根北峠 | ichisan

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おとなしくしてればいいものを・・・

また、新しく道東ネタが増えたあせる

急いで、11月上旬の日記をやっつけよう。。。




11月7日(金)


川北温泉で、身よりも心が温まってから・・・

根北峠を斜里に向かって走ったDASH!




こんな感じに・・斜里岳に向かって・・ニヤニヤ。

私は、斜里岳大好きなのだラブラブ



道中にある、コンクリートアーチに立ち寄るビックリマーク







何度か見たり、通ったりするけども避けてきた。というのが

正直なところ。

何故なら・・ここは北海道の歴史の中でも代表的な

負の遺産だから。



登録有形文化財と刻印があった。

さすが、北海道最大のコンクリート鉄道橋。

長さ147m、高さ21、7mもあるそうだ。



国道を挟んで越川側にあるコンクリートアーチのつづき。





根元にお供え物がある。ドクロ




過酷な強制労働で命を落とした者たち・・

人間扱いされなかった北海道開拓の功労者たちに対する

感謝と供養の気持ちがあった。



怖くて、なるべく近寄らないようにしてきたが・・・

真実は真実。

きちんと見つめようと思った。


北海道の開拓事業(道路などの交通網など)は刑務所の

服役者や中国、朝鮮人をタコ部屋といわれる劣悪な環境の中で

強制労働させてきた事実がある。

普段何気に通っている道路などが、こういう人たちの血と汗で

作られたことをついつい忘れてしまう・・・。


そのうえ、心霊スポットだの勝手に怖がるなんて・・・

愚かだ。。。





斜里岳の方向に向かってつづく道を見つけたので

行ってみた。





今まで、全く知らなかったけど、あのアーチの両側には畑があった。

この時も、農作業する機械の音が響いていた。。。





農道の途中から、アーチを見る。


糠平に通い詰めたコンクリートアーチを思い出すような

石ころがゴロゴロしていた。

きっと、この石ころを積んで重ねて橋を造ったのだろう・・・。


戦前に、鉱石や海産物を運ぶ目的で計画された根北線は、

戦争が始まるとロシア(旧ソビエト)に対する軍事路線として、

強引に工事が進められたらしい・・・

終戦間近には鉄の代わりに竹が使われたとかいう。




当時の計画が、何となく見えてきた。

きっと、あのアーチ橋を列車が走る予定だったのだろう。


結局、工事は途中で中止になったので

渡らずの橋。とも言われているらしい。



再び、国道から見上げた。途切れたコンクリートの橋。

国道の開通に伴って、分断されたそうだが

当時は10連のアーチ橋だったそうだ。



今度は下に降りてみた。




すごい高さに、圧巻される。




古代ローマはてなマーク

行ったことないけど・・・



糠平のコンクリートアーチは有名だが

この越川橋梁はあまり知られてないのかも知れない。





人柱だとか、怨念が怖くて今まで避けてきた。。。



いつかこの橋も崩壊してしまうだろう・・

でも、今の便利な生活があるのは、こういう歴史があった

ということを覚えていないといけないと思った。