無言館 | ロンドンつれづれ

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70年以上日本で平和が続いたことを、奇跡と思って大切にしたい日、8月15日。

 

著作家でもあり、美術評論家でもある窪島誠一郎氏が、長野県上田に1997年に設立した、戦没画学生慰霊美術館、「無言館」に行ってきた。

 

緑の森の中、蝉しぐれが耳を覆いたくなるほど降りしきる中に、無言館は静かに建っている。

 

 

 

 

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「口をつぐめ、眸をあけよ 見えぬものを見、きこえぬ声を聞くために」

 

 

無言館は、日中戦争や太平洋戦争に出征して戦死した画学生の遺作や遺品を展示しており、今の東京芸大や、今の武蔵野美術大学、多摩美術大学などの学生や卒業生が、出征する直前まで描いていた作品や、戦地から妻や家族におくった手紙やはがきなどを展示している。

 

展示作品は、戦争を思わせるものはほとんどなく、妻や妹、母や祖母といった家族を描いたものが大変に多い。 なかには、外で兵隊さんを送り出す近隣住民の声を聴きながら、あと5分、あと1分と言って絵筆を握って描かれたものもあり、24,5歳から30歳ほどの若い芸術家たちの無念の思いが伝わってくる。

 

平和の世であれば落とさなくて済んだ命、いまも好きな絵を描いていたかもしれない青年たちが戦地へと送られて命を散らしていった、その証拠となる作品たちである。 

 

佐久間修、熊本県生、享年29歳

「静子像」

 

太田章、東京都生、享年23歳

「和子の像」

 

上記の2点は作者の妹の絵である。 出征前、兄に頼まれてモデルをした妹たちの心の中はいかばかりであっただろうか。 こういった絵は、長く妹の手によって保存されており、無言館の開館と共に寄付をされた作品である。

 

 

蜂谷清、千葉県生、享年22歳

「祖母なつの像」

 

22歳と若い蜂谷さんは、妹も、妻もなかったのかもしれない。 大好きな祖母の絵を描いたのだろうか。大切な孫を戦争にとられてしまう悲しみを、「お国のために」というヒロイズムに隠して、送り出したのだろうか。

 

妻の絵を描いたものも数多くあり、戦地に出向く前の夫のキャンバスの前で、若き妻はどう思っていただろうか。二度と帰ってこなかった夫との間にできた子供を気丈に育てた妻もいただろう。 自分のポートレートを残してくれた夫の愛情のこもった一筆一筆のストロークは、彼女がつらさに立ち向かう強さをくれただろう。

 

 

無言館の外には、画家たちの名前を刻んだパレットがあった。

 

 

コンクリートの中に、埋め込まれた絵筆たち・・・。

 

 

 

 

作品と遺品を供出した家族たちは、志半ばで夢をあきらめなくてはならなかった若者たちの気持ちが、永久に残る形で世界に対しての警鐘となることを願っているのかもしれない。

 

 

図書館では、戦争に関した本や日本・世界文学全集、そして童話がたくさん収容してあり、座って読むことのできるスペースや、コーヒーなどを飲める場所も確保してある。

 

 

 

 

戦争は、なにがあっても正当化されてはいけない。 若く才能のある人たちが大勢、その大切な命を散らしてしまった。 

 

誰のために? 家族のためなんかじゃなかったんだ・・・。

 

家族は、あなたに、ただ生きて帰ってきて欲しかったんだ・・・。

 

 

 

人殺しの罪が問われない異常な世界に、私たちは足を踏み入れてはいけない。

 

 

原爆のことも、大空襲のことも、沖縄のことも・・・

 

アジアの人々の悲しみのことも・・・

 

前線で戦い、人を殺し、自分も殺されなければならなかった兵士も、父を、夫を、息子を、弟や兄を失った人々も・・・

 

 

8月15日は、老いも若きも、過ちは二度と繰り返さないという強い気持ちを思い出す日にしなくてはいけないのだ。

 

 

 

無言館の庭に落ちていた、蒼くてくりくりしたどんぐりは、日本の平和の象徴のようだった。 

 

子どもたちに平和で安全な世界を手渡していけるよう、国のトップはもとより、私たち一人一人が70年続いた平和の大切さをしっかりと認識し、そのための努力をしなくてはならないと改めて思ったのである。