27歳 | ロンドンつれづれ

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気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

 

若いっていいなあ。

 

私は27歳の時、何をしていただろう? 

 

もう、果てしなく遠い日のことのようで、よく思い出せないけれども、4年間のイギリスとドイツでの生活のあと、日本で1月の大学受験の準備をしていたんじゃないか、と思う。

 

駆け出しの通訳を始めて自分の力不足を感じて、「同時通訳」のコースがあるICUに通うことを決め、願書を出したりしていたのが27歳の12月だった、と思う。 そしてそれがその後の私の人生のコースをかなり大きく変えたのだった。

 

4月、周りが皆18歳の若い人に混ざって、それから5年、ICUで勉強し、その間に子どもも生んだのである

 

今日、27歳になった羽生君は、65歳の時に自分の27歳のころをどのように思い出すのだろうか。

 

凡人の私の人生と違い、彼の人生はたった27年の間にも、波乱に満ちたドラマのような人生だっただろう。 オリンピックの優勝など、忘れられないイベントがちりばめられた、充実した27年だったに違いない。

 

しかし、65歳で思い出すと、27歳はまだ人生の入り口のように感じられる。 その後、長い長い人生がまだ続いていくのである。

 

きっとこの後も、羽生君の人生はキラキラしたイベントに彩られているのだろう。 選ばれて生まれてきた人。 人の人生にも大きな影響を与えることのできる人。 

 

愛情深い家族に恵まれ、世界中に彼の幸せを願うファンがいる羽生結弦選手には、私なぞが祝う必要もないだろうけれど…。

 

お誕生日、おめでとうございます! 

これからの人生も健康で幸せに満ち溢れていますように。

 

 

以下、写真は全て夫撮影です。

 

(2012年、フィンランディア杯で)

 

(2013年、フィンランディア杯で)

 

(2013年、フィンランディア杯で)

 

(2013年、フィンランディア杯で)

 

(2013年、エリックボンパール杯で)

 

(2013年、エリックボンパール杯で)

 

(2014年、グランプリファイナルで)

 

(2014年、グランプリファイナルで)

 

(2014年、グランプリファイナルで)

 

(2014年、グランプリファイナルで)

 

(2014年、グランプリファイナル)

 

(2015年グランプリファイナル)

 

(2015年グランプリファイナル)

 

(2015年グランプリファイナル)

 

(2016年グランプリファイナル)

 

(2016年グランプリファイナル)

 

(2016年グランプリファイナル)

 

(2016年グランプリファイナル)

 

(2017年ヘルシンキワールド)

 

(2017年ヘルシンキワールド)

 

(2017年ヘルシンキワールド)

 

(2017年ヘルシンキワールド)

 

(2017年ヘルシンキワールド)

 

(2018年GPSヘルシンキ)

 

(2018年GPSヘルシンキ)

 

(2018年GPSヘルシンキ)

 

(2018年GPSヘルシンキ)

 

(2018年GPSヘルシンキ)

 

(2018年GPSヘルシンキ)

 

(2019トリノ・GPF)

 

(2019トリノ・GPF)

 

(2019トリノ・GPF)

 

(2019トリノ・GPF)

 

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全て以下、夫のスケート写真のサイトから

https://phantomkabocha.com/FigureSkating/index.html#GPF2014

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この間、もちろん2度のオリンピックでの優勝を含め、世界の各地でその華麗な演技をスケートファンに見せてくれた羽生選手。

 

コロナ禍のため、これ以降の羽生選手の競技を観に行くことは不可能だったため、夫の写真はここまでになります…。 

 

しかし、この後も羽生選手は日本においてアイスショー、全日本、ストックホルムワールドと、活躍を続けてくれています。

 

 

 

元々子どものころからスケートが大好きで、ローラースケートは毎日のように、そしてアイススケートは池袋のマンモスプールのアイスリンクに毎週通っていた私ですが、高校生以来、何十年もスケートはしませんでした。

 

が、2009年の世界ジュニア選手権で彼が12位になった演技を観てからショックを受け、それ以来、その演技を楽しみ応援することができたこと、また2012年からは、ほぼ毎年、競技会の会場で直接に観戦、応援することができたこと。 

 

そして、再度スケートをする気になって、58歳からフィギュアスケートを正式に習い始めたこと。

 

羽生選手のおかげで夫もフィギュアスケートのファンになってしまったこと。

 

などなど、私の人生において大きな影響を与えてくれたフィギュアスケートと羽生結弦選手に感謝したいと思います。

 

これからも、スケート中心の人生を歩んで行かれるだろう羽生選手。

 

その限りない貢献に感謝しつつ、ご健康、ご多幸を、改めてお祈りいたします。