→RE_PRAY←を見て | ロンドンつれづれ

ロンドンつれづれ

気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
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Giftにつづく、アイスストーリーとしての第2弾の→RE_PRAY←。



 

ゲームを主題にしたコンセプトの構成、と聞いた段階で「私に理解できるかな?興味が持てるかな?」という心配がまず来た。

 

GIFTを実家で見ていた時に、傍らで見ていた若い姪っ子の感想は、「これやっぱりファンに向けたショーだよね」というものだった。ファンだけでもハコに入りきらない観客が押し寄せるのだから、ビジネスとしてはそれで充分なのだが、今回はゲームがコンセプト。ファンとはいえ、自分も含めて中高年の女性にどう受け止められるかな、という気持ちもあった。

 

しかし杞憂だった。

 

 

今回もリンクのサイズは通常のアイスショーよりも大きい。横幅は狭いが、おそらくロングサイドは60mあるのではないか。羽生さんはアイスショーでもジャンプをバンバン入れてくる。 それでも照明は暗いので、高難度ジャンプをいくつも跳ぶのはリスクが高いかな、と思いつつ拝見した。

 

オープニングは無機質なボックスの中で、白いオーバーサイズのコートをまとった演者の指揮をするような体の動きに合わせ、プロジェクションマッピングが動く。

 

そしてファイナルファンタジーの「いつか終わる夢」が流れる。美しい動きの連続するコレオ。「ファイナル」という言葉にも「終わる」という言葉にも、演者・観客ともに「命」や「キャリア」の終焉を重ねる部分はあるだろう。

 

ナレーションが始まる。

「激流に飲まれる、流れにあらがえない、壊れる、止まる。繰り返す景色」などというキーワードが。そして、「息をする。できない。やめる。」を繰り返す。

 

ゲーム世界にキャラクターとしてのゆづが現れる。コントロールを手にすれば、激流から逃れる力を手に入れられるかも…。流れる命を手にし、生物の命をつかみ取り、食らい、生きる力を手に入れるというナレーションが。

 

そして赤いライトの道が現れる。般若心経、椎名林檎の「鶏と蛇と豚」が流れる。

 

黒いレースの衣装で、苦悩するようなコレオ。最初、赤い「制限」からははみ出さない。そのうちはみ出して滑る。そして、せり上がる舞台の上に。一見ゾンビのような動きと心臓の鼓動、ライティング。

 

「生きたいという決意。日常という激流から逃げ出そう。激流に逆らって歩く。突き進む。微動だにしない強い決意。後戻りなどしない。後先など考えない。私が、この世界のルールだ

 

緑の線状のライティングのなか、戻っていく。戦士のようなコスチューム。画面にはモザイクのゲーム画面とナレーション。昭和時代のレトロなゲーム画面。

 

「戦うごとにより強く成長した。より深く進んでいった。強くなってできることが増えた。ほしいものも手に入るようになった。もう激流に飲まれることなどない。自由を手に入れた。さらに強い敵が現れた。倒すためには強い装備が必要だった。新たな強い敵が現れるたびに同じように繰り返し、そのたびに強くなっていく実感があった」

 

この辺は、競技人生の中で上に上り詰めていく自分を描いたのだろうか。それともプロになって自由と強さを手に入れたことだろうか。

 

そして「選択する」自分が現れる。自分の選択により、世界が再構築されていく、というナレーション。

 

そこでHope & Legacyが流れる…。コスチュームを着た羽生さんが地球の映像をバックに暗い照明の中、軽々とジャンプ。

 

ナレーションは、自分の選択についての迷いを吐露している。

 

「選択は合っていたのだろうか。あんなにも多くの敵を倒し続けてしまった。そのかけらで強くなっていった。それは間違ったことだった? 答えは無い。誰にも正解は分からない、なら、この世界で生きよう。この世界で生きていくことを決意しよう。進んでいこう、前に一歩ずつ。どんな困難が待っていようとどんな敵が待っていようと、すべてを背負って戦おう」

 

ここで、ゲームオーバー、コンティニュー?YESという画面が。

 

「なんで戦うのか。もう後戻りはできない。やめよう、本当にやめられるのなら、もうここで戦わないだろう。でも挑む、そこに知らない世界があるから。そこに知らない物語があるから。そこにこの続きがあるから。そのために今を選んできたから。」

 

映像画面は羽生さんがゲームの世界に入り込み、大きなキューブが落ちてくるのを避けているところ。

 

「やめられない、その先へ行きたいという欲望。今を選んできた中で生まれた犠牲を無駄にはできない。Game over, continue, yes、したくないんじゃない。使命感。なぜこんなことしているんだっけ、クッソ、またか、うまくいかない。違うんだよ・・もう、違う、もうちょっとだったのに。一回死んでやり直そう。…」

 

「お前、ここに来るまで一度も死んでないんだな、それとも…何度死んで来た?

 

ここで、ゲーム内の戦士、ウオリヤーのうような衣装で登場、無音楽で、羽生さんのスケートの滑走音を強調。  ブレードの作り出す、エッジ音、着氷音、スピン音、ストップで氷を削る音。実際のリンクの上で聞こえてくる生のフィギュアスケートの音から始まるMegalovania。

 

今回、衣装としては、私はこれが一番好き。夫も、「カッコイイ!」と日本語で称賛。

 

キャメルスピンは腰がしっかりオープン、あれでよくバランスを崩さないな。イリュージョンスピンのスピードの速さ。まったく技術的には衰えるどころか、進化している…。美しいシットツイズル。これはまねしたくてもできない。夫、思わず感嘆の声がでる。「アイスダンサーでまねしていたカップルがいたが、ゆづほど美しくは回れていなかった」と。フライングキャメル。トウステップでの回転。シットスピンの連続。これだけ回転して、よく目が回らないな。回転技がこれでもか、というぐらいのプログラム。

 

映像は、キャラクター化したゆづが次々と映し出される。しかし目の前には生きて演技をしているキャラそのもののゆづが。

 

ナレーション:

ようこそ、よくここまできた。欲望のままにここまで来た気分はどう?好奇心だけで、区々たるものを踏み台にしてきた気分はどう?ここに至るまでの道、様々なことがあっただろう。あなたは知っている。勝利することの快感を。道を切り開くことの達成感を。そして次の物語の展開を楽しみに待っていた。何もかも乗り越えてきたつもりだろう。だがそれは大きな勘違いだ。振り返ればわかるだろう。乗り越えてきたんじゃない。他人も体も精神も自我も命も道徳も人間も理性も思いも夢も希望も憎しみも嫉妬も決意も、すべて壊して踏みつけけて歩いてきた。ただ考え見ていただけ。選んだのだろう、見続けるという選択を。この世界を見たいという心のままに。同時に進めるよう応援していたんだろ?一緒に戦っていたんだろ?経験してきたのだろ? 何度も止められるチャンスはあった。それでも物語にゆだねてきたのだ。もう止められない。さあ、最後だ。これで…最後だ。突き進むために、ここまでの想いのために。選択しよう。あなたの世界に超えるべき壁はありますか。壊すべき壁はありますか。

 

なんとも意味深なナレーションだ。自分に? それとも観客に話しかけているのか? 

 

もう人生の終盤に差し掛かる観客には、最後の質問は少しうれしい。 超える壁も、壊す壁も、さんざん経験してきたからだ…。それを超えてきたか、避けてきたかは別にして。

 

 

今度は赤い衣装で登場。YESをクリックする。そして会場の明かりがつく。リンクをストロークする羽生さん。電光掲示板には6分から減っていく数字が。

 

ああ、これは6分ウオームアップだ。

 

さて、何を見せてくれるか…会場の期待が高まる。限りなく競技会に近いセッティングで見せられる演目。6分は長いようでいて、彼の場合短くすら感じる。それは、本番の競技会であってもそうだった。 6人の選手がリンク狭しと滑る中、会場を埋め尽くす観客の目のほとんどは、羽生結弦選手ひとりに集められていたのだ。その注目を痛いほど感じながら、それでも心を乱されずに6練に集中していた羽生選手を思い出す演出に、会場のファン(映画館やテレビ前のファンも)はエキサイトしたことだろう。

 

「戦う、壊す、戦う、何と?  わからない いやわかっている。けどわからなくなってくる。本当に壊すべきものがあれば、戦うべきものが目の前にあれば、ただ壊すことだけがそれでわかる。わからない。わかりたくもない。壊せ!壊せ!壊せ!進むために。壊せ、俺の決意がやっと出せる。

 

衣装は、Originの黒衣装の赤バージョンのようなデザイン。Originの黒は私が青のファントムの次に好きな衣装。シンプルだけれど美しく、彼の体の線を乱さない衣装。リンク端には、水のボトルとプーさんのティッシュケースをのせた台が。競技時代、ここで最後の精神統一をして、リンク中央へ向かうのが羽生選手のリチュアルだった。今回もそれと同じように。

 

夫、「あれ昔のPoohだね。柚子をもってないよ」とすぐに気が付く。そうだね、カナダから持ち帰ってきたんだよね、と私。夫、詳しいな…。

 

いつものようにバリアの前に行き、水を飲んでしゃがみこむ。そして壁を押してリンク中央へ。

 

私たちにもおなじみの緊張が走る…。そして期待と興奮。

 

曲は、「破滅への使者」。また終焉を思わせるようなタイトルの選択…?

 

重厚なパイプオルガンの音色。

 

そして演技が始まる。

 

薄暗い照明の中、しょっぱなからの4Sと度肝を抜く。そしてすぐに3Aと競技プログラム並みのジャンプが続く。もう1時間近く様々な演技をしてきた後ですよ…。動きのキレはまったく落ちていない。美しいイナバウアー。そして4T。さすがに1回転倒はあったが、そのあとすぐに、3A, オイラー、3S、オイラー、3Sの5連続ジャンプ…。 

 

夫、横で、「彼は今でも競技会に出ればどこだって優勝するね!ジャッジがフェアでチートさえしなければ…。」と感想を。まさにその通り。いったい、アイスショーでこんなにジャンプを入れるスケーターがどこにいる。しかもこのプロだって、繰り返しますが、1時間も他の演技をし続けた後ですよ…。一体どういうスタミナ、そして気力なんだ…。

 

このプロは、競技時代の羽生選手が好きだったというファンも十分に満足させるだけの内容だった。これを第1部の最後に持ってくるとは。まさに圧巻。彼がプロになっても、演技の手抜きをする意志が全くないことを物語っている…。

 

そして画面には演技の後、エラーメッセージがでて、「セーブデータが壊れています…」という文字が。なんなんだ~!

 

えええっ?!という中で、休憩が入る…。

 

製氷休憩

 

30分の休憩が終わり、また「いつか終わる夢」で再開。

 

この「いつか終わる夢」というのは何か彼が伝えたい重大なメッセージなのだろうか。2度も同じ曲を選ぶには、ゲームのコンセプトだからというだけではないような気がするのだが。

 

確かに、どんな夢も楽しみも、いつかは終わらなくてはならない。それどころか、人生だって終わりのあるものだ…。こんな若い人に教えてもらわなくても、中高年の我々はそれを嫌というほど知っているが、日常は意識しないようにして生きている。

 

もしかしたら「僕があなたたちに演技を見せられるのも、期間限定。いつか終わる夢なんです…」ということなのだろうか。淋しいが、それもファンはよくわかっている。だから争ってチケットを手に入れようとしているのだ。

 

いつか終わる夢だからこそ、プライスレスなもの。今、しっかり見ておきたいとファンに思わせる一つ一つの演技。

 

 

「激流に飲まれている。湖の奥深く底に飲まれていく。落ちていく。周りには命がある、一つ一つの命。手にすれば、ここから逃れる力を手に入れることができそうだ。壊したくない。すべてを大切にしたい。周りの命たちが輝く。その渦に飲まれていく。沈んでいく。 遠くに見える水面はまだ光っている。とてもきれいだ。次第に消えていく。もう届かない。何も見えない。暗闇…。ねえ、ここはどこなの?」

 

このように暗闇に沈んでいくような感覚を持ったことがあるのだろうか。

 

「どれくらいの時間がたっただろう。何もなくて何もできない。選べない。世界を飲み込んだ水が枯れていく…。満たされていた水が無くなっていく。命の水が枯れた…。ねえ神様、私は誰?これは夢の中? 私はゲームの住人ですか。ねえ誰が動かしているの? ねえ神様、聞こえている、聞こえてるんでしょう?なんで私は生まれたの?何ができるの? 私は空っぽの器…。」

 

 

天と地のレクイエムで登場。ここでも軽々とジャンプを投入。3Aの美しいこと。ドーナツスピン、ツイズル、芸術的表現を高度の技術が支える。終わるとわずかに首を横に振った。

 

「暗闇の中一人歩く。ただ暗くて方向性も分からない。10センチ先も見えない。周りには誰かいるのかもしれない。どこに進んでいるのかどこに向かっているのか進むのが怖い。この場所にいることも怖い。選択することができない。怖い。なにもかも怖い。なにかしたら何かが壊れてしまう、自分のせいで何もかも壊れてしまいそうだ。選択肢はない。自由を与えられた、ルールが消えた世界。これが「自由」だ。生きているのかわからないほどに暗い。でも自由なのだ。どこにも進めない。水が落ちてきた。冷たくてでも暖かい…?生きている、感じられる、道が照らされる。、進める、神様が導く方へ。水が照らす方へ。」

 

迷いや葛藤、恐怖心が言葉にされる。 プロになった後の心境だろうか。

 

 

そして、「あの夏の日」へ。

 

 

 

白い衣装の羽生さんは絵画のように美しいポジションを取り続ける、あの腰回りのヒラヒラをつけたままフォールンリーフをやったら、ブレードに引っかかるんじゃないかと思うが、もちろんそんなことは起きない。このプロは、私はスターズ・オン・アイスでぜひ見たかったのに、見られなかった演目。 父が亡くなった翌日にGIFTで見て、心に迫ってきた作品だ。今でもこれを見ると涙が溢れてくる…。今回→RE_PRAY←でこれを見ることができて、本当にうれしい。

 

祈る、祈り続ける。希望、夢を。 祈り続ける。神様、見えていますか。 届いていますか。優しくて、儚くて、きれいで、壊れそうで…。」白い羽を拾う。

 

 

水を満たした地球のようなところで手を上に差し上げる

 

守りたい、希望の、夢の、命の、続きを。

 

「春よ来い」が流れ出す。プロジェクションマッピングは美しいピンクと緑の渦に。その中で花びらのように舞う羽生さん。そして大変に姿勢の低いハイドロブレーディング。美しく高さのあるフォールンリーフ。

 

このピンクの衣装は、最初見た時はフリルが多すぎてどうかと思ったが、動くとテーマにあった美しいフォルムを作り出すことが分かった。なんにせよ、羽生さんでなければ着こなせない衣装ではある。

 

「祈り続ける。いつか終わるとしても、夢の続きを大切にする。何を考えても何が苦しくても、本当に辞めることを選ばない限り、続いていく。光とともに明日はやってくる。道は分かれ続ける。どんな選択が待っていても、その先の未来に何が待っていても、決意をもって生きていく。道に迷ったときは立ち止まってもよい。突き進んでもよい。と、思う。自信はないけれど、めぐりめぐってどこかにたどり着くように、命が巡るように。命が星に届くように。」

 

映像画面では、→RE_PLAY← が、→RE_PRAY←に。

 

そしてFINの文字が。

 

 

・・・・・・・・・・

 

いやあ、まだ見たい! 見たりない! もっと、もっと…! とファンならみんな思っただろう。たった一人で演じるのだからそれは無理な話だが、ファンとしては羽生さんだけをいつまでも見ていたい。 

 

「ええっ、もう終わっちゃうの!」終わると同時にそういう気持ちにさせる演者。

 

だから羽生結弦のアイスショーは、何万人を入れるハコであっても、チケットは争奪戦になるのである。

 

その後の映像では勇ましい曲に合わせて、様々な衣装の羽生さんが仙台のアイスリンクで演技する様子が映る。 映像だっていい。これだって貴重だ。羽生さんが滑っているなら、練習でも映像でも良いから、見ていたい。 そういうスケーターなんだな、彼は。

 

指先、腕の振り、首の傾げ方、その動きの一つ一つが、口ほどにものを言う。ジュニアのころからそうだった…。栴檀は双葉より芳し。 強い勇ましい動きも、そして優しい儚げな動きも、彼の思うとおりだ。正確な技術に裏打ちされて。

 

そして、アンコールに戻ってきてくれた…。白いTシャツと黒いパンツで現れた羽生さんはマイクを持って観客に話しかける。

 

まずはスタッフへの感謝。それから観客への感謝をしてファンを喜ばせる。会場、配信、映画館のファンへも。 新プロもたくさんあって大変だった、とも吐露。(まだ他にもあっためているプロがあると)。命に対する、そして今日、明日生きていくことに関しての選択の連続、明日は続いていくということを考えてほしいと思ってこのアイスストーリーをつづった、とファンに伝えた。

 

誰が何と言おうと、多感な思春期に、東日本大震災という未曽有の災害を体験し、命についても明日という日が来ないかもしれないということについても、普通の人よりはずっと深く考え続けてきただろう16歳の少年が、故郷を思って金メダルを取る、といった日を私は今でも覚えている。あの日から彼は故郷や被災者を物心両面で支え続けてきているのだ。 使命感? 何とでも呼んだらいい…。しかし、それは彼の愛に他ならないだろう。

 

 

大勢を巻き込んだ責任あるショーを、たった一人で滑り終えた後に思わずふうーとため息を出しつつもアンコールを告げ、拍手をもらう。Let me entertain youをアナウンス。観客の参加も促す。観客は沸いた。

 

懐かしい、そしてあまり見る回数の多くなかった貴重な演目。

 

アップテンポの曲が始まり、こんなに疲れているはずなのに「寝不足をふっとばす」キレの良いジャンプ! 夫、思わず「見てみろ! 2時間以上演じた後に、まだこのジャンプ!」と手を叩いて大喜び。それも一つじゃない。次から次へと…。シグニチャーの横むきランジのあとに、目の覚めるような3Aを跳んだ時には、夫、感動して笑いだしてしまった。

 

2分半のSPを滑り終わってキスクラで汗を滴らせて息が上がっていたあの弱々しい少年はどこへいったんだろう? 何なの、このスタミナは…。 

 

そういえば夫と初めて見に行った2013年のフィンランディア杯では、フリーを滑り切った後に、リンク中央にへたり込んで仰向けに横たわり、ぜいぜいと息を切らしていた羽生選手である。あの時は、まだ喘息のあることは隠していた時代だった…。

 

アンコール一つ終わって、総立ちになって大騒ぎするファンに、「まだ続くから、大丈夫です…」となだめる羽生さん。ファン、期待に胸が高まる!

 

そして、いよっ、待ってました、SEIMEIの最後の部分。パンパン!って決めポーズの後のコレオシークエンスとフィニッシュのスピン。ファン、ワーワー大騒ぎ。

 

やっぱり、競技プロをちょっとでもやってくれると、盛り上がりますよね。彼の歴史というか、変遷というか。ファンも競技プロとともに応援してきましたからね…。

 

そして、ロンドカプリチオーソのピアノ曲とともに、練習映像が流れる。今回のアイスストーリーのメイキング映像も。それを見ながら、改めて、大人になったなあ…と感慨深い。本当に、まだ13,14歳のあどけないころの羽生選手から応援してきた…。泣いている顔も、笑っている顔も覚えているのだ。

 

衣装をきちんとコスチュームに着替えて、最後の最後の演技。いや、本当にありがとう。スケーター羽生結弦を堪能いたしました。

 

 

大きくなったなあ。強くなったなあ。大人になったなあ。本当に立派だ。

 

結弦君、あなたの人生の選択は間違ってなかったってことだよ。 これだけ多くの人の支持を得て、愛されて。

 

人生の岐路で必ず選択をしなくてはいけないのはどの人も同じ。 

誰の人生も選択の連続なんだから。そしてその結果は自分で引き受ける。

 

でも、普通の人の人生は、これほど多くの人に注目されたり、褒められたり、批判されたりはしない。 うんと若いころから、その時々のあなたの選択がどのような批評をうけるか、意識しないではいられなかっただろうね。 アンチと呼ばれる人たちからは、心無い攻撃もあった。

 

私たち凡人とは違う重みで、責任もその後の結果も引き受けて選択をし続けてきたに違いない羽生選手。 ゲームのように、やり直しがきいたなら、別の選択をしていた? 別の人生を歩んでいたかも? と思うこともあったかもしれないね…。

 

しかし、プロになった今、そして自由と強さを手に入れた今、きっと羽生さんに迷いはあまりないだろう。 競技から去ったいまでも、そして伴侶を得たいまでも、スケーター羽生結弦を変わることなく、いや、今まで以上に応援をする人はたくさんいるということが、はっきり認識できたはずなのだから。

 

 

あなたは自分の人生を自由に選択できる。もうあなたを縛るものは何もないのだから。

 

 

今回、GIFTとはまた違ったコンセプト、演出で行ったアイスストーリーの第2弾。大成功と言ってよいだろう。これから、佐賀、横浜と続くが、またチケットは争奪戦に違いない。

 

 

そして彼の実験や挑戦はこれからも続くだろう。期待しかない。

 

これまでの競技やエキシのプログラムの数々を、アイスショーの大きなテーマのピース、素材として入れることは彼の場合可能だろう。 彼のこれまでの作品の持つ、大きなメッセージや抽象的なコンセプトは、いかようにも応用できるはずだ。

 

 

プロローグは競技選手としての総括とプロとしての新たな一歩だった。

 

GIFTの時は、自分の内面を見つめてのストーリーだった。それは確かにファンにとっては贈り物だったのである。

 

 

今回のナレーションは、自分を客観的に俯瞰し、観客に問いかけている印象があった。そして本人のインタビューでも、「見ている皆さんひとりひとりが、命や選択について考えてくれたら」と話している。

 

 

ある意味、GIFTを見ての姪っ子の感想は正しかったのかもしれない。GIFTにせよ、今回の→RE_PRAY←にせよ、彼のこれまでの軌跡や言葉を知らない人たちが突然見ても、ナレーション部分の意味があまり理解できないかもしれないアイスショーだからである。

 

しかし、それでよいのではないだろうか。

 

それは批判されるべきことではなく、基礎知識や下準備がなければ100%理解、楽しむことができない絵画やオペラのようなものかもしれない。

 

会場に詰め掛け、映画館でライブビューイングを見、CS放送や配信でこのアイスショーを見ようという客は、もともと羽生結弦選手をよく知る人々であり、スケーターとしては完成されていたとしても、人間としては迷い成長する一人の青年の軌跡を見たいという人が大半だろう。

 

これまでの彼の悩みや苦しみを共有してきた、したいと思う人々が主な客層なのだから、彼のアイスストーリーの構成・演出は、これでいいのである。

 

私もジュニア時代から彼を応援し続け、彼の葛藤も悩みも諦念も見てきているつもりなので、ナレーションのそこここで、「ああ…、こういう気持ちだったのかな…」と思い当たることはあるのだ。 

 

今回、自身の心を客観的に俯瞰して見るような言葉を聞くと、大人になったんだなあという感慨深い気持ちがわいてくるのだ。ファンが怒り、悲しんでいたような気持ちは、羽生さんも持っていたんだなあ、と。選手時代には表にはあまり出さないでいたけれど。

 

ご本人は「これは僕の物語ではない」と言っているが、自分の中にないものは人は出せないものだ。 自分の中で少しでも感じ、一度でも考えた言葉でなければ、他人に伝わる真実味はないだろう。

 

一方、これは自叙伝的なナレーションのようではあるが、あくまでも「職業・羽生結弦」としての一面であり、彼の作品としてのアイス・ストーリーなのだ、ということを忘れてはいけないとも思っている。それを肝に銘じておかないと、「アイスショーで孤独だと言っていたくせに、勝手に結婚した」などとおかしな批判をする人になってしまうから用心が必要だ。

 

 

ところで羽生さんの場合、ナレーション抜きにしても、アイスショーでの彼の数々の演技は見る価値がある内容・技量なのである。なので、フィギュアスケートがお好きな方なら、別に羽生さんのファンでなくても、その驚異的な技と芸術性を十分に堪能できるはずである。

 

今回新たに加えられた3つのプログラムは、プロだからこそできた内容であり、そして苛烈な現役時代の競技生活を勝ち抜いてきたからこそ実施できる高度な技術であった。

 

 

競技会に行けば、2分半、4分の演技を行うだけでも心身ともに疲労困憊するのが普通の選手たちである。 

 

それを、プロとはいえ2時間半の長丁場をたった一人で12種類もの演目を滑り切り、最後の最後のアンコールでいともたやすくトリプルアクセルを跳んでしまう羽生さん。 本当にすごすぎる…。 プロになって、ますます強さを身に着け、自分で決定・実行する自由も手にしているのだ。最強ではないか。

 

 

実は、私の見たいのは「滑っている羽生さん」なので、このところの彼のいろんなメディアへの露出はうれしい反面、その情報の多さに消化不良を起こしつつも欲求不満もあったのだ。なにしろ、6月以降の滑ってくれない羽生さんだと、ちともの足りないのである。ダンスであっても足りない。やっぱり滑ってくれないと。

 

ということで、本当に5か月ぶりの「滑る羽生さん」は、眼福であった。ファンたちもスケーター羽生結弦を待ちかねていただろう。 8月の「ショッキング」なアナウンスメントに打ちひしがれていたファンも、これでまた息を吹き返したんじゃないだろうか…。

 

やっぱり羽生結弦は「滑って」こそ、なのである。他の様々な活動は、私にとっては付属でしかない。あの技術、芸術性で世界の頂点に立ち続けた彼の言葉だからこそ、説得力が生まれるのである。そんな彼だからこそ、写真集にも価値がでる。ただの「見栄えのいい」28歳じゃないのだ。 彼の持つ技術と芸術性こそが、世界中からファンを集めるのである。今回もアジアのみならず、ヨーロッパからもファンが集まったと聞く。そういえば、フランスGPSの会場でも、GIFTの白いフリースのパーカーを着ている女子が複数いた。

 

 

そのGIFTの単独公演で度肝を抜いてから1年もたたないうちに、今度はツアー。ツアーって、1日限りじゃないのだ…。埼玉アリーナだって、2日続けてでしょう、しかも2日目の方が、動きがこなれていたっていうんだから、モンスターである。

 

28歳であのスタミナ。気力。きっと40歳ぐらいまでこの調子で突っ走るんじゃないか。そんな気がしている。 あと12年か。私はもうこの世にはいないかもしれないな。 じゃあ、死ぬまで楽しめるかな。

 

羽生さんには、体にだけは気を付けて、ますますこのスポーツの可能性を切り開いていってほしい。私たちファンのためにも、そして後続のスケーターたちの希望のためにも…。

 

 

羽生さんインスタより。