虐待の連鎖 | ロンドンつれづれ

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虐待を受けて育った人が、必ず自分の子供を虐待してしまう、ということではない。
 
実際、虐待を受けて育ち自分が大人になった時に虐待をしてしまう親は、4割前後だというのである。 言い換えれば、半分以上の被虐待児が、自分の子供を虐待せずに育てることができている、ということなのだ。 これはある意味、理性を持つ人間ならではのすごい数字だと言えるだろう。
 
 
なぜなら動物園で人に育てられた動物は、育児放棄をすることが多い。 つまり、自分が親から育てられなかった動物は、育児の仕方を習得していないため、子供を育てられないということが多いというのである。 
 
 
また実験で、針金の模型からミルクが出るような形で育てた猿は、赤ん坊が生まれても抱くことはないという。 一方、模型の猿でも、目や口などの顔をつけて毛布などを巻きつけて暖かくしてあると、たとえミルクが無くとも赤ん坊の猿はそちらを選んで抱き着くそうだ。 子供が育つのに必要なのは、食べ物だけじゃない、親との触れ合いが必要という証拠である。
 
 
これをサロゲート・マザー(代理母)というが、針金の「母」からミルクをもらう子ザルよりは、毛布を巻きつけ顔を持つ代理母に抱きつく方が、情緒が安定するのだという。 ここから赤ちゃんには、母親と目を合わせることや、また抱いてくれる母のもつ触感的なぬくもりなどが必要なことが分かる。 なんだか胸が痛むでしょ、この実験。
 
もちろん、針金やタオルを巻きつけた「代理母ザル」よりは人間の飼育員の方がずーっと愛情ぶかく育てる。 が、なにより子ザルの心身の成長に一番良いのは、ちゃんと猿のお母さんが赤ちゃんだけに注目して、常に抱っこやおんぶをして子育てをすることだろう。 サロゲート・マザーからミルクをもらって育った子ザルが母親になった時には、ほぼ100%の確率で育児放棄をするそうである。 そして、育児放棄をされて飼育員に育てられた猿は、また育児放棄をするという連鎖が生まれてしまう。 
 
さて、猿よりもずーっと複雑な情緒の成長をする人間はどうだろうか。 先ほども書いたように、人間の場合、虐待や育児放棄を受けて育った人であっても、6割はそれを連鎖させないという研究報告がある。 人間には教育や理性があって、自分の受けたしうちを子供にはしたくない、というコントロールができるからだろう。一方、自分は虐待を受けずに育ったのに、自分の子供は虐待してしまうという親がいることも事実だ。 
 
だが、虐待の事件を検証し、虐待親の成育歴を調べると、高い確率で親もネグレクト(育児放棄)や虐待を受けていたことが統計上判明している。 そういう親の心理の中に、「自分はひどい目に合って育ったのに、この子は愛情いっぱいに育ってわがままを言っている」という嫉妬心があると虐待親が吐露することがある。 自分がしっかり愛されずに育った大人は我が子を愛することがむずかしいのだ
 
自分の子育てを通じ、自分がされてきたことと向き合って苦しむのが虐待を受けた親である。自分の子を愛したいのにできないという葛藤がさいなむのだ。 幼少期の虐待とはそれほど根が深い。 愛情を教えてもらわなかった子供は、愛情を与えることもできない。 親から育児放棄されていた子供は、自分が親になった時に子供の面倒のみかたがわからないのである。 また、虐待されて育っても自分の子を虐待しない人は、親以外の大人からちゃんと愛情を受けていたことが多い、という。
 
さて、つい最近、3歳の女児を8日間アパートに監禁して育児放棄し致死させた24歳の母親は、自分も壮絶な虐待の被害者であったことが判明した。 彼女はDV夫と離婚し、シングルマザーとして品川駅近くの居酒屋チェーンで働いていた。 3歳の稀華ちゃんは保育園に預けることもなく、夜も一人で部屋において仕事をしていたようである。 その顛末はこのブログの7月9日の記事で詳細を書いてある。
母親の梯沙希容疑者のインスタグラムには、娘と遊園地へいったり誕生日を祝ったりする写真が載せられており、近所のコンビニの店員は「子供は可愛がっているように見えた。普通の親子だった」と話しているというが…。 8日間も放置し、帰ってきたときには息をしていなかった稀華ちゃんは、心肺停止状態で救急搬送。まもなく死亡が確認された。警察から任意の事情聴取を受けた沙希容疑者は、身柄を解放された直後にリストカットをして自殺を図っている。
 
お茶やお菓子をいっぱい置いて行ったので死ぬとは思わなかった、と供述しているようだが、あながちウソではないだろう。 おそらく、前回3日ほど置いて行っても大丈夫だったから、今回も・・・、そしてそれが8日に及んでしまったのではないだろうか。 育児能力が著しく低い親が、子供の生命力を計りそこなって死に至らしめた、というのが真実ではないだろうか。 夜間の仕事に行くときも、だれにも保育を頼まずに一人で置き去りにしていた。 おそらくネグレクトが常態化していたのだろう。 男友達もいたようで、出会い系アプリもやっていた、という。 24歳の女性ならば、まだ遊びたい盛りかも知れない。
 
「幼児を置き去りにして、自分は男と遊びまわっていて餓死させた」鬼畜のような母親は、ネット上で散々に叩かれている。 それは無理もないし、彼女を擁護するつもりはない。 いくらお菓子や飲み物を置いてエアコンをつけていても、3歳の幼児が8日間も大人の養護なく無事で過ごせると考えること自体、あまりにも常識がない。 ゴミ溜めのような部屋の中で、お尻も背中もまっかにおむつかぶれした稀華ちゃんは、極度の脱水症状と空腹で死んでいった。 こんな形で子供が死んでいいはずがない。
 
なぜ24歳にもなった大人の女性が、こんな常識のない子育てをしていたのだろうか? 少なくとも、子供をどこかに預けるという簡単なことをどうして思いつかなかったのか? 預けられる人が周りに誰もいなかったのだろうか? おそらくそうだろう。 頼れる実家、兄弟姉妹、あるいは友人、ママ友など…そういう人がいたら、今回のような悲劇は起こらなかったに違いない。
 
この事件にさかのぼること、17年前。 小学校2年生の沙希容疑者は、母親による壮絶な虐待で児童相談所の介入を受け、児童養護施設に引き取られている。 その後、小学校、中学校、県立高校と、彼女は養護施設から学校に通っている。 同級生は、「明るくて気さくな性格。 誰にでも優しくて、いつもクラスの中心にいて皆を引っ張っていた」と振り返る。
 
沙希容疑者の家庭で、どんな虐待があったのだろうか。 それは新聞に載るような壮絶な虐待事件だったのである。 17歳で沙希容疑者を生んだ母親は、7歳の娘を平手で殴るなどして数週間の怪我、と新聞に書いてあるが、実際は包丁で未だにあとが残るほどの傷を無数につけられていた、というのである。その傷跡は中学校、高校の同級生が目撃していた。
 
また、彼女のケースを担当した児童相談所の元職員によると、2003年に彼女の担任から児童相談所に報告があり、すぐに児童福祉士が警察官と共に家庭訪問を行い自宅に踏み込むと、無残にやせこけた沙希容疑者の姿があったという。食事も満足に与えられていなかったのか、あばら骨や腰骨がくっきりと浮き出ており、殴られた際についたあざも散見された。だが、それ以上に目を引いたのは、少女の全身に刻まれた何十カ所もの切り傷だった。母親が“しつけ”と称して娘の体を包丁で切りつけていたのだ。まだ新しい傷口からはダラダラと血が流れ、床に滴り落ちていたという。 両親は県警に逮捕され、沙希容疑者は児童養護施設に身を寄せることになった、というのだ。 両親と言っても、父親は継父だったようで、母親の虐待を止めることはしなかったのかもしれない。
 
ひとりの7歳の女児が、小学校と児相の連携で命を救われたことは大きい。 だが、実の母親に包丁で切り刻まれていた少女のメンタルは、その後どれほどサポートを受けていただろうか。 17年前の児童養護施設に、児童心理士が常駐していただろうか。 否、である。 当時、虐待で保護された児童の精神衛生に対する特別なサポートはほとんど行われていなかったのである。
 
7歳で保護された少女は、産まれた時から親の愛情欠乏だったと考えることが妥当だろう。 実の娘を包丁で無数に傷つけることのできる母親が、赤ん坊のころからきめ細やかな愛情をもって世話をしていたとは思えない。 ネグレクトも含む虐待を受けて育った子供に対しては、周到なアフターケアが必要なのである。 
 
愛情を受けることなく幼少期を過ごした子供は、施設に移ってもやたらに職員にべたべたと甘えたり、試し行動を取ったりする。 いままで得られなかった愛情を求め、人間との間の信頼関係を再構築しようとするからだ。 そこで被虐待児に対して正しいカウンセリングをすることなしに育ててしまうと、成人してから色々な弊害が出始めるのである。
 
サロゲート・マザーに育てられた子ザルではないけれど、もし沙希容疑者に母親としての常識がなかったとしたら、それは自分の生まれ育った幼少期の家庭環境に源があるかもしれないのだ。 
 
子供は可愛がっていた、と彼女の友人や同僚が言うことはウソではないだろう。 「死ぬとは思わなかった」という希容疑者本人の言葉も。 
 
生まれてから物心がつくまでに、親の愛情を受けることなしに育っただろう沙希容疑者が自分の子供を育てる時、まるで人形かペットを可愛がるようなことしかできなかったとしても、彼女だけを責められるだろうか。 
 
そしてDVを行っていた元夫は、父親としての義務をなにも果たしていなかったと言える。
 
2010年の大阪の2児置き去り殺人事件の容疑者も、離婚したあとのサポートは誰一人としてしていなかったのだ。 子供の父親である元夫も、元夫の実家、つまり子供たちの祖父母に当たる人も、母親の父親も、離婚して出て行った母親も。 そしてこの事件の若い母親もまた、ネグレクトの被虐待児だったのである。
 
孤独の中で子育てしていた母親たち。 彼女たちだけをつるし上げて責めていても何も解決しない上に、今後も似たような事件は出てくるだろう。 これらは氷山の一角の事件といえる。 子供が死んだからニュースになっただけだ、と言っても良いだろう。 世の中に、知られていない被虐待児はたくさんいるのだ。そしてかつての被虐待児が親になっているケースも。
 
 
なにが一番必要かというと、やはり「支援」の一言につきる。
 
母親が孤立して子育てをすることに、そもそも無理があるのである。 たったひとりで仕事をしながら子育てなんてできるはずがないのだ。 ひとり親家庭では、母親、あるいは父親が働いている間、きちんと子供の安全を見守る人が必要なのだ。
 
頼れる実家のないひとり親を、もっときっちり支援しなくてはいけない。 行政はしっかり予算を組み、親の使い勝手の良い支援を提供するべきだ。 
 
今の状況だと、夜間に子供を預かる施設はほとんどないし、急なケアが必要な時に対応してくれる行政もNPOもあまりにも少ない。 その上、お金がかかる。 行政が病児保育や夜間保育に公務員を使って対応できないというならば、そういうことをしてくれるNPOにしっかり助成金や委託金を出して、サポートするべきなのである。
 
子供を死なせてしまってからでは遅すぎる。
 
子供を死なせてしまった親を叩きまくるだけではなんの改善にもならない。
 
大切なのは、予防なのである。
 
親の中には、自分が受けてきた躾が実は虐待だった、と大人になってから気が付く人がいる。 そんな人の中には、3,4歳の子供を何度も殴り、泣いている子供に「この程度で大げさに泣いて。私の時はこんなもんじゃなかった」と思ったという親もいる。 懲戒権のことが問題になった時、どうして今頃と怒りを感じたと。その後カウンセリングなどを受けて、子供への愛情のかけ方を模索しているというのだ。
 
また、先ごろ話題になっていた「ポテトサラダ」事件である。 幼児をつれた若い母親がスーパーでポテトサラダを買おうとしたら、「ポテトサラダぐらい母親なんだから自分で作ったらどうだ!」と高齢の男性が言い捨てて行った、というものだ。 どうしてこうやって、母親に厳しく当たる人が後を絶たないのだろうか。 電車内のベビーカーと言い、マタニティマークと言い、夜泣きに対する苦情といい、子育てをしている母親にもっと優しい社会になれないものだろうか。 いっぱいいっぱいで頑張っている母親をこれ以上追い詰めてどうするのだろうか。
 
虐待を予防するためには、起きてしまった事件を検証し、何が問題だったか、虐待に至る要因はなんだったのか、その背景をしっかり認識し、そこから改善しなくてはならない。 どのような家族構成だったのか。 そこに貧困はなかったか。 親の成育歴は? 親の精神状態はどうか? 親をサポートできる家族や親類はいるのか? 大人になってからも苦しむ虐待の連鎖を断ち切るにはどうしたらよいのか。どういう支援が必要なのか。
 
 
そのためのリサーチに使えるような統計が日本には足りなすぎる。
 
虐待死事件の「検証」資料には、かかわった行政の言い訳ばっかりが書いてある。 子供を救えなかった理由は、今後のために確かに必要だが、それよりも問題の家族の社会的経済的背景をしっかり調べ、それをしかるべきところに公表して、研究者が統計として使えるようにしておかなくてはいけない。
 
地方自治体は、そもそもすべての重大虐待の検証を提出しなくてはいけないのに、半分も出していない。出してあっても、必要な情報が書かれていない。 つまり資料としてあまりにも役に立たないものが多い。 
 
本当は、今の段階でも、すでに現場は経験上、児童虐待のハイリスク家庭の背景は分かっている。 わかってはいるが、政策として予算を取るには、エビデンスとしての資料が必要なのだ。 それを研究者は提出できないのだ。 厚労省が頑張って地方自治体の尻を叩き、必要な調査項目を網羅した資料を全国的に揃えて国の予算を獲得するために統計を整備しなくてはならない。
 
イギリスなどはそれをしっかりやっている。 そして予防にかける予算を増やす政策に移行しつつあり、それは成功しつつある。
 
予防にかけるお金は、起きてしまった問題に対応するお金よりもはるかに少なくて済む、それを政府や納税者に訴えていかなくてはならない。 そのための資料作りは大切なのだ。
 
 
さて、また理屈っぽく、長々と書いてしまった。
 
ここまで我慢して呼んでくれる読者の方は、本当に根気強く、この問題に興味を持っていてくれる方だ。お礼を言わしてください。 ありがとうございます。
 
 
しかし、せやろがいおじさんは、たった4分で、またも簡潔にこの問題を切り捨ててくれているので、ご紹介したい…。

 

 

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https://news.yahoo.co.jp/articles/472dbdd710f9c5538acdf455183c816579d9052b

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/4bc11e03da5331d750de44758363713621872117?page=1