フェアジャッジングについて | ロンドンつれづれ

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オータムクラッシックの採点について、ファンの不満は収まらないようだ。

 

オリンピックチャネルの羽生選手の記事には多数の数のコメントが付き、ACの彼のフリー演技審査についてのクレームが入っている。動画付きで。 また他のSNSに載せられているファンの声を読んでも、あのジャッジング、スコアリングについての不満がたくさん表明されている。

 

気が付いたことは、複数のファンによって検証動画などが上がり、それぞれの意見や感想が述べられている中で(それ自体はまったく問題がないだろう、人は意見や感想を表明する権利がある)気が付いたことは、同じ羽生ファンの中でもそれぞれのジャンプについて感想が違う、ということである。

 

私は今回、彼の冒頭二つのジャンプでもループの回転が甘いように見えたのだが、「ループはOKで、サルコウの方が甘かった」という人もいれば、つけられた3つのトウジャンプのURの中でも、「ひとつはたしかに甘かった」という人もいれば、「3つともまったくOKだった」という人もいる、ということである。

 

熱心なファンが、その気になって、なんどもスローモーションでチェックしてもこれだけ意見が違ってくるのである。 であれば、競技会の現場で、時間に制限のある中で、完璧に100%クレームのつかない判定をすることは、やっぱりかなり難しいのではないか、ということだ。

 

いや、私は、だからといって今回のURの判定に満足しろ、と言っているのではないのだ。 羽生ファンのひとりとして、私は個人的に色々な感想を持っている。 しかし、人の判定眼はことほど左様にあいまいな部分があるのだから、本当にそろそろAIを投入して、しっかり機械に判定してもらい、その上で納得がいかない時は大相撲のように「物言い」をつけられるようにしておいたらどうだろう、と思うのである。 物言いがついたら、あらためて今度は違うテクパネルのチームがしっかりスローモーション判定をして、結論をだしたらどうだろうか。 審査の正確さと公平性を保つために。

 

今のフィギュアスケートの進行では毎日各イベントの後に「本日の競技」の表彰をするが、これをやめて最終日に男女シングル、ダンス、ペアをまとめて表彰したらどうだろうか。そしてその間、「物言い」がつけられる時間的余裕を持てばいいのである。 1日でも早く帰ってホテル代を浮かしたい、という選手もいるだろうが、優勝を争うようなトップ選手は大きな試合では「招待選手」になっているだろうし、ガーラの演技に残る選手なら、このやり方だってかまわないだろう。

 

 

 

夫はオリンピック委員会に、フィギュアスケートの審査のやり方に対し、調査を入れてほしいと依頼したそうである。 審査員の国的偏向のあるチョイス、競技会により、あるいは選手により、一貫性がないと感じられる回転不足やエッジエラーの取り方、ルールブックにそわないGOE、これらはテクパネル/ジャッジの未熟あるいは故意の偏向審査ではないかと不満を高めるファンが多いこと。 明かなチートジャンプの見逃し、あるいは過剰なコール、スコアのルールがあるにもかかわらず、それを順守していないジャッジングが後を絶たない事など、いくつかの大きな例を挙げて、その時のプロトコルなどを比較して調査をしてもらいたい、その上でISUに改善を求めてほしい、という依頼をしたそうである。 

 

こういうクレームを入れる際、特定選手だけをとりあげて問題にしても、オリンピック委員会あるいはISUでは取り合わないだろう。 それは感情的になった特定選手のファンが、面倒くさい言いがかりをつけてきているだけ、ととられる可能性が高いからだ。 実際、これまで???と思った審査は、数人の特定選手の場合に限らない。 私もこのブログでこれまで何度も「この演技にこの判定はおかしい」ということを書いてきており、それは羽生選手に限らない。 

 

人間のすることだから、URでもエッジエラーでも間違いが起こることはあるが、ハイテクを取り入れれば防げる間違いであるなら、さっさとそうすればよいのである。 そうすれば、ファンから痛くもない腹を探られることもなくなり、ジャッジだって仕事がやりやすくなるではないか。

 

しかし、いくつも試合を見てきているファンにすれば、審査の方法に「ある傾向」が見えてくることも本当なのだ。 「あの選手はいつも変なルッツを見逃されている」 あるいは「この選手は、まあまあなジャンプでもいつもURをとられている。 別の選手が同じ試合で、同じような着氷でとられていないのに」などということは、自分の贔屓の選手でなくとも目に付くのである。 そうなると、テクパネルの判定には「好き嫌い」があって、あるいは「勝たせたい選手と勝たせたくない選手」があって、偏向的な判定をしているのでは?とつい思ってしまうのである。 あるいは競技会によって、やたらにURをつける場合と、大変に甘い場合と…。

 

そしてPCSである。 スケートファンをなめないでほしいのだが、私たちはジュニアの試合や国内の小さな試合まで見に行くようなスケートオタクがたくさん目を凝らしてみているのである。 どんなスケーターのスケーティングが熟練してて優れているか、エッジが深いか、滑らかでスピードがあるか、上半身をどれほど難しい動かし方をしてもバランスを崩さずに滑っているか、ジャンプ直前まで難しいステップで音楽を表現しているか、ちゃんと見ることができるのである。 それに合わないPCSがついていれば、即、違和感を感じるものだ。 

 

GOEやPCSに関しては、機械が採点するわけには行かないから、一人一人のジャッジの専門性の高さ、そしてフェアさに頼るしかないが、それにしてもGOEにはこれこれの項目に✓がいくつでプラス何点、とルールブックには書いてあるのに、それを順守していないジャッジが多い。だからこそ、この夏のISUのレフェリーやジャッジに対するセミナーだったのではないか。なのに、相変わらず??なGOEが多い。

 

 

過去には現実にオリンピックという大きな大会での事前のロビー活動や、不正ジャッジが明るみに出ており、日本人の年配のスケート関係者たちが口にする「日本人だというだけで勝てなかった」という時代だってあったのだから、やたらに「審査は正当に行われている。コンスピラシー・セオリー(陰謀説)など信じてはいけない」という人々をまともに受けることはできないではないか。 北京オリンピックに向けて、特定の選手に「回転不足ジャンプ」を印象付けようとしたり、別の選手のチート・ジャンプをノーマークで通すことで、高いスコアを取る選手だと印象付けようとすることも、ありえない事ではないのである。

 

しかしそうやってオリンピックを勝っても、スケーターとして幸せな引退後を送るかというと、違うのではないか。 変な評判が付き、スケートファンからは疎まれ、プライドを持って金メダルをひけらかすことすらできないだろう。 スポンサーや国の意向をしょわされて、「不正」の臭いのする金メダルを取らされることほど、一個人のスケーターとして気の毒なことはないだろう。

 

 

一番いいことは、どのスケーターにも、演技なりのフェアな採点をすることを徹底することなのである。 それには、だれでもが納得できる採点システムが必要で、AIの導入で黒白ハッキリつけることができるのであれば、それが一番なのだ。 その上で、テニスや体操、相撲など多くのスポーツで取り入れられているチャレンジのシステム、「ものいい」のシステムを取り入れればいいのだ。 演技後は機械とジャッジによる採点を「仮のスコア」として出しておき、仮の順位を決める。 その上で、何時間以内にチャレンジしたければ、選手本人かコーチからチャレンジを受け付ける、というシステムにするのだ。 

 

チャレンジがあったら、別のテクパネルのチームが精査し、それによりジャッジの採点のし直しを行う。 たしかに手間暇はかかるが、ここまで丁寧にやってくれれば、選手だってファンだって、納得するだろう。 体操だって採点競技だが、それをきちんと行っている。フィギュアスケートにそれができないとは思えないのだ。 お金がない、審査員がボランティアだから、などということは言い訳にならないだろう。 体操よりもフィギュアスケートの方が、ずっと興行としての収入は多いはずだ。

 

???な採点はこれまでもあった。 今回ACの回転不足の採点に関しては、羽生選手のファンの数の多さ、世界中に拡散してファンがいるという事実が、ここまでのファンの不満の爆発につながった可能性は確かに高い。 スケートファンの中には「ほかの選手の時は何も言わないくせに、羽生選手の時だけ不正、不正と騒ぐ」という人もいるようだが、ファンが自分の贔屓選手の「不正採点」を特に敏感に感じて文句を言うのはあたりまえのことで、それはそれぞれの選手のファンがやればいいことなのである。

 

 

ただし・・・、ただし、である。

 

 

どういう形で不満を表現するかは、気を付けた方が良いことは確かだ。 自分の贔屓のスケーターのために良かれと思ってとる行動が実は迷惑にならないかは、常に気を付けている必要はあるのだ。

 

特に本人が問題にしようとしていない場合、それがどんな内容のイシューであっても、ファンが大騒ぎして軽はずみな行動をとることは、本人にとって大きな迷惑、あるいは害になることがあるということを心しておいた方が良い。 それは過去にもあり、その傷がいまでも選手をさいなんでいる例があるでしょう。 いきり立ったファンの浅はかな行動は、選手にはコントロールできない上に、、長期にわたり大変なダメージを与える場合もあるのだ。

 

 

もし採点方法に不満があるのであれば、あくまでも特定の選手の場合だけでなく、色々な選手の多数の例をきちんと示してISUなりオリンピック委員会なりに改善を求めることだ。 そこまでリサーチし、冷静に分析する時間と覚悟がないのであれば、ただ感情的にそういう組織にアプローチしても無視されたうえに「やっかいな人たち」という烙印を押されるだけである。 単に自分の怒りや不満をそういう組織にぶつけるだけなら、証拠も根拠もなく誹謗中傷する人たちと同じカテゴリーにいれられるだろう。 「誰それのファンは面倒」と思われるだけである。

 

 

ところで、試合会場で徒党を組んで、不満を表明するバナーを出すようなことは止めた方が良い、と私は考えている。 審査員の中でも「不正」と思われるジャッジをしている人はごく一部の少数だ。 少数だからといって許されることではないが、ほとんどのテクパネルとジャッジは、自分たちの時間を割いて、このスポーツのために真面目にボランティアをしている人たちだ。 試合会場で、ファンが大挙して自分たちを批判している、とこの人たちが脅威に感じることは、正しくないと思うのである。 もし専門性の未熟で判断ミスがあるというのであれば、それはISUがもっと予算を組んできちんとしたジャッジセミナーをもっと頻繁に行い、ルールを周知徹底する必要があるだけのことなのだ。 会場で騒ぐよりもISUに直接それをアピールした方が良い。

 

未熟ではなく不正であれば、それもISUがジャッジをしっかり審査し、1年程度のジャッジ禁止という罰ではなく、もう二度と審査ができないようにするべきなのだ。 それにはファンたちからの告発も受け入れるISUであってほしいし、ファンも証拠もなくジャッジをSNSで批判しないように、きっちりと証拠を集めてから、というルールを守るべきだ。 やたらな誹謗中傷は人権問題にもなる。

 

今回、羽生選手の審査に6分近くかかり、その最中に審査員のところに歩いて行って、ひとりひとりとなにか話していた人物がいる、とツイッターでは話題になっているようだ。その人がなにか「不正審査」に関与しているような風評が流れているが、これもはっきりした証拠はなにもないのである。 ただし、審査中にこのようなことがあり、多くの観客が見ていたというのは、ISUの審査が「痛くない腹を探られる」元になるのである。 痛くない腹なのであれば、探られないようにするべきなのだ。

 

私たちファンが一番願っているのは、「フェアな審査によるフェアな競技」である。 それがあってこそ初めて、毎日スケートに全身全霊で時間をつぎ込み、練習を積み重ねてきた選手たちの努力に報いることができると感じられるからである。 たかがスポーツとはいえ、そんなスポーツにたくさんの感動をもらい、明日頑張るための糧にしているファンは数多くいるのである。 若い選手らの真剣な努力や才能をレスペクトするからこそ、それを一瞬で裏切ってしまうような判定は、我慢がならないのである。

 

そして、だからこそ、選手たちが積み重ねた努力を凝縮して見せようとする崇高な試合会場では、我々観客も最大のレスペクトを見せるべきなのだ。 一人一人の観客が、一人一人の選手と対峙している気持ちで、自分の贔屓の選手だけでなく、参加しているすべての選手の努力を讃え、競技会が行われるための開催地の人々、ボランティア、そして審査員たちに対してもレスペクトを持って試合を見せてもらうことに感謝したいと思うのである。 きっと選手たち自身もそういう人たちに感謝の気持ちがあるのに違いないのだ。 そういう気持ちに寄り添いたいと思うのである。

 

ただし、観客だって高いお金を支払って会場に座っているのである。だから、フェアな競技会を要求する権利がある。 (会場のトイレの数に文句を言う権利も・・・) だけれど、クレームのつけ方には注意が必要だ、と思うのである。 選手たちや、まじめに働いているジャッジや、そしてなりよりも自分が守りたいと思っている選手にとって、この行動はどうなのか・・・・ということを常に忘れないように。 良かれと思ってすることが、逆効果にならないように。 迷惑にならないように。 感情的な行動は、往々にして後で後悔することになるのである。

 

 

フィギュアスケートがオリンピック競技として存続するには、フェアで適正な審査は大前提なのである。 それはISUだって分かっているはずだ。 しかし、ISUやオリンピック委員会といった大きな組織にクレームをつけるには、それなりの説得力がなければならない。 相手を説得するにはエビデンスが必要である。 クレームをつけようという人は、ただ徒党を組んで同じ内容を大声で叫ぶよりももっと効果的な方法をとった方が良い。 

 

ひとりひとりのスケートファンとして、違う場所から、違う声で、違うエビデンスを数多く提示して問題提議すればよいのだ。 そのためには英語を勉強して、自分の言いたいことを書けるように努力することもいいかもしれない。 ほしいものを手に入れるには、楽をしていては手に入らない。 自分の主張が正しい、という証拠をしっかり数多く集めて、それを分析し、それを根拠としてクレームをつけるのである。 そうすれば、きっと聞く耳を持ってくれる。 あちらこちらから、多数の声が上がること。 それが集まると、きっと大きな声になるだろう。

 

ドーピングを厳しく取り締まるオリンピック委員会。 不正審査だって、しっかり取り締まるべきではないだろうか。 その検証をお願いすればいいのである。 それが不正か審査員の未熟かは、オリンピックの調査班が決めればよい。どちらにせよ、オリンピック種目として残るにふさわしい審査基準でなくてはならないだろう。 スポーツ競技はフェアなものでなくてはならない。 今回の不満の噴出に限らず、これまでなんどもファンやコーチが問題にしてきた審査の話。 AI導入の議論がいまどうなっているのだろうか。 ISUはもちろんのこと、世界のスケートコミュニティで、この問題はもっと真剣に話し合い、改善していく必要があるのではないか…。