏肉はフライパンで焼いても、それはそれで普通に美味しかったのですけどね。
ただ、私が求めていたのは、非日常の特別感や幸福感。
目の前の大雑把に切り分けられた鶏肉は、現実感の塊。
夢の幸福感は、欠片も残っていなかったのです。
で、話は戻りますが、そのとき以来私は
「オーブンレンジは大きめの丸鶏がしっかり入る大きさ」
という購入基準が、絶対に譲れないこととしてしっかり根付きました。
だから初めての独り暮らしの初ボーナスで買ったのは、大型オーブンレンジだったわけです。
初めての勤務地に着いて、急いで荷物を下ろしたとき。
もともと親に買って貰ったのはプラスチック製の三段ケースだけ。
あとは自分のお金で買った安い布団一組とマグカップとお箸。
仕事用のスーツとプライベート用の服が2組。靴も運動靴と仕事用の靴が一足ずつ。
パジャマ兼用のジャージとバスタオル、タオルが3枚、洗面とお風呂セット。
研修を終えた10月に赴任地の社宅にあったものはそれだけ。
カーテンもテーブルもガスコンロも鍋もお皿も洗濯機も掃除機も、もちろん車も自転車も(職場で自転車は貸して貰えました)なんにもない日から始めて、まだほんの2カ月。
正直なところ、生活用品を少しずつ買い足していると本当にお金がなく、昼食代にも困る生活。
それでも初ボーナスで選んだのが、大型オーブンレンジ。
私がずっと欲しかったもの。
どうしても自分で選びたかったもの。
それが大きなオーブンレンジでした。
長くなりましたがつまり、この初ボーナスオーブンレンジが壊れたからには、次に買うのも内部が大きい、前開きタイプということで、必然的にそこそこの金額がします。
機能としては、特に凝った機能はいらないのですが
「オーブンが大きいことはいいことだ」
という判断基準で選んだオーブンレンジの臨時出費は、かなりのダメージ。
羽をむしられ、首を落とされた鶏のために、代わりにお金に羽が生えちゃったわけです。
我ながらアホらしいけど、笑えない。
だって、ヤマハの設備費も値上げだし、冬の灯油代金として、旦那に五万円請求されているし、こどもの歯の矯正もしているし、春には娘の中学の学費も納入だったし!
もちろん税金もあるから!
おまけにおまけに!
昨年の夏にエアコンを修理して、冬にはウサちゃんが手術して、ヒートポンプが水漏れして修理したので、臨時出費が連続したから。
これでもか!という出費の連続で本来あるはずの余剰金がない。
全くなんてことでしょう。
それがわかっているのに、大型オーブンを買ってしまう私は、煩悩の塊です。