インターネットの発達と、ソーシャルメディアの発達で、私たちは聞きたくもないことを聞くようになった。
インターネットは情報収集に便利で、意見を述べるのにたいへんに民主的で、人々のコミュニケーションツールとして、キリストの到来に匹敵するぐらい世界中の人々の常識と生活形態を変えた、と言われているが、その功罪もまた議論のまとなのである。
昔、ラジオやテレビが爆発的に普及した時も、全国レベルでつづ浦々まで人々にニュースや情報がいきわたるようになった。 国レベルの大きな情報は、広く国民が平等に手に入れることができるようになったのである。
近年、インターネットやソーシャルメディアの発達で、こんどは一般人がラジオやテレビが行っていたような情報発信を、かなりな影響力をもって行うことができるようになったのである。 ニュースは一般人の撮った写真や動画をニュースで利用したり、あるいは災害時など、一般人が直接にSNSに情報や画像をアップして状況を刻々と伝えることができるようになった。 これは画期的なことである。
しかし、ラジオやテレビ、新聞との違いは、その「発信」された情報や意見に責任が伴わないところである。 いや、本当は責任がゼロではないのだが、プロの発信する場合とちがい、それでお金を得ているわけではない一般人の発信した情報が間違っていても、そこに悪意がなかった場合に責任を問われることは少ない、ということである。
しかし、責任が問われないと思うと、人々は手にした新しいおもちゃを乱用、悪用しがちである。 面と向かっては自分の意見も言わないような臆病な人たちが、インターネット上ではかなり過激なことを発信する。 自分の身元がわからないだろうという前提で、無責任に行動するのである。
こういう人たちは往々にして、有名人たちの行動を批判したり、他人のブログに押しかけては無礼な書き込みをしたりする。 思い込みの正義を振りかざして、匿名の仮面の下に隠れては、人を安易に攻撃するのである。 たいていは自分の生活に何の関係もない事柄で、他人様に対して誹謗中傷を繰り返すのである。
芸能人の不倫や色恋の話など、自分の人生になにかかかわりがあるのだろうか。 人の色恋の話など、万が一興味があったとしても、いきり立ってその人のSNSに誹謗中傷を繰り返すほどのことだろうか。 韓国の芸能人なども、SNSの誹謗中傷がひどくて自殺をした、という話を聞いたこともある。 そうなった時に、書き込みをした人たちはどう責任をとるのだろうか。
日本の芸能人に対しても、テレビで発言したことなどが自分の気に食わないと、その人のSNSに押しかけて「炎上」するまで誹謗中傷である。 あるいはツイッターなどでそこまで言うほどのことか、というほど悪口のオンパレードである。 こういうのを見ると、有名人がSNSをやることの危険性がよくわかるのである。 いったい彼らにとってメリットよりもデメリットの方が大きいんじゃないだろうか。 こんなくだらない人たちを相手にしている時間やエネルギーはないはずだ。
私はめったに有名人のSNSを見ないが、最近大坂なおみさんのインスタグラムを見る機会があった。 そこには、「日本代表」を名乗る彼女の人種について、心無いコメントがいくつもあった。日本語で書かれたものも、英語で書かれたものもあった。 どんなにメンタルが強い人でも、会ったこともない人々からこういうコメントがつくことに心穏やかでいられるはずはない。 若い人たちにとっては、応援をする人々から受け取るあったかいコメントの効用よりも、毒のあるコメントからうける害の方が大きいのではないだろうか、と心配してしまうのである。
政治家のやることなら、うっかりすれば自分や家族の命にかかわってくるから、無関心でいてはいけない。 しっかり自分の意見を発信することは、国民としての義務である。 自分の選んだ人でない人がトップにいるのであれば、次には自分の意見を代表する人たちに頑張ってもらうために選挙にもいかなくてはならない。それは民主主義国家の国民の義務なのである。 彼らが代議士、そして英語ではRepresentatives(代表者)と呼ばれるわけは、彼らは自分の代わりに国会に行って、自分の意見を代表して物事を決める人々だからである。しっかり自分を代表してくれているかを見届ける義務がある。政治家はだから公人と呼ばれる。彼らの発言や行動に意見をいうことは国民としての権利なのである。
とはいえ、正義というのも立場によって違ってくるものだ。 自分にとっての正義が、他人にとってみれば不正な攻撃になる場合もある。 国家間の軋轢は、ほとんどそれなのである。 アメリカ(トランプ)にとっての正義が、パレスチナにとっては不当な差別や攻撃としてみなされたり、ロシアにとっての正義はウクライナにとっては侵略になるのである。 これらは、そこに暮らす人々の人生に直接響くことで命にもかかわってくる問題なので、不当に扱われたと思う人々は抗議をし、メディアにアピールし、状態を変えようとする。 もっとも正義でないと分かっていながら、それを悪用する政治家は多いから要注意である。
一方、芸能人やアスリートなどの人種やプライベートの部分の行動などは、自分の人生になんのかかわりもないことである。 それこそ、彼らの個人的な部分に対してまで、我々はのぞき見をしてアレコレ意見をいう権利など何もないはずだ。 彼らが法に反しているのでない限り、彼らの存在や行動について干渉する必要はなにもないのである。 感想を持つことは自由だ。 ある行動をとっている有名人をみて、好きになれないという感想を持つことは止めることはできない。しかし、それを相手のSNSに押しかけていって相手に直接ぶつけることは別だ。あるいは自分のSNSで悪口を拡散することも。 しかも、自分は匿名で。これは実害が出る、という点で悪質なのである。
昨今では、大手のプロのメディアが、有名人の行動に対する一般人のSNS上での「感想」を安易に拾い上げては「引用」することが慣用化している。 これが私は嫌いだ。 匿名で無責任に垂れ流された一般人の有名人批判など、読みたいとは思わない。 自分の身元を隠したままで、普段なら公には言うこともできないような内容を垂れ流す人々は信用ならない。 昔の新聞は、身元をしっかり記した読者投稿でなければ、決して乗せることはなかった。 一般の人にも、書いたものにある程度の責任を課したのである。 私も自分の書いたものにある程度の責任をもつつもりがあるから、自分の顔もさらす。 しかし、世の中には頭のおかしい人々もいて、彼らがどういう危ない行動をとるかわからないから、住所氏名までは載せない。
ナントカ・ちゃんねるなど、汚水の流れるどぶのような掲示板に匿名で汚物を投げ捨てているような人々がそこからあふれ出てきては、様々なソーシャルメディアを使っては人々に汚物を投げつけている。自分は正義の側にいるつもりなのだろうか。 あるいは、正義などどうでもよくて、ただ目立つ人々をターゲットにして汚いものを投げつけては引きずりおろしたいのかもしれない。 他にすることもないから、単なる暇つぶしの気ばらしにやっているのかもしれない。 目をつけられた人々は災難である。 こういう手合いは、ターゲットの一挙手一投足を見張っては、攻撃のチャンスを狙う人々である。
だから、ターゲットになりやすい人々はSNSなどやらない方が良いと私は思っている。 かつて松田聖子さんはどんなスキャンダルがあろうと、それに対して「説明」を行うことがなかった。 利口だな、と思ったものである。 人々が、攻撃をしようと虎視眈々と狙っているときに、うっかり言い訳をしたり、説明をしたりすれば、さらなる攻撃の餌を与えるだけである。 そもそも、芸能人の色恋のスキャンダルなど、人に説明する必要があるだろうか。 自分の不倫の話など、他人に説明したり言い訳したりする必要のあることだろうか。 子供がかわいそうだのなんだの、あんたには関係ない、と思っていたんじゃないのか。 しっかり稼いで育てている。赤の他人のあんたが、私の子供をどれほど心配しているというの、何かしてくれるわけでもないのに・・・。そう思っていたかもしれない。しかし、彼女はどのケースでも、沈黙を貫いたのである。 利口だな。
そういう点で、安藤美姫さんはちょっと人が良すぎる。 自分は憎まれキャラだ、といいつつもSNSをやり、そこに書き込まれたコメントに反応したりしている。 こんな人たちを相手にしなければいいのに・・・。こういう人たちはストーカーと同じだから、反応することは相手の思うつぼなのである。 相手に対して、執拗な興味を持って付きまとい、愛憎がごっちゃになっている人々なのである。 そして、どういう過激な行動にでるかわからない危ない人たちでもあるから、基本的にはまともに相手にしないに限る。 そもそも理性が少なく、感情で突発的に行動する人々である。 感情的になって赤の他人に攻撃をしてくる人々なのである。 正当な理屈は通用しないと思った方が良い。
今は、ネット上の誹謗中傷をとどめることは難しいだろう。 それなら少しでもターゲットにならないようにするしかないのである。 SNSなどはいいカモになるからやめた方が良い。 掲示板やツイッターなどで執拗な誹謗中傷を繰り返す人々に対しては、名誉棄損などで法的な手段をとるしかないだろう。 あとは、松田聖子さん式に、一切説明しないことである。 うっかりしたことを言えば、今度は上げ足をとり、それを餌やネタにして、永遠に騒ぎは鎮まることはないだろう。 また、そういう攻撃にカッカして、直接相手とやりあう人々は、用心しながらやった方が良い。 ネットという暗闇に潜んでいる頭のおかしい人々は、感情が高ぶるとどういう行動にでるのかわからないからだ。つい数か月前にも、ネット上で誹謗中傷を繰り返していた人物が、自分を批判した人を逆恨みして殺人を犯すという事件があった。
自分がどういう人物を相手にしているのかわからないのが、ネットの怖いところである。 前科者かもしれないし、どんな粘着気質を持っている被害妄想者かもしれないのだ。 無差別殺人などの犯人があがると、近所の人々はほぼ毎回「あんなおとなしい人が。いい人でしたよ、あいさつもきちんとして」などというのである。 こういう人がネットで暗躍していたり、いったんキレると何をしでかすかわからない。
もっとも、だからこそ、芸能人や有名人を相手に自分本位の正義を振りかざして、人々は徹底的な攻撃をやめないのだろう。 身元の割れている有名人は、ネット上でけんかを売る相手としてはもっとも安全だからだ。 返す返すも、インターネットトロルというのは卑怯な人々である。
いつも思うのだが、若い芸能人やアスリートに人格者であることを求めすぎることもオオマチガイではないか。 一般社会で見ても、20歳や25歳で人の道が分かっている人がいったい何人いるだろうか。 会社の中で見てごらんなさい。 22歳か23歳で大学から入社してきた人には教えることがいっぱいあるでしょう。 30歳ぐらいまでは、はっきり言ってまだまだ足りないところばかり、まだまだ子供だなあ、と思うことがいっぱいある。 (もっとも50歳になっても60歳になっても人格者とは言えない人は大勢いる) どれほど世界で一流の成果を上げていたって、発達心理学からいえば、大坂選手だって、錦織選手だって、羽生選手だって、大谷選手だって、まだ「青年期」なのである。 成人の「入り口」に立っているのだ。
それを芸能人やアスリートだと、なぜ突然人格者のような行動を期待するのだろうか。 彼らこそ、狭い世界で一つのことばかりやり続けてきた人々で、おそらくは一般常識や広い社会経験の少ない人たちである。 インタビューを受ければ、しっかりしたことも言うだろう。 一つのことでは一流だが、彼らはまだまだ精神的には青年期の発達途上なのである。 若気の至りでケンカもするだろうし、うっかりしたことを言ってしまうこともある。 それを大人やメディアはいちいち非難せずに、まだまだ若い彼らの行動を温かい目で見守るべきである。一般社会が新人たちにそうしているように・・・。 そもそも、批判している人たちは、自分が20歳前後の時になにをしていたか思い出した方が良い。そして、今現在ネット上で誹謗中傷を繰り返している自分自身を振り返った方が良い。人を批判できるだけの人格者といえるだろうか。
インターネットは便利なツールだが、諸刃のツールである。 人を切り刻んでいると、その刃は自分にも向かってくるものなのだ。 愛憎も一つのコインの裏表だろう。 誰かにそこまで執着して攻撃をしかけるというのは、興味がありすぎるからである。 なぜ、ある事柄、人物にそこまで自分が執着するかを分析してみるのもいいのではないだろうか。 自分の病的な部分が見えてきて、根本的な解決になるだろう。 汚水の流れるチャットルームにいって汚物を吐きちらしているよりも、もっと自分の精神にとって良いことをしようという前向きな一歩になるのではないだろうか。
攻撃の対象にされている人々は、その原因は自分にあるというよりは相手にあるのだということを理解すれば、多少気持ちが楽になるのではないかと思う。 自分が何を直せばよいのか、という無駄な時間をすごすことはない。 何をどうしても、こういう人たちは攻撃をやめないだろう。 おのれの内部にある問題を解決しない限り、こういう人々は人に原因を求めて攻撃を続けるからだ。 たまたま、そのターゲットにされているだけであって、野犬にかまれたようなものである。 わずかな人の落ち度を見つけて、鬼の首をとったように攻撃をする。 それで自分の存在意義を見つけようとしている人々なのである。
有名になったり、強くなった人には、こういう人々が群がり始めるのである、残念なことだが。 広く一般に知られることにより、こういう人々のターゲットになる確率が上がるからだ。 世の中には人の成功を認められない人々、自分の弱さを人のせいにしたい人々がある一定数いて、こういう輩に狙われるからである。 彼らは自己本位の正義感で自分を正当化して人を攻撃しては、自分の存在意義を確かめているのだ。 そのターゲットは政治などという抽象的なものではなく、「個人」である。 個人攻撃を繰り返すことで留飲を下げているのである。 自分が攻撃をしている対象の落ち度をはるかに上回る不正を犯しているという認識もなく。
先の殺人事件の犯人はその究極の姿である。 自分本位の価値観、正義感であちらこちらで暴言を吐き、誹謗中傷を繰り返し、いろいろなSNSで締め出された。 その自分の行動を省みることもなく、締め出されたことだけを恨みに思い、計画的な殺人を企てたのである。 おそらく、今でも自分がなぜ締め出されたか、どれほど自分の正義が自己本位で偏っていたか、理解できていないのではないだろうか。
ネットの闇というが、自分がネットの闇に沈んでトロルに成り下がらないよう、ネット上での行動には気を付けなくてはいけない。 匿名がはびこるインターネットの世界においても、人間としての礼節や振る舞いを忘れないように。 そしてネットの世界で顔の見えない相手と感情的にやり取りする泥沼に入っていかないように・・・。 ネット上で匿名で無礼を行うような人物は相手にする価値がない、と切り捨てるべきなのだ。
そんなことに浪費する時間やエネルギーは、現実の世界で自分を愛してくれる家族や友人のために使うべきなのである。 それをくれぐれも忘れないようにしなければいけない。
ネット上で不当に誹謗中傷を受けている有名人の方々も、無責任に吐き散らされた言葉に翻弄されることなく、自分をしっかりと保ってほしい。 そういう言葉を吐く人々も、それに振り回されるような人々も、そもそも自分にとっては役に立たない人々だ、と。 自分の力になってくれる人々は、そもそもそんな言葉には影響を受けない人々だ、と。 そして、そういう人々の方が圧倒的に数で優っているのである。
そのことを信じて、心を強く持ってほしいと思うのである。