スポーツコーチの暴力 | ロンドンつれづれ

ロンドンつれづれ

気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

 

体操のコーチの選手に対する暴行事件が、いろんな方向に拡大しつつある。

 

今年は、スポーツ界の指導の仕方に注目があつまり、それはコーチや監督だけでなく、先輩の後輩に対する扱いも含んで、暴力や体罰のみならず、脅しや恫喝など、ひろく「パワハラ」とくくられる問題について、いろいろな人が意見を述べてきていると思う。

 

体操の場合、最初は暴力をふるったコーチが処罰を受け、謝罪をしていたけれども、その処罰が重すぎるといって、被害をうけたはずの選手本人が逆に処罰するサイドを「パワハラ」と呼んで非難し始めたりして、なんだかケオス状態である。

 

くだんのコーチが、15歳の時の選手を右手、左手で激しくスラップする動画がなんどかニュースで流れたが、やっぱりあれはれっきとした暴力だな、と感じた。 30歳前後の成人の男性が、15才の教え子に暴力をふるうことは、先進国では犯罪と呼ぶのである。試しに英国人である夫に動画をみせたら、「ジーザス・クライスト!What is this?」と衝撃を受けていた。「この国では彼はとっくに監獄に入ってるよ」と。

 

 

 

では、なぜ教え子はコーチへの処罰にこれほどあらがって、コーチを救うことを懇願し、処罰をしようとするサイドを逆にパワハラで訴えようとしているのだろうか。

 

批判されている体操界のトップの人たちが言う言葉だけでなく、「暴力は繰り返し行われていた」「殴った後、コーチは選手を抱きしめたりしていた」と話す、他のコーチや同じジムで練習をする他の選手の言葉もある、という。

 

そこには、DV夫と被害を受けている妻のような構図が見て取れるような気がするのである。 「お前が悪いから、たたかれるのだ」といって殴る男と、ごめんなさいとあやまりつづけて男の機嫌をとる女。 そして、あとで暴力を詫び、優しくしてくる夫から離れられない妻の構図である。「あの人は、私のことを思ってたたいてくれた」と。 いわゆる「共依存」といわれる関係である。

 

 

児童虐待法でも、夫婦間のDVをみせられる児童を「被虐待児童」と認識し、第三者の間で行われる暴力は、見せられる人にとっても「精神的暴力」あるいは「虐待」と判断している。 これは家庭内だけの話ではないだろう。 同じ場で練習を余儀なくされ、コーチと選手の間で繰り返される暴力を見せられる若い選手にとっては、迷惑というだけでは済まない話だろう。 暴力を受けていた選手だけの問題ではないのだ。

 

 

日本の学校のクラブ活動にはびこる、教師やコーチ、監督による「体罰」や、命令服従への圧力。これは大人からだけでなく、生徒同士の間でも、先輩後輩、あるいは力の強弱によって、パワーの下の者、弱いものへと向けられる強力なコントロールの構図である。

 

息子が小学校1年のころ、教師からつねる、たたくなどの虐待(あえて体罰と呼ばない)を受けていた小学校2年生の男の子がいて、親がそれを問題にしたところ、他の親たちがあつまって圧力をかけてきたことがある。 「行儀の悪い子供は殴ってもらった方が良い」というのが彼らの理屈だった。

 

彼らはその小学校に自分らも通ったという地元のお父さんたちで、一人はたしか区会議員だったと思う。先生は女の先生で、おそらく座って授業を聞いていられない男児にイライラしていたのだと思う。男児の背中には、先生につねられたあとが10か所ほど青くなってついていた。男児は朝になるとおなかが痛くなって、登校拒否を起こしていた。

 

 

私は虐待を受けている子の親と一緒にくだんのお父さんたちと膝を突き合わせて話し、「わかりました。それでは、うちの子はたたいてくれて結構という親御さんのお子さんは赤いリボンをつけていって、先生にたたいたりつねったりしてもらいましょう。それ以外の子供たちは、一切なぐらないでもらいましょう」といったら、黙ってしまった。 怒られているのはよその子で、自分の子供は関係ないと思っている人たちなのである。よその子なら先生に殴られてもつねられてもかまわない、というのである。

 

先生が一人の子供をたたいたり、つねったり、常にヒステリックに怒鳴ったりしているクラスでは、怒られていない子供が不登校になったりすることがある。 心の優しい子供は、たとえ自分がたたかれているのでなくても、身近に暴力を見ることはたいへんなストレスになるのである。

 

だから、子供はたたいてしつけるべきと言っていたお父さんの「行儀のよい子供」も他の子が先生にいじめられているのをみてストレスを感じていたかもしれないのだ。あるいは、自分は父親にたたかれてビクビクしながら育ってきたから、他の子がたたかれるのを見てスッキリしているかもしれない。どっちにしても、子供が育つ上で、健康的な環境とはいえないのだ。問題の解決を暴力で行うという悪い大人の見本を学習してしまうではないか。

 

たたかれて育った人は、自分も子供をたたき、「たたいてもらったから自分は立派な人間になった」などという。しかし、一つもたたかれないでも立派な大人に育っている人を私は大勢知っている。 実際、たたいたり蹴られたりした時に、人間は本当に反省するだろうか。 一瞬、怒りが爆発し、それを抑えて我慢するのがやっとだろう。あるいは、恐怖が襲ってきて、反省もしていないのに口だけで謝ってその場をやり過ごすだけだろう。

 

暴力を振るわれた人は、あとから抱きしめたり、「たたいてごめんな。だけどお前のためにやったんだぞ」などと言われて、ごまかされて納得したような気になっているだけなのである。要するに、マインドコントロールである。 人に暴力をふるわれているみじめな自分を認めたくないから、「愛情があってやっている」と思い込みたいのかもしれない。

 

口で言ってもわからない幼児の時に、ストーブにさわろうとしたり、道路に飛び出そうとしたときに、手をたたいたりして痛みでおぼえさせることはあるかもしれないが、言葉が通じるようになれば、言って聞かせればたいていのことは理解するものだ。

 

それでも理解しないで禁止事項を繰り返すときは、医師に相談した方が良い。発達障害などが原因のこともあるからだ。 発達障害児の場合は、見えるように指示を書いて張り出すなど、指導の仕方に工夫が必要だ。それでだいぶ解決することも多いのである。たたくだけでは事態は良くならない。

 

少なくとも健常児が15才にもなっていれば、往復びんたをしなければ理解できないようなことはないはずで、暴力にたよらなければ子供や生徒が言うことを聞かないようであれば、大人が自分の指導法を反省した方が良い。 大坂なおみさんの快進撃は、彼女の自信を育て、ポジティブ思考を教え込んだコーチの存在が大きいというのである。 アスリートは殴れば強くなるわけではないのだ。

 

 

コーチの暴力の動画をテレビで流された被害選手は、怒ってコメントを出したという。「コーチはすでに暴力を認めて処分も全面的に受け入れ、反省しています。そのような中、改めてあのような映像を公開することの意味が理解できません。私の叩かれている姿を許可もなく、全国放送されたことに怒りを感じています」と訴えたそうである。 この気持ちはもっともで、あんな動画を流されてはうれしくないに決まっているだろう。しかしおそらくテレビ局が放映の許可を得ようとしても、コーチをかばいたい彼女はうんとは言わなかったにちがいない。

 

少し前に、虐待で死亡した5歳の女の子のメモが発表されて、初めて全国の人が「児童虐待ってひどい!」と実感したのと同じように、「体罰も仕方がない」と思っていた人たちも、あの映像をみて「やっぱり体罰はいけない」と感じただろう。 言葉で説明されてもピンとこない人たちが、被害の実態や映像を見ることで初めて本質を理解するということはおおいにあるのだ。 あの女の子のメモの強力なインパクトの後社会での危機感が高まり、政府内ではあっというまに虐待対応の委員会が開かれた。

 

暴力シーンの動画は、あの映像のような場面を何度も目撃していた内部の人が記録した映像である。初めてであれば、撮影は不可能だ。 あのような暴力を何度も見せられていた同僚や他のコーチにしてみれば、これはぜひやめさせなくてはいけないと感じていたからこそ記録をし、あえて発表することをしたのではないだろうか。 それは被害選手のためだけでなく、同じ場所で練習をしている他の選手やコーチたちの職場環境を守るためにも。  暴力はいけない。 それを社会一般に実感させるには、あの動画はとても説得力のある映像だったことは確かなのである。

 

社会規範が変わっていくには、多くの人が「これではいけない」と実感し、ある行為に対しての嫌悪感をシェアし、法律などを整備していかなくてはならない。 児童虐待にしても、受動喫煙にしても、体罰に関しても、昔は受け入れられていたことが今はそうはいかない、という風になっていくには、多くの人の気持ちの方向が一致していくプロセスが必要で、暴力が身近にない人には暴力のひどさは実感としてわかっていないということがあるのである。そういう意味で、あの映像は大きな役割を果たした。

 

 

もっとも、体操界の問題は、トップの人たちの権力争いといったポリティクスや選手の契約、スポンサーの金がからんでいるということもあって複雑怪奇であるから、第三者から中身はまったくわからないのである。だれがなにをどう利用して、ことをどっちに運ぼうとしているのか外野には理解不能なのである。 

 

が、少なくとも親であろうと教師であろうとコーチであろうと上司であろうと、子供や若い人を指導する際に、暴力や恫喝、脅しをもって相手をコントロールしようというのは、まったくアウトであることだけは確かだ。 なぜならそれは深刻な人権侵害であり、指導ではなく勝手な支配欲に過ぎないからだ。 

 

 

 

子供のころから親に激しく叱責され、自信を持てずに育った子供は、自己評価が低い。ことがうまくいかない時に、なんでも自分が悪いからだと思い込んだりするものである。また若いころから教師やコーチなどに体罰(暴力)を受けて教育された場合、「自分が悪いから殴られるのだ」と思い込まされていることが多い。こうなると、自分も同じような指導法をとる教師やコーチになりがちである。 暴力の連鎖を止める必要がある。

 

くりかえすが、「暴力」に関していう限り、これはコーチと被害を受けた選手だけの問題ではない。 被害者が「もう反省して謝罪をしているし、私がそれでいいと言っているんだから、処罰は軽くしてほしい」という問題ではないのだ。 身内間での暴力はDV法で、子供に対する虐待も虐待防止法で禁じられている。他人に対する暴力は、傷害罪として立件できる。 確かに18歳の選手が勇気をだして記者会見を開いたことはえらいが、選手自身は若いころから暴力に慣らされてしまっていて、正常な判断力が育っていない可能性が高いのである。 

 

コーチによる暴力は、トップの権力争いや動画の肖像権の問題と混同して論点をすり替えてはいけない部分である。 しっかり切り離して、スポーツ教育の現場から暴力がなくなるように、第三者が客観的に見て議論するべき問題なのである。

 

過去のオリンピックメダリストなどもテレビにでて色々な発言をしているが、「暴力は確かにあったけど、もう謝ってるからいいじゃないですか。それよりも・・・」と別の問題を持ち出すことが多い。 もしこれが大人同士の権力争い、派閥争いに利用されているというのであれば、もう18歳の被害選手に色々発言させずにしっかりと守り、大人がちゃんと責任を持って解決するべき問題が体操協会内にはいろいろとあるのではないだろうか。

 

 

最後に大坂選手の偉業をたたえる記事をご紹介しよう。コーチがいかにすぐれているかを書いている。

東洋経済

 

「日本ではまだまだ、コーチが一方的に怒鳴りつけ、根性主義で、「教え込もう」とする指導も健在だ。選手を殴りつける、恫喝するなど、ゲスの極みのような慣行も存在する。


 大坂選手の優勝に、2020年の東京五輪の「顔」が見つかったと安堵する関係者も多いかもしれないが、彼女のこの偉業に、日本のスポーツ界や関係者の功績といえるものはそれほどないだろう。


 次々と露呈するパワハラ体質を抜本的に改め、徹底的に指導者のコミュニケーション力を鍛えることが急務だ。大坂選手の快挙は大いにたたえつつも、浮かれている余裕など、日本のスポーツ界にはこれっぽっちもないのである。」

 

 

 

まったく、その通り、と同意するばかりである。

 

 

フィギュアスケートのコーチたちはこういうことのないことを祈っている。

 

高いコーチ料を支払って、自分の子供がこんな目にあっているようでは、親は浮かばれないのである。

 

https://www.msn.com/ja-jp/sports/tennis/大坂なおみが世界の称賛と同情を集めたワケ-全く新しいタイプのヒロインが誕生/ar-BBN6S54?ocid=spartanntp#page=2