美学を持つ | ロンドンつれづれ

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先日、お相撲のことを書いたが、美意識というのはなにも芸術家だけのものではない。

 

アスリートだって、接客業の人だって、電車をつくる人だって、会社員だって、お蕎麦屋さんだって、誰だって、自分がなにか一つのことを一生懸命にやっている人は、自分の仕事に対してある思い入れがあるはずだ。

 

自分のやり方はこうだ、というものである。

 

それに従わなくとも、仕事自体は成立するかもしれない。 だけれど、自分はこういうやり方でやりたい、妥協はしない、というスタンスである。

 

美意識の高い人というのは、見てくれにこだわるとか着るものにこだわる人ではないと思っている。

 

美意識の高い人とは、おのれのなすべきことを、そうあるべき方法で実行する人のことだ。 そうあるべきだ、と自分が信じる方法があって、それを曲げない人である。

 

昔は洋の東西を問わず、そういう人々がいた。 自分の仕事に誇りをもっていて、その質や方法についてこだわるのである。

 

そういう人たちが職人さんでいてくれて、人々が安心して使うことのできる道具や家や時計や、その他の大事なものが社会の隅々でしっかり故障することもなく働いてくれていた。

 

そういう人たちが見えないところで手を抜かないで仕事をしていてくれることで、私たちの毎日が滞りなく進み、リスクや犯罪が未然に防がれて安全を守ってくれていた。

 

そういう人たちが、大事な決定の場で良心の声を聴き、正義を貫いてくれていたからこそ、世界は平和に保たれてきた。

 

自分の生き方、仕事ぶりに美学のある人は、大事なところで「まあいいか」とはならない。

 

これだけは譲れない、という一線があって、それにこだわるのである。

 

そういう人が少なくなってきてしまった。

 

それは、社会が目に見えないところでだんだんに緩んでくる、ということである。

 

あちらこちらで手を抜き、プライドのない仕事をする人が、ここ、そこに入っていることで、私たちの日常にひずみがうまれてくるのである。

 

知らず知らずのうちに。

 

いろんなところのタガが緩んできているのを見落としているうちに、重大なことが起きてしまうかもしれない。

 

だから、私は、美学をもって自分の仕事にこだわる人を尊敬するのだ。

 

それが酒をつくることでも、樽をつくることでも、瓦を1枚並べることでも、子供に教育をする事でも、あるいは毎日のレジをしめる時の収支を合わせることでも。 「きちんとやらないと」と思って、自分の仕事の美学を貫く人々がいるから、社会は信頼できる場所になっているはずだ。 安心して列車や飛行機に乗れているはずだ。

 

 

そしてそういう人たちが、細かいところまでこだわって芸能や伝統の技術を後世に伝えていくから、文化的遺産は引き継がれていくのだ。

 

相撲の取り方ひとつに、横綱審議会が苦言を呈する。 それは国技としての相撲の品格を保とうという努力だ。 「勝てばいいんだろ」ということではない、ということだろう。

 

体操の内村選手は「美しい体操」にこだわる。 だからこそ彼の体操は、世界中の人々に愛される。 同じ体操をする人々から尊敬される。 「ただ回ればいい」んじゃない、同じ鉄棒でもつま先までポイントした美しいフォルムで回って見せる。

 

ただジャンプすれば良いのではない。 それじゃあ、「羽生結弦」じゃない。 そういって、ジャンプのエントリーの細部までこだわり、イグジット後のツイズルまで音に合わせてこだわるスケーターがいる。 音楽の持つストーリーや自分のメッセージを受け取り手に伝える努力をすることにこだわるスケーターだ。

 

彼には美学がある。 彼一流の美学に、妥協はないのだ。 だれにでもできることをする気はない、のだ。 彼のプログラムを彼と同じ質で滑りこなせる人はいないだろうということは、スケートをする人なら理解しているはずだ。

 

だからこそ彼の演技は、世界中の人々に愛される。 そしてスケーターたちから尊敬されるのである。 彼が勝とうが負けようが、彼の存在する「場」において、彼はいつでも主役である。 いやおうなく、そうなってしまう。

 

だからこそ、昔スケーターだった人たちからも、これから育っていく若いスケーターたちからも、そして同時代のライバルからさえも「ハニュウは特別。彼のようなスケーターはこれまでも、そしてこれからもいない」と言われるのである。

 

 

自分の仕事において、一切の妥協はしない。 彼の美意識とこだわりにはゆるぎがない。 

 

その研ぎ澄まされた緊張感が、場を制するのである。

 

 

 

 

これはコーセーの新しい化粧品のポスターだそうである。 

このコピーを考えた人は、羽生選手の一番コアの部分の特徴をよく分かっている。

 

 

彼の透明感は、肌の美しさだけではない。

 

その美学から生まれているのである。

 

自分に一切の妥協を許さない、という美学から。