天才同士 | ロンドンつれづれ

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少し前になるが、BS放送でフィギュアスケートの羽生結弦さんと体操の内村航平さんの対談番組があった。

 

内村さんと羽生さんはこれまでもお互いを尊敬しているんだろうなあ、というコメントをそれぞれに出していて、これまで面と向かって対談をしたことがなかったというのも、へええ、意外…という感じだった。

内村航平×羽生結弦 SP対談完全版~金メダリスト同士が語る究極の世界~』|BSフジ

 

 

もっともどちらもついこの間まで、世界のトップを張って日々全く気の抜けないトレーニングを続けてきていた現役のアスリートだったのだから、対談をしている時間もとれなかったのかもしれない。

 

ということで、少なくとも羽生さんのファンは「ぜひいつか内村さんと対談しているところを見たい!」と望んできたので、今回のものは「夢の対談」というところなのである。

 

なぜ内村さんなのか。 それはこれまでも内村さんからラブコールともいえるようなコメントを羽生選手のキャリアの節目でもらっており、(たとえばピョンチャンオリンピックを見ての、「もう、持ってらっしゃるでしょ。オーラが…」「羽生君にしか超えられない、この壁は」など)一流のアスリートが別の一流のアスリートにに対して持つ尊敬の念が感じられたのである。

 

羽生さんの側からも、尊敬するアスリートとして内村さんの名を上げることもあり、今回の対談の前にも、「僕らだからこそ一緒に分かることだったりとか、僕らだからこそ話し合えることがあると思うので、いろいろ赤裸々に話したい…」と、内村さんを入れての一人称で語るあたりも、共感できることがあるという確信が見える。

 

内村さんからは「アスリートとしてというより、一人の人間として興味がある同士だと思うので…」とこれまた共感できる部分をすでに感じている様子。

 

「夏の絶対王者、内村航平」と、「冬の絶対王者、羽生結弦」は両者ともオリンピックの2連覇という、天才、それも運をも味方につけた天才同士の対談。

 

これは楽しみでしかない。 そう思ってじっくりと録画を見させていただいた。

 

まずは、燦然と輝く金メダルの数々を見ながら、そのデザインや保存法などを話し合う。 面白いのは、「そうそう!」という共感というよりは、どちらも違うことを言うところ。保存方法など、ジプロックと分厚い毛糸の手袋…。「モノに対しては大事じゃないから」という内村さんに対し、「僕は割とむやみやたらに触られたくない・・ですね」という羽生さん。平昌は「全部削ってとりにいった、生きている証」と。

 

そして怪我の話に。 体操も、フィギュアスケートも怪我は付き物。痛みをどうやってコントロールして試合にでるか。4回転半の話になり、内村氏がオリンピックちょっと前のインタビューで「体操の場合は上半身きっかけ」という話をして、それを聞いた羽生さんが色々試してみた、と。そこから「軸」の話に。フィギュアと体操では、回転の方向が違うので軸の作り方も違うだろうが、参考になるのかなあという内村さんに「なりますなります」と羽生さん。どんなものでも自分の技の糧になるなら、取り入れるんだろうなあ。

 

 

下のやり取りは、二人の「こだわりどころ」の似た部分だろうと思う。

 

内村「見えてないものが見えてくると、自分に期待もしてくるし、勝ち方にこだわってくるというか。何を見せたいか、とかね…」

羽生「なんか、それが邪魔になったりもしますよね。で、いらなかったじゃんっていって元に戻して勝てるようにしたりとか、元に戻しても勝てなかったりすると、迷う。」

内村「そうするとやっぱり自分の貫くべきところが大事になるんだよね」

 

 

採点競技というフィールドにおいて、技の難易度と完成度に強いこだわりを持ち極めてきた二人。お互いのどこに共感してきたのだろうか。

 

「フィギュア視点、まあ羽生視点なんですが、内村さんの演技の綺麗さって、回転のかけ方が、めっちゃ細いわけではなくて無駄に体で煽ることなくピタってハマるのが好きなんですよ」と羽生さん。「伸身のまっすぐの具合が、ちゃんとまっすぐ…たまにケツ*出てる人とかっていらっしゃるじゃないですか。その感じが、ほんと僕は内村さんならではだなあ、と思っていて意識してます?」

内村「…(うなづいて)、メッチャ見てるね!」(笑い)

羽生「その、正確さと綺麗さがちゃんと評価されると、僕らとしては嬉しいですよ、なんかやっている意味がある。自分らの”プライドの塊”みたいのがそこに存在しているから。なんかそれがちゃんと評価されているのとされないのとでは違いますよね」

 

*フィギュアでは、イーグルでケツが出ちゃってる人、多いです。膝を伸ばした状態のアウトエッジイーグルで、ケツが出ない人の方が少ない。もちろん、羽生さんや浅田さんは、実に美しい姿勢のイーグルを滑りました。 そういうところ、気になるんでしょうね。

 

 

そして、いよいよ「赤裸々」な発言に入っていく…

 

羽生「例えば内村さんだと、連覇ずーっと続けていてそれこそリオが一番良かった―みたいな感覚があったとして、そのどんどん評価って上がっていかなうなる、間違いなく。その、メッチャいい演技できました、前と同じ点数、もしくは低い、みたいな。勝てるようになるまではどんどん点数上げられるじゃないですか。その、難しいことがもっとできるようになったりとか、もっと確実にクオリティ上がったりとかっていうのがあるけど、そうするとドーってすごい上がっていきやすいですけど、だんだんその、上り幅が無くなっていくじゃないですか。ただ維持していくだけっていうか。なんか今回僕はすごく気持ちよかったのにすげえ点数低いな、とか。どんな思いでやってました?」 

内村「いや、もう…、シンプルに気にしない、(羽生「強え~」)点数を気にしないっていうところに至った」

羽生「でも、途中、苦しかったですか、やっぱり?」

内村「そうね、あんまり評価されないなあ~みたいな時もあったけど、まあ、まあ、みたいな。」

羽生「強いですね~」

内村「もう、自分が自分であるっていう演技さえしっかりできれば、もう点数は何点でもいい、っていう」

羽生「カッコいい…」

内村「でも最終的にそれができると、こうして結果はついてきたから」

羽生「そうですねえ」

 

う~ん。 この段、おそらく羽生さんのジレンマというか苦しみは、内村さんにはちょっとわからなかったかも。なぜなら体操競技はフィギュアよりも正確な採点ができるうえ(AIをもっと利用している)、採点に不満があれば、チャンレンジすることができる。現に日本のコーチが「物言い」をつけて、再度ビデオチェックの上点数が変わり、順位が覆ったオリンピックもあったし、それで順位が下った英国の選手たちは文句を言わなかった。しかし、フィギュアの試合では未だジャッジたちの「肉眼」での判定に頼り、しかも不可解な採点に対し、選手もコーチも何も言うことはできない。

 

それから内村選手の練習風景が映り、二人は「失敗」について話し出す。「内村航平でもこんな失敗するんだ、ってすげえ自信になりましたよ」と羽生さんが言うと、「結局、お互い、ま、ね、いろんな人から多分すごいとか天才とか言われてきたと思うけど、ま、結局は同じ人間だから。そこはまあ、人には良く映っているかもしれないけれど、自分が一番そう思ってない、っていうか。」

 羽生「そうですね」

内村「まあ、普通の人間だしな、見たいな。そりゃまあ、他の人よりも努力しなきゃいけないし、お互いがお互いをたぶんリスペクトして見てるからそういう風に映ってるのかなって言う…」

羽生「まあ、分かってもらえない者同士でもありますよね、なんか、そんな簡単にずーっとミスしないわけでもないし、そんな簡単にこんなきれいな技がこなせるわけでもないし、そこん中にメッチャ努力してんだけど、なんか他人から見たらいっつも完璧だよね、お前...,みたいな感じで見られやすい人間なんで、そこの奥の挫折とか失敗とか工夫の仕方とかがみられた時に、ああ、なんか、僕もこういう人生だったけど悪くないな、って正直思いましたけどね。ちょっと嬉しかったんだと思います。なんか、自分が割と分かってもらえないと思いながら過ごしてきた人間だったので、なんか、ああ、同じ人間だあ、って思って。」

 

 

勝って当然でしょ、みたいな期待にどう対処してきたか?

 

内村「嫌だと言うよりかはシンプルに、もっとそう思ってほしい、っていうか。」

羽生「カッコいい…」

内村「もっと、こう、プレッシャーを求めていた感じはあったかな…」 リオ以降は、もっとできるはずなんだけどな、と思いながら怪我などと闘って、思うような練習ができなくなった、と。

 

羽生「プレッシャーに強いタイプってすごい言われるんですけど、プレッシャーに勝てるぐらいの練習してこないとそこにはたどりつけないなーって思っていて…」

内村「いや、みんな(羽生は)プレッシャーに強いと思ってるはずだけどね、じゃないとそこに2個(オリンピックメダル)持ってないはずだし。」

 

 

極限の重圧と闘い続けてきた二人の王者。肉体・精神との向き合い方は?

 

「今、自分一番上手いですもんね、間違いなく」

 

これが言える強さ。いいなあ。チェンジメイカーはそうでなくてはいけない、と思う。

 

先頭に立って進む人は風当たりも強い。批判も受けるだろう。 しかし、ちょっと批判を受けたからってすぐに軌道修正するようでは、「信念は無かったのか」と言われる。 自分の信じた方向を見失うことなく、まっすぐに進めばよい、と思う。

 

羽生「精神を摩耗することが少なくなった。試合にがむしゃらさって必要ないじゃないですか。肉体が勝手に動いてくれるまでの練習を積んでいないとできないわけで。勝手に動いてくれるまでの練習って、がむしゃらだけだと怪我するんで、その積み方がうまくなった。たとえば100本跳んだら、100本分上手くなるかって行ったら、そうでもなくて、10本ずつ10日間でメッチャ集中してやった方が学べることが多いかもしれないし、っていうことを考えると、もっとこういう練習あるじゃん、ってやってこれましたね。それがある意味では、摩耗しなくなったって感じですかね。なんか、体力と精神のバランスが良くなったな、って。」

 

内村「すごいっす。いや、体操やってなくって、僕が思っていること、やっていることを分かっている人がこの世にいるんだ、って、今シンプルに思いましたね。やっぱ、同じ領域まで行った人なんだな、って。」

 

 

羽生「結果とれたオリンピックは一生忘れないようにしたい」

 

羽生「嬉しい記憶ってどんどん消えてっちゃうから、例えば平昌の時のフリーの感覚とか、ああ、なんか、一生忘れないようにしたいな、って。割と月一ぐらいで思い出してなぞったりしますよ。」

 

内村「平昌の演技が忘れられなくて、なんか自分のリオの個人総合も結構自分の中では良かったなっていうのはあって、それ以上に人のを見てここまで、衝撃を受けたのが今までなかったんだけど、それがまあ、他の競技だったんだよね」

 

羽生「ありがとうございます」(と、実に嬉しそうな笑顔。素直だなあ)

内村「あれは今でも忘れない」

羽生「嬉しいですね!そういっていただけると…」

 

壁の話

 

環境や固定概念について熱弁をふるう羽生さん。フィギュアスケートの年齢についての固定概念が覆ったのは、日本に帰ってきて効率の良い練習の仕方を見つけてからだ、と話す。

 

一般に信じられているピーク年齢に捕らわれずに常に自分のベストを更新できる、ということか。

 

そして、難度の高い技などについて、以下の言葉が続く。

 

「できないはずがない、って思っていても、できるわけもねえ、みたいな時もありますし。あと、なんだろ、やっぱり、採点競技っておっきいのかなって思いますよ。やっぱり。その、どんなに成長して行っても、形としてまったく変わってっても、その自分の、気持ちの持ちようがだいぶ変わってても、(点数が)出ないときって一生出ないじゃないですか。で一回レッテル貼られたら終わりじゃないですか(内村氏、深くうなずく)、採点競技、ほんとに。だから、なんかそういう意味で、僕は、競技している時に、あ、もうなんか、あ、これは勝てなくなっていくんだな、っていうのは思ってて、余計なんかふさぎ込んで、跳べなくなっていくっていう時期がすごくあったんで…。もっとなんか、タイムとかだけでやれる競技だったらもっと楽だったかもしれないな、って思いますね 」

 

内村「なるほど…。意外と、なんか、繊細な部分が感じられました、羽生選手…」

 

羽生「めっちゃ繊細ですよ! もう僕なんか…」

 

。。。。。。

 

ふう、羽生さん、確かに赤裸々に語っておられる。 これはもう、ご本人だけでなく、おそらく観ていたファンも多かれ少なかれ、「ああ、もう勝たせてもらえなくなったんだな」と思ってましたからね。 誰が何をどう滑ろうと、勝たせたい選手はすでに決まっていて、そのためならミスも見逃す、ルールも変える、なんでもアリなんだな、と。

 

フィギュアスケートは非常にメンタルなスポーツなので、試合会場での雰囲気ひとつが演技の出来不出来に大きく影響してくる。 そんな中で、ジャッジが自分の味方についていると思うだけで、強気になって実力の120%が出せる選手もいれば、どれほど質の高いエレメンツを見せても、高いGOEはつけてもらえないんだな、と思いながらの選手の演技は、おのずと勢いが落ちますよね。「ふさぎこんで跳べなくなっていく」というのはよく理解できます。

 

レッテル貼り。これも選手は分かっているんですね。同じ怪しいエッジでも、必ずコールを受ける選手と、必ず見逃される選手がいる。「この選手のルッツは!かe」と決めつけられている選手は、まともに跳んでもコールされることがありますし、同じように怪しいエッジでもいつも見逃される選手もいます。基礎点も、GOEも違ってきますから、ジャンプひとつで4-5点の差をあっという間につけられますよ。これも、ジャッジが自分の味方か、あるいは他に本命勝たせたい選手がいるかどうか、それを意識しながら競技を行う選手はメンタルやられるでしょうね。

 

これらの羽生さんの発言を、内村さんが理解していないわけはないよな、と思っていましたが(そして内村さんの表情を見れば、おそらくは故意に)スルーする感じのやり取りでした…。 一つはフィギュアとくらべ、最初に述べたように体操の採点の方が明瞭であること、フィギュアの採点の曖昧さや政治的なアジェンダは、よくわかっていないんじゃないかなと思います。さらに内村さんはじきに体操連盟の理事になりますからね。発言には慎重になっているのだと思います。

 

 

そして、天才二人のゾーンの話…

 

もう、この段になると、一般常人にはついていけない感覚。普通の人は「ゾーン」に入ることなんか一度もなくて生涯を終えていくんじゃないか、と思う。少なくとも、私はそうだ。

 

羽生さんは2004年のノービスで9歳の時にまずゾーンを体験。そしてこれまでで一番深いゾーンは、2020年の全日本のフリー、「天と地と」のパーフェクトな演技で体験した、という。確かにあれは見事な演技だった…。

 

「失敗する気がしない」というのはすごい。150%の自信を持ってリンクへ出ていき、スッと始まりのポーズを取った時に、自分の姿を客観的に観ることができるんだろうね。「体が自然に動く」ことを知っている、というか。

 

ジャンプもスピンも、およそ回転するものは軸がずれると失敗するんですが、「上からちゃんとリアルで見えていて、跳んだ瞬間に、あ、軸ずれてるから直そう、って上からつまむみたいにすると、ジャンプ全部跳べる」ということを言っていて、うう~む、とうなってしまった。

 

ちょっと高いところから自分の演技を客観的に見ている図、が頭のなかに浮かぶんだろうな。それは常人ではちょっと…。

 

すると内村さんは、似てるかもしれないですね、ゾーンの感覚が、と言って、羽生君の場合はたぶん「繰り人形系」僕の場合、ロボット司令塔系なんですよ、と。羽生さん、思わず嬉しそうに笑う。操縦室みたいなところにちっちゃい自分がいて、やってるんだけど感覚はもう自分ではない。で、ここにいるちっこいのが操ってるっていう感覚になる。「へえ~!面白いですね!」と羽生君感心することしきり。

 

もう本当に、この二人の言ってることは、よくわからない…。でもまあ、自分の体を自分の思うように操れなければあのような緻密な動きをコントロールすることはできない、というございますことなんだろうな。それこそ、2,3ミリの違いでも技の成否、あるいは良し悪しを左右するようなレベルの身体コントロールは、自分の体であっても外から客観視して支配しなければ、できない、ということなのかもしれない。

 

「操り人形」、あるいは「ロボット」という概念を使って、自分の体をコントロールするすべを、この二人は違う競技でありながら、似たような方法で編み出してゾーンに入っていた、というのである。

 

内村さん、「でも、一時停止できるのはいいね、俺はできなかったから・・」と羨ましそう。羽生さん、ゾーンに入ると、360度カメラのように停止画面であらゆる角度から自分を観ることができるそうな…。ひえ~。どんな超能力なんだろう。でもそれはゾーンの手前であって、奥の方のゾーンでは何も考えてないそうだ。そして2020年の全日本のゾーンが一番深かった、と。

 

しかし4回転半入れるようになってから、簡単にゾーンに入れなくなった、と。難しい技を入れると考えてしまう、ここ、こうしてああしてこういってここでいける…と。ずーっとイメージして何回も何回も反復でやる、固まるんですよね。思考を使いすぎると酸素も奪われるし…。

 

内村さん、「そうだね…、メチャクチャ分かる…」と。

 

ブレトシュナイダーやるとき、メチャクチャ考えているの観ていてわかります、という羽生さんに、「そうだね、考えて考えて考え抜いた先に考えない…」「そこに行けると楽なんですよね、行けないんですよ!」と羽生さん。 「考えちゃうんだよね、やっぱり。分かってんだけど考えちゃう。」と内村さん。

 

 

そう言えば、私の下手くそなスピンでも、考えなくちゃならないことは山ほどある。

 

「左アウトエッジに深く乗って、このぐらいの円。その時上半身は前のめりにならない。膝は深く曲げて氷を上からおすように。肩は水平にして体重は全て左足。顔は回転する方にわずかに向いているが、やりすぎない。右のフリーレッグはまだ持ってこない。右腕は肩の高さ、氷と水平に保ち、フリーレッグと共に前に持ってくる。左手と右手の関係は、3時から9時の形に変わる。その時左足の膝が伸びて、体重はフォアアウトエッジから変わり、バックインの親指の付け根のあたりにのせる。スリーターンと共に回転が始まるが、フリーレッグを左足の膝の横当たりに着ける。右の腰を持ちあげるようにし、体重をしっかりスケーティングレッグにのせる。腕は集めて胸の前にクロスする…。

 

以上を踏み込んで回転が始まるまでの2秒足らずに全部正しく行わなければ、スピンは失敗する。まだ見落としていることもあるかも。とにかく、10個ぐらいの注意点を繰り返し口が酸っぱくなるほどコーチに繰り返し注意してもらって、自分もああして、こうして、こうやって…というのをやるたびに思い出しながら、一つができると別のを忘れ、またコーチに指摘される…というのを繰り返すのである。(やれやれ…、だからできるようになるのに9年もかかったのだ)

 

いやいや、技の難易度がまったく違うのでお話にならないんですが、「考えすぎるな」というのは、毎回コーチに言われます。「今、考え過ぎたでしょ」って。考えなくてもできるぐらい、体が覚えるまで練習しなければだめ、ってことでしょうが、いやはや何しろ難しい…。

 

 

そして彼らの未来…

 

内村さんは子どもたちに体操の世界、楽しさを伝えるイベントを始めている。そして羽生さんはたった一人で何万人もの観客を沸かせる前代未聞のアイスショーを…。

 

独りでやるって、大変なんですよ、と簡単そうに言うが、本当に実際大変なんだろうと思う。それは体力やスタミナ、気力というだけのことではなく、たった一人で何千、何万人、いや、テレビや劇場での視聴を入れたら何十万、何百万人ものお客を満足させるだけのものを提供するって、生半可なことではできないだろう。

 

もちろん、様々な分野のプロ、それも超一流のプロが羽生さんをサポートして実現しているアイスショーだとしても、これまでに例を見ないタイプのイベントである。それを少なくとももう、横浜、八戸で大成功させた。

 

そして今度は東京ドームという大きな箱でも成功させるだろう。

 

「一人でやるって、本当、まず考え方自体が可笑しいですし、それでも自分が、ちゃんと自分のスケートだけで、自分のスケートを完結させたい。ちゃんと自分のスケートが観たいって思ってくれてる人に対して、自分のスケートだけで全部勝負する、みたいな感じがありました。」

 

「4Aやるのを辞めないですし、でもプラスアルファでやっぱり自分がプライドとして持っている自分のスケートの綺麗さみたいなものとかは続けていきたいなあって思いますし、絶対それは譲らないと思ってます」

 

正直言って、「羽生結弦」のスケートを観たいと思って競技会に出かけていた人たちは、羽生結弦以外のスケーターの滑りを見ても、もう満足できないだろう。 試合の演技もだが、早朝練習であれほど会場を満員にさせることができるのは、羽生選手ぐらいだったのではないだろうか。

 

海外の試合で、そもそも早朝から練習など見に来るのは物好きなスケートオタクぐらいのはずだったのが、羽生選手の参加する競技会では日本から駆け付けたファンが何千人も朝7時から列をなして、練習を見に来るのである。 練習なら、40分近く羽生さんの滑りを観ることができる。たとえそれがウオームアップのルーティンであっても、何度も繰り返されるステップシークエンスであっても、失敗も含めたジャンプ練習であっても、羽生結弦が滑っている限り、それを一つも漏らさずに観たい、というファンが何千人もいるのである。

 

であれば、プロになった羽生結弦氏のアイスショーで、ファンが見たいものと言えば、羽生結弦のスケートのみであって、他のスケーターはいらないのである。 

 

それを羽生氏自身は、よーく知っているのだろう。 彼のスケートを好むファンは、他のスケーターの滑りでは満足できない。同じ2万5千円を支払うのであれば、たとえそれがウオームアップの練習であっても、「羽生結弦」のスケートが、それだけが観たいのである。

 

仙台では内村さんを招待しての、震災関連のアイスショーということで、仙台ゆかりのスケーターさんたちも参加する。これはこれで、また別の意義をもったアイスショーであり、仙台や東北の方たちが多く見に行かれるのではないだろうか。

 

プロ転向してから、次から次へと実に目まぐるしく活動の場を広げ、メディア露出をし、アイスショーのプロデューサーとしても活躍している。

 

そうだ、まだたった28歳の若者なのだ。エネルギー、気力、そしてアイデアに満ち溢れているに違いない。

 

狭いスケート界を飛び出し、様々な分野の一流の人々とコミュニケーションを持ち、スポンジのように色々と吸収しているのだろう。

 

本当に毎日が生き生きとして楽しくてしょうがないのではないだろうか。

 

私たちファンも、こうやって異分野の一流の人々と交流している羽生さんを観ることが楽しい。

 

ユーミンさん、清塚さん、そして内村さん。 東京ドームではMIKIKOさんとのコラボもある。

 

一つの枠に収まりきらない才能が、多くの才能を異分野から呼び寄せる、シナジェスティック・エフェクト。

 

GIFTのチケットは相変わらず手に入らないが、きっとどこかで放映してくれるだろうから、それを楽しみに待つことにします。

 

 

これからも、のびのびと、思い切り、そしておおらかに翼を広げて大空を飛んでください。

 

1日1日と老いていく身には、まぶしいほどの活躍ぶりですが、そこから元気をもらいつつ…。

 

健康にだけは気をつけて。

 

 

...........

 

ところで…。

 

対談の中でもちょっと言及していたけれど、採点競技、特にフィギュアスケートの採点の不明瞭さ、その政治的ともいえる采配については、何も羽生氏の指摘だけではない。

 

 

バンクーバーとソチのオリンピックのアイスダンスの金メダリスト、スコット・モイア氏も、フィギュア競技の採点について、辛口のコメントを公表している…。

 

動画は一部の切り取りだが、以下のように。

 

「審判のスキャンダルが4回も5回もあって、みんなウンザリしているんじゃないかな、結果が最初から決まっているようなスポーツを何のために観ているのか…。みんな知らないふりをしているけど、今でもそれがこのスポーツ(フィギュア)の一番大きな問題なんじゃないの。いくら採点競技だからっていって、これからもこんなやり方をしていくの?って。いつもいつも同じ国が勝つようなやり方をして、(審判が)本当に政治的だってことが、一番の問題でしょう。実際がっかりだよ。でも僕たちがそれを変えて行けばいいんだよね。だから僕はまだスケートに関わっているんだよ…」

 

 

前後のコンテクストが分からないので、ほぼ想像で訳しましたが、要は採点や審判を信用できないので、ファンが離れて行っていることを話していると思います…。

 

何とかしないと、このスポーツはファンから見放されるという危機感を持っているように見えます…。