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ロンドンつれづれ

気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

 
日本からの「児童保護」の専門家の研修一団が、スケジュールをすべて終えて帰国した。昨日である…。
 
連日9時から4時ぐらいまで通訳、前日はそのための準備に夜遅くまで、あるいは早朝4時ごろに起きて勉強した。 
 
地方自治体のプレゼンなどは、組織のチャートや、人口などの統計が小さい字で書いてあるので、パワポで見せられても良く見えないことが多く、ずらずら1分ぐらいしゃべられると、なかなか数字とか覚えていられないというのがあるので、事前に資料をもらって、かなりを頭に入れておかなくてはならない。
 
特に仕事の肩書など急に言われても、どう訳そうかな、ととどまってしまうし、大きな数だと日本とは数え方が違うので(1万は10千というのでそのまま3億5600万とかいわれると、急にはなかなかでてこない)、これまた事前に目を通しておくのと置かないのでは、だいぶ違う。
 
しかし、資料が届くのはたいていは前日なので、今日の通訳を終えてへとへとで帰ってきて、それから翌日のパワポを何十枚も見る、ということになる。また頭文字だけ集めたCAMHSなどと急に言われると、え、カームスってなに?ということになり、業界用語には四苦八苦する。
 
メンタルヘルスの専門家のところに行くと、今度は聞いたこともないアプローチの名前が出てきたり、病気の名前が出てきたり。摂食障害ぐらいは分かるが、双極性なんたらとか、境界性人格障害とか緘黙とかは、やはり勉強しておかなければパッと日本語はでてこない。
 
裁判所でのやり取りは、法律用語がうんと出てくるので、これまたかなり勉強していかなくてはならないが、今回は家裁でのケアオーダー(児童分離命令)のやり取りを、実際の家族が中に入って弁護士やソーシャルワーカーのやり取りを見ることができ、大変に勉強になった。
 
連日、とても大変な通訳だったが、ソーシャルワーカー、地方行政官、弁護士、心理士、児相所長などといった専門家の方たちが「とてもためになった、大変に有意義な1週間で学ぶことばかりだった」といって帰って行かれたことが何よりだと思った。
 
2月には東京都の研修旅行のお世話をしたが、そちらは主にソーシャルワーカーと心理士で、今回の研修はいわゆる「マルチ・エージェンシー協働」と英国では法定になっているパートナーシップにかかわる組織、社会福祉、司法、公共衛生、そして地方自治体からすべての人が来ていたので、彼らもそれぞれの訪問先で学ぶことは大きかったと思う。やはり自分の専門分野以外のことを知っておくことは大切だ。

イギリスでは児童虐待のケースでは家庭裁判所で親と子、それぞれに国が弁護士をつけるが、子どもにはさらにガーディアンという立場の人が付き、100%子どもの最善の利益、気持ちや望みを代弁して裁判で発言をする。これは通常経験をつんだソーシャル・ワーカーだが、弁護士の場合もあり、傍聴をした裁判所では、子の分離の延長を要請している地方自治体(日本で言うと児相)、母親側の弁護士、子を代表するガーディアンとしての弁護士、そして母親についているソーシャルワーカーが出席、認知に障害のある父親には心理士、弁護士、そしてSWが帯同。
 
日本の裁判ではSWは同席しないというが、裁判中、母親がSWをかなり頼りにしていることが見て取れた。また日本では裁判で子どもの安全・利益優先、また子どもの意見や気持ちを代弁するガーディアンという制度はないので、これも研修を受けたCafcassという組織では日本側から質問が相次いだ。実際に裁判を見てみて、ああ、こういう仕事をするのだなということが分かって興味深かった。
 
イギリスの児童相談所は、子どもに寄り添い子どもの最善の利益を優先するが、それには(安全を確保の上)できるだけ子どもは家庭で育てるための支援をすることをまず考える。裁判所でも、分離などのオーダーは「出さなければ明らかに子の利益を害する」証拠がそろった時だけで、そうでなければ子は親の元で暮らすということが原則だ。
 
そしてこれまた訪れたファミリーハブというところでは、地域のボランティア、NPO,チャリティなどの力を借りて、子どもの発達や親のメンタルヘルス、薬物・アルコール中毒、貧困や住居問題を解決し、虐待がエスカレートしないうちに早期支援を提供するという体制が組まれており、そこに政府がかなりの予算をつけていることが分かった。
 
見学した審理での女性のジャッジが「母親が感情的になったとき、ソーシャルワーカーにすがりついていたでしょう。裁判官は、弁護士が話す言葉だけでジャッジするのではなく、室内でおきているすべてのことをつかみ取って判断する必要がある。母親に寄り添い続けてきたSWが一番母親に信頼されて情報を持っているはず。今日の審理で一番大切な役割を担うのはSW。」という話があって、感心した。
 
本来、政府はSWのような人にもっと予算を割き、ファミリーの困難や虐待、ネグレクトがエスカレートして裁判になる前段階で予防するべき、という話も全くその通りだと思った。そしてその方が、政府にとってもずっと経済的なのだ。
 
 
連日研修が詰め込まれた過酷なスケジュールだったが、半日だけ観光ということで、皆でケンブリッジに行った。
 
私もコロナ前に一度行ったきりで、もう5年ぶりぐらい。懐かしいグランチェスターの村でお茶をして、牧場を歩いてケンブリッジまで移動した。
 

 
 

 
 

 
 

 
 

 
グランチェスターのオーチャードというティハウスでクリームティを。
 

 
ラッキーにも日が当たってきた。
 

 
 

 
20年前、ケンブリッジで勉強に苦しんでいた時、ここにパントボートでやってきては、この椅子に座ってお茶を楽しんで心を慰めた。
 
そうやって、ヴィトゲンシュタインも、ケインズも、バージニア・ウルフも、バートランド・ラッセルも、同じ椅子に座ったんだろうと思う。
 

 
 
牧草地には、バターカップがたくさん咲いていた。
 

 
 
 
 
 
 

 
 
おなじみのケム川。ケム川の上にかかる橋、ということで、ケムブリッジなのである。
 

 
 
もうちょっと行くと、「バイロンのプール」と呼ばれる個所があって、バイロンがすっぽんぽんでよく泳いでいたとされる。
 

 
 

のどかな風景。この日は、凶暴な牛はいなかった…。

 
 

 
 
私の母校でトイレを借りた。
 
 

 
 
クイーンズカレッジの「数学の橋」。本来、釘を一本も使わずに設計されたというが、今はボルトで留めてあるということ。
 
 

 
 
カレッジは、試験中で中に入ることはできなかった。
 

 
 
 
残念。
 
 

 
 
だが、キングスカレッジのクワイヤーは聴くことができた。
 
 
 
かわいらしい白いケープを着た少年たちが歌うイーブンソング。一番端っこにいた13歳ぐらいの少年は、ずーっと鼻くそをほじってました…。
 
 
また、トリニティ・カレッジは2008年までのノーベル賞受賞者が31人で、ニュートンが卒業しているカレッジ。 ニュートンは1656年に学士号を取得、その後、68年にトリニティで修士号を取得して教授に就任。

トリニティ・カレッジの外庭で、彼が万有引力を思いついたという「ニュートンのりんごの木」の子孫を見ることができました。
 
 
ケンブリッジ大学は、創立800年を超す、古~い大学です…。
 
 
 
そして、夜はまたグランチェスターに戻って、有名なパブ、グリーンマンで、夕食を食べた。
 

 
 
Cod(タラ)のソテー。野菜がおいしかった。
 
 
 
チキンパイ。
 
 
 
レッドペッパーのパスタ。
 
 
 
どれもみな、おいしかったようです。
 
 
大変だったけれど、参加者の皆さんの熱意が感じられた研修旅行、少しでもお役に立てたのなら嬉しいです。
 
なにしろ、ポケットマネーで来ているというんですから、イギリスのカウンターパートの皆さんにそれを言うと、みんな感心していましたね。 「イギリスじゃ、自分のお金で研修旅行に行こうなんて言う人はいないわよ…」と。
 
弁護士の皆さんだって、いくらでもお金の儲かる企業弁護士になれるのに、わざわざお金にならなくてとっても大変な児童虐待の分野を選び、こうしてよその国にまで児童保護の司法フレームワークを学びに来る…、しかも自分のお金で。
 
頭が下がりますね。 世の中は、社会は、こういう人たちの熱意で回っているのだな、と改めて感じました。本当の意味で、実にかっこいい人たちだと思います。
 
 
 
来年70歳になる私は、5日間ぶっとおしの通訳という荒行で、金曜日の夜から熱を出してしまいましたが、仕事は終わったので大丈夫。
 
土日はスケートの練習をしようと思っていましたが、休むことにします…。無理はいけません…。
 
 
 
来週は、月曜日から列車のストで、リンクへたどり着けるかどうかも怪しいです。
 
こうなると、再来週の試合は、本当にぶっつけ本番でやるしかない、という状況かもしれません。
 
ひえ~!
 
 
いやいや、なんの。
 
羽生君だって、平昌オリンピックでは、試合の2週間前まで怪我で練習ができていなかったのに、なんと金メダルを取りました!
 
それに比べれば、私程度のスケートで、直前練習ができなくとも、きっとなんとかなるでしょう。
 
何とかなる、と信じてやるっきゃ、ありません。
 
皆さん、応援していてくださいね…。
 
ああ、コワイ…