ついこの間、仙台で新たなアイスリンク、ゼビオのオープニングに羽生さんはじめ数人のスケーターたちが協力してアイスショーが行われた。毎日新聞が、その時のインタビューの羽生さんの回答について、記事を書いた。
Fun!フィギュア:羽生さんの心温めた故郷 「好きな場所」で見せた成熟 | 毎日新聞
2012年、私は夫といっしょにフィンランドにある試合を観に行った。それは、羽生結弦さんが同年の世界選手権で銅メダルを取ったあとの、初めての試合、そしてカナダのトロント・クリケットクラブに移籍した後の初めての試合だったのだ。
「ノートルダム・ド・パリ」をピンクと黒の衣装で滑った日は、夫が羽生さんのファンになった日でもある。 目の前で繰り広げられるフィギュアスケートというスポーツが、優雅だが大怪我の危険も伴う激しく力強いものだということを、夫は初めて認識したのである。
ニースの世界選手権には仕事の都合でいけなかった私は、次にフィンランドに来ると聞いて、直ぐにチケットとホテルを手配した。当時まだ世界からのファンが押し寄せる前だったので、オフィシャルホテルと知らずに予約したホテルでは、羽生さんご本人とお話をする機会まであったのである。
フィンランディア杯での羽生さんは、ヴィクトリーランの後もリンクに残って、氷の手入れをするボランティアに交じって、バケツをもって穴埋めをしていた…。夫が日本語で「オメデトー!」と叫ぶと、ぺこりと頭をさげて、「ありがとうございます!」と爽やかだった。もちろん夫、一撃でやられた…。
その頃・・・
メキメキと力をつけてきた羽生選手の存在を脅威に思ったライバル選手のファンたちが、実に口汚く羽生選手を罵ったりしていたことは事実である。
ブログやSNSで、カナダに移籍した若い羽生選手をまるで「日本を捨てた裏切り者」呼ばわりをしていたりしたのだ。
一方で、急激にファンを増やしていた羽生選手を応援する声の方が何百倍も多かったとはいえ、アンチの吐き出す黒いものを目にしなかったとは思えない。若い選手の心を蝕んだのではないか、と思いやられるのだ。
また、当時、海外を拠点にトレーニングをつむという決定の際、涙をこぼしたという噂もファンの間では広まっていた。本当は故郷を離れたくない、仲間やコーチ、家族と離れたくないという気持ちと、オリンピック金を狙うなら、良きライバル、一流のコーチ陣のいるトロントで頑張るべき、というチョイスの間で揺れ動いた、ということは長年のファンなら皆知っていることだ。
さらに、被災地である仙台を離れてカナダにいくことが、震災直後に他県のリンクで練習をする自分を「安全なところに逃げて」と責めていた気持ちと重なっていたことも、知っている…。またその気持ちを狙いすまして誹謗中傷していたアンチもいたのだ。
だから、オリンピックサイズ、設備の整った新リンクのオープニングで、「これで好きな場所で好きなコーチと練習が続けられる」と後輩たちに向けた言葉は、よく理解できたのである。
言葉も通じないカナダで、観光も友人との食事もしないで、ひたすらに練習に、練習だけにはげんでいた17歳の羽生選手を間近で支え、励まし続けてきたのはお母様である。しかし、妻、母親の留守をしっかり守り切ってきたのはお父様やお姉様だったのだ。羽生家のきずなが硬いことは当たり前のことなのだ。
それがあってこその、オリンピックの金メダル2連覇なのだ。そしてその金メダルは、16歳の羽生少年が誓った通り、被災地の光になり、希望になり、力になった。いまだに、彼の影響力のおかげで被災地は彼の寄付だけでなく、その経済効果に潤っているのだ。
トロントに移籍した当時の、オーサーコーチの言葉を覚えている。「言葉がなかなか通じないから、コミュニケーションが難しいことはある。しかし、彼はジャンプ、ジャンプ、ジャンプを跳びたいという。 今はファウンデーション(基礎)をしっかりやる期間だ、と言い聞かせている。家だって、基礎普請がしっかりすることが一番大事だ。全力で走りたがる若馬を抑えるのはなかなか大変だ」と。
四回転ジャンプの数を増やしたい、きれいに跳ぶハビエル・フェルナンデス選手のいるクリケットクラブに行ったからには、すぐにジャンプを!とはやる気持ちを抑えきれない17歳の羽生選手に、基礎的なエッジやスケーティングを一からやり直させたクリケットのコーチのチームは正しかった。
基礎のエッジワークがしっかりすることは、ジャンプに入る軌道やスピンを安定させる。その上にこそ、ソリッドな高難度ジャンプが成立するのだ。
羽生選手が演技開始後、ほんの2-3ストロークでトップスピードに入れるのも、正しい体重移動と深いエッジのおかげである。無駄になんども漕がなくてもあっというまにプレ・ジャンプスピードに乗れるのも、正しい基礎スケーティングのおかげだ。
当時、練習後、友人と遊びに行ったりテニスをしたりするハビエルが、「ユヅルは本当にまじめに練習する。遊びに誘ってもこない」と言っていたのを思い出す。たしかナイヤガラ瀑布にも行ったことがない、とインタビューで答えていたと思う。
「僕はスケートをするためにカナダに来ている」ということで、トッププライオリティはスケートであり、それ以外のことには無駄に時間もエネルギーも費やさない、そんな強い意思があったのだと思う。それは今でも変わらないんじゃないか。本当にスケートオタクだと思う。
そんな羽生選手の意思を、オーサーコーチは尊重した。彼もトレーシー・ウイルソンも羽生選手のことを悪く言ったことがない。目に入れても痛くないほど可愛がっていたんじゃないか、と思う。
まだ覚えているが、2012年のフィン杯が終わり、羽生選手が1位、ハビエル選手も表彰台に乗った翌朝。ホテルの朝食の時にオーサーコーチがトーストを取りに来ていて、夫が "Well done, Brian, your two students were both on the podium!"というと、”Of course...! I am proud of them..!" と父親のように目を細めていた…。
コーチとしての彼は、生徒たちの意思を尊重し、かれらを導きはするが最終決定は選手たちが自分で行うということを大事にしていた。そういう点で、ロシアのコーチたちとは教える姿勢がだいぶ違うのだと思う。
そして、それは羽生選手のようなタイプのアスリートには、ぴったりと合っていたのだと思う。
人に依存して一から十まで指導してもらうんじゃなくて、自律ができる人間。自分のことは自分で考えてチョイスし、行動を決定できるマチュアな人間である。「自分の行くべき道を見つける手伝いはできるが、それは自分で見つけなければならない」というオーサー氏は、羽生選手にもハビエル・フェルナンデス選手にも、色んな可能性の「提案」はしても、「強制」はしなかったのだろう。主導権はあくまでも選手自身が持つ。
生徒に「こうやれ」と一方的に教えるのではなくて、「こういうやり方もあるよ、どうする?」というのは、欧米の教師のやりかただが、ある意味、決定権を持たされるという怖さはあるかもしれない。
しかし、人は「強い指導者」に盲目的に付き従って生きるべきではないということを子どものうちから教えておくことは大事だろう。 自分の人生において、自己決定ができるということこそ、マチュリティ、つまり人間としての成熟だからだ。
だからこそ、アイスショーを一人で企画運営できる今の羽生さんがあるのだろうし、それを遂行し成功させるだけの強い意志が貫けるのだろう。
しばらくの間「メンテナンス期間」をもうけたい、と決めたことも、羽生さんの自己決定。ただ追いまくられて次々と作品を作って行けば、そのうち空っぽになって駄作を世に出すはめにもなるかもしれない。
それすらわかっていて、きちんと自分でストップがかけられる。
スケートを嫌いにならないように、単なる「仕事」にしないように。
いつまでもスケート愛と情熱を持っていられるように。自分が枯渇して壊れてしまわないように。
羽生さんは、おそらくいろんなことの「バランス」をしっかり分かっているのだろう。
そこも、「羽生結弦」という芸術家を安心して観ていられる大きな材料なのだな、といちファンとしては嬉しく思うのである。
