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全日本選手権で、リンクにぬいぐるみや花を投げることを全面禁止したことで、賛否両論あったようだといくつかのスポーツ紙で読んで理解している。

 

フィギュアスケートの試合で、リンクにプレゼントを投げ込むことは、かなり長い歴史があるんじゃないだろうか。今トップクラスのスケーターたちが子供の頃にフラワーガールやフラワーボーイをやっていた、ということを考えても、ジャネット・リンの頃からスケートを見ている私の記憶からも、かなり昔からリンクに花などを投げ込むことはやっているように思う。

 

それが禁止になるというのは、要するに、ただその量が尋常じゃなくなってきたから、というのが理由だろう。 しかし、量だけをうんぬんするなら、浅田真央選手や高橋大輔選手のような人気スターがいたころから、かなりの量の投げ込みはあった。

 

 

この秋、フランスとイタリアの会場で観戦したのだが、たしかにトップ選手に対するプレゼントの投げ込みは、回収に大変に時間がかかるというのは事実だ。 そして、宇野選手の滑走前に、私の席のすぐ前の氷の上に、プレゼントからはずれたセロファンのような異物が落ちていて、一生懸命に指さし大声をだして教えたのに、運営側が気が付かずに宇野選手の演技が始まってしまって、私は演技をおちおち見ていられなかった。 宇野君がそばまで滑ってくるたびにヒヤヒヤして、気が気じゃなかったのだ。 結局彼の演技の後に、フラワーボーイが拾いに来たが、実に危なかったのである。

 

 

最近では、リンク内への投げ込みは、その数だけでなく、サイズも常軌を逸してきているのである。

 

 

 

特にロシアの女子の選手たちに対し、巨大なクマや巨大なハート、巨大なユニコーンのぬいぐるみなどが投げ込まれ、いったいどうやって会場に持ち込んでいるのか疑問に思うぐらいである。 それもひとつ二つじゃない。 数個、巨大なものが投げ込まれて、もはや、大きさを競い合っているように見えるのである。 最初のうちは「すごいな~!」と笑って見ていたが、そのうちに客席に置かれた巨大なぬいぐるみを見ると、なんだかファンの自己顕示欲を感じてしまうようになった。 こんなもの、どうやって運んできたんだろうか。 そして一つの座席を占めておかれているぬいぐるみを見ると、「その席に座って観戦したい人だっていただろうに」と思ったりもするのである。後ろの人にだって迷惑かもしれない。

 

私は、リンクにプレゼントを投げ込むのに反対の人間ではない。 それどころか、チャレンジャーなどB級の試合ではとりあえずお花を10本ぐらい買っておいて、スコアは低いかもしれないが一生懸命よい演技をした選手には投げ込むようにしているのだ。 そしてはるばる欧州まで日本選手が遠征してくれる場合、必ず人数分のテディベアなどを用意して英国から持っていくことにしている。 が、前回は、宇野選手用に買っておいたぬいぐるみを、当日急遽、別の選手に投げた。なぜなら、宇野選手にはファンがたくさんついていて、私などが投げなくても、他にたくさんプレゼントを投げる人がいたからである。 テディベアがひとつぐらい減ったところで、宇野選手は気が付きもしないだろう。 それなら、何も投げてもらえないが、良い演技をした外国選手に代わりに投げたっていいじゃないか。 彼にとってはこの1匹のテディが今後の励みになるかもしれないのだ。 そしてもちろん、宇野選手の登場で、私たちは日本の旗を振って、声援をしたし、彼には降るようにプレゼントが投げ込まれてました。

 

実は、私は羽生選手の演技のあとになにか投げ込むのは、2013年の試合を最後にやっていないのである。 プレゼントを用意していったこともない。 理由は、「私などがなにか投げ込まなくても、他に大勢のファンが色々投げ込んでいるから」である。 それほど羽生選手には大きなファンベースがある。 だが、投げ込みをしないからといって、私が羽生選手の応援をやめたわけではない。 そして、私と同様、大昔から羽生選手を熱心に応援している人のかなり多くは、今投げ込みをしていないと聞く。 ちょっと前にも書いたが、「自分たちがしなくても、新しくファンになった人たちがたくさん投げ込んでいるから」自分たちは、遠慮しておこう、という姿勢なのである。 いや、投げ込みをしてはいけない、というのではありませんよ、ただ、その数が尋常でなくなっていることを古いファンは認識している、ということなのだ。

 

なにかと批判されやすい演技後のプレゼントのシャワーだが、ファンは遠くからプレゼントを一生懸命はこんでくることを選手たちは知っている。やめてくれ、とは言えないだろう。それに最近はファンもぬいぐるみなどをラップしてから投げるようにしていて、トリノでもおそらく中国系のファンだと思うが、他の人の分までビニール袋を持ってきていて配ったりしていて、夫は感心していた。全日本でもルールを守ってプレゼントは箱に入れたファンがほとんどだったでしょう。 箱のまわりはすごい騒ぎだったらしいけど。 欧州の試合など、「どんどん投げ込んで選手を励ましてください!」とアナウンスがあるぐらいだ。もちろん、花も売っているし。 要するに数が増えすぎたことが問題になっているのであって、プレゼントの投げ込み自体がいけないわけではない。

 

 

ところで、フランスでもファイナルのトリノでも、ザギトワ選手の名前をプリントした赤い紙を持って歩いて、人々に配っているファンたちがいた。 それをもって、ザギトワ選手のときに振れ、ということだと思う。 申し訳ないが私たちはお断りした。 応援とは、そういうものではない、と思ったからである。 実は、ザギトワ選手がでてくれば、私と夫は、ロシアの旗を取り出して、ちゃんと応援するのである。 だけれど、あの何百枚もプリントされた赤い紙をもって、One of themになることには抵抗があるのである。 あの同じことが書かれた赤い紙を6分練習の時に会場にいる人たちが振るわけで、あれだけを見れば、どれだけ多くの人がザギトワ選手の熱心なファンか、という図になるだろう。 しかし、実際のところ私の周りであの紙を振っていた人は、配りに来たから受け取ったという人が7割ぐらいだった。 会場を赤く染める紙、そして演技後にリンクに投げ込まれた大小の赤いハートは、おそらく組織的に行われたものだろう。

 

 

こういうの、どうなんだろう…。

 

 

選手は、会場にめぐらされたバナーや赤い紙を見て、勇気づけられるのかなあ。 ザギトワさんは確かに「アリーナと書かれた紙が見えました」とインタビューで感謝はしていたけれど。 そのうちの半数以上は、渡された紙だから掲げた、という人たちなのだ。 その時取られた写真やテレビ写りとしては、会場の赤い紙やリンクの赤いハートは、絵的にはインパクトはあったかもしれないけれど。 そして巨大なぬいぐるみを投げ込めば、テレビカメラはそれを追うかもしれないけれど。 自分の投げたプレゼントがテレビに映ること、キスクラで選手が自分の投げたプレゼントを横に座らせてくれることが目的でどんどんとサイズが大きくなっているとしたら、いったいだれのための応援なんだろう? 客席で奇抜な格好している人たちも、ちょっとそういう感じがするのである…。

 

 

まあ、スポーツ観戦なんて楽しければいいんだけど、 良い演技をしてもほとんど何も投げてもらえない選手もいれば、あの赤い紙とかで組織的に何かをして実際の数より多く見せることは他の選手に対して威圧感はあるよなあ、とちょっと思ってしまうのだ。 

 

トリノで隣の席に座っていたご夫婦は、2012年から羽生選手のファンだといっていた。ご夫婦でずいぶんと観戦をされている様子で、ご主人も付き合わされてる感はなかった。 しかし、彼らも投げ込みもしなければ、大声を出して応援、ということもなかった。じーっと座って、実に静かに観戦をしていらした。しかし、羽生君の時には、奥様はお手製の小さなバナーを取り出して、静かに掲げていた。私も自分の手製のバナーを出して掲げたけれど、声を出して応援することは、他のにぎやかな人たちに任せた。 佐藤君、鍵山君の時は声をだしたけどね。 まだ彼らに対する声援は少なかったので…。

 

 

やっぱり、へそ曲がりの一匹狼的な私としては、揃いのバナーとかいうのが、ちょっと気持ち悪いというか。 なじまないというか。 もっと一人一人の自主的な応援でいいんじゃないの、と思っちゃうのである。 同じことが書かれたバナーをそれほどファンでもない人にまで会場で配ったりしているのも、なんだか違和感があるのである。 もちろん、断ればいいんだけど。 断るのも大人げないと思って、つい受け取っちゃう人が大半のように見えたので。

 

 

昔、セクハラを受けた友人の裁判を支援したい、といって関わってきた婦人団体が、最後の方にはたいへんにやっかいだったことがある。 支援してくれるのはありがたいが、友人のケースを自分たちの主張を通すために使いたかったというか、要するに後ろから静かにバックアップするというよりは、前面に出て自分たちの主張をバンバンかってに行う、というやり方だった。 友人も、最後には大変に困っていたのだ。

 

 

支援も応援も、本当に相手のことを想ってやるならば、出過ぎない方がいいのでは、と思うんである。 過ぎたるは及ばざるがごとしという。 数は力になるが、気をつけないと暴力にもなるし、応援のつもりで実は自己満足や自己顕示欲の場合もある。

 

大きくなりすぎてきたファンからのリンクへの投げ込みのプレゼントも、ここまでくるとなんだか、選手への応援というよりも、自己顕示欲、承認欲の権化のように見えてくるから怖いのだ…。

 

あの大きなクマの中に、ストーカーのようになったファンが入っていたりしてね。 

コワイ、コワイ・・!

 

ぬいぐるみには盗聴器やGPSを仕込んだりできるから、それも怖いよね。

 

中には、ヘイトレターを送り付けるような頭のおかしいのもいるんだから、選手たちも本当にたいへんなのである…。