アスリートにストーカー | ロンドンつれづれ

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思わず、笑ってしまった・・・
 
野球の大谷翔平くんに、40歳の子持ちの女性がストーカーをしている、というのである。Yahooニュースに出ていた。
 
記事を読むと、「彼もまんざらでもないと思う」と、女性の妄想はとどまるところを知らない。
 
特に女性ファンに対しては、芸能人もアスリートも厳しい態度はとりずらいだろう。さらに、3歳やそこらの子供をつれたお母さんに対してつらくあたることはなかなか無いだろう。子供を育てる年齢の女性が、まさか自分に懸想しているとは考えも及ばないだろう。20歳前後の男性にとって、40代の女性は、母親の年代である。
 
しかし、この女性はどうやら、大谷選手に懸想するあまりに、離婚を考えているようである。かわいそうなのは、3歳の息子だろう。 
 
いい年をした自分のお母さんが、お父さん以外の男の人に血道をあげたあげく、離婚。 そうやって壊した家庭のかわりに、大谷君はお母さんと結婚してくれて、新たな幸せな家庭が築けるのだろうか。 ありえない話である。 しかし、目のくらんだこの女性には、その常識が働かなくなっている。
 
このような話は、しかし、大谷選手に限らないであろう。
 
なにをどう間違えるのか、若い芸能人やアスリートに邪念を抱き(あえて邪念と言わせていただこう)、自分の周りが目に入らなくなり、さらに万が一お近づきになれるかも、という妄想を膨らませる、いい年をした女性たちは案外多いのである。
 
私はこういう人たちは、きっとご自分の家庭に満足できていない欲求不満の女性たちの行動かと思っていた。しかし、これはもっと重大な、心の病気なのかもしれない。 もしかしたら、ご主人は十分家族のために尽くしているにもかかわらず、ある日とつぜん、妻がわけのわからない熱にとりつかれ、家族をほったらかしにして、若い芸能人やアスリートに血道を上げ始めるのかもしれない。
 
ある日を境に、急に熱心なオッカケをはじめ、家計がひっ迫するのもかまわずに、チケットを買い求めて日本中、あるいは世界中を自分の好きな芸能人やアスリートを追いかけまわして、自宅を留守にする。
 
子供や夫のことは二の次で、彼女はまるで思春期のホルモンで行動しているかのようだ。部屋の中はその対象の写真や雑誌、本であふれかえり、家事もしないで1日中パソコンや携帯で好きな芸能人、アスリートの情報を追い求め、動画を探しては見ている・・・。
 
これは、夫としては、面白くないだろう。
 
大谷君のストーカー女性、40歳の女性がどう見ても2,3歳の幼児をつれて、彼の寮のまわりに日参する。警察に止められても・・・。「彼と結婚したい」という夢があるそうである。 これは、やはり異常な行動であろう。 夫にしてみれば、「気でも狂ったか」と思うだろう。
 
 
ところで、スケート選手のオッカケをしている人たちの中には彼女のことを笑えない人もいるんじゃないか。
 
自分のあこがれる選手を一目みたいと選手の乗るバスを追いかけ、ホテルや空港で待ち受け、日本でチケットが買えなければ世界中の競技会のチケットを手に入れてひいきの選手の応援に駆け付ける。
 
確かにこれ自体にはなんの悪いこともないだろう。独身で、面倒をみなくちゃならない家族や親がおらず、しかもお給料が大変に豊かで、1年に何度も海外旅行をするようなゆとりのある生活をしている人であれば。 あるいはもう子供も育ち、親の介護もすませ、やっと自分の時間を持てるようになった年代なのであれば。 しかし、あなたが妻や母親であり、面倒を見なくてはならない子供や夫、親がいたなら、残念ながら話はまったく別である。 自分のオッカケで、家族が犠牲になったり、家計がひっ迫したり、育ち盛りの子供への母親の注意が散漫になることには、大きな問題がある。
 
そしてなにより大きな問題は、きら星のように自分の人生にほんの数年間だけ現れた手の届かない他人のために、大切な現実の家族の信頼を失うことではないだろうか。夫からは「こんな若造に血道をあげて、お前気でも狂ったんじゃないか」と思われ、子供からは「お母さんはボク(わたし)よりも、大事な人が他にいる」と思われてしまうことではないだろうか。 一回壊れてしまった子供との信頼関係は、熱が冷めた後でどんなに後悔しても取り返しはつかない。人生のそれぞれの時期により、自分の中で今の優先順位の高いものはなにか、しっかりと把握しておく必要がある。
 
 
 
考えてもみてごらんなさい。
 
子供が育つときは、母親の愛情とアテンションを一心に受けてこそ子供はすくすくと育つのである。またそうやって子育てをしている妻をみて、夫も安心して仕事に専念できるのである。 しかし、妻が何やら隠れてこそこそと若い男の写真を集めたり、日中どうやらほとんどの時間を芸能人やアスリートのためにつかっていて、心は家族とともにあるというよりは、ネット上で「彼のこと」を語り合うソーシャルメディア上の友人と共にあるらしい。 そんな状況では夫も不機嫌になるに決まっているし、子供の心の中には空虚のようなものができるだろう。
 
 
芸能もスポーツも、エンターテイメントの域をでて自分の人生の中心みたいになってしまったら、生活をコントロールされてしまうだろう。そのためにつかうエネルギーと時間は膨大なものになり、大切なこと、やるべきことをする時間も気力もなくなるだろう。自分の人生を豊かなものにするためのエンタテイメントからは大きくそれて、「中毒」といったものに近くなるかもしれない。居心地の良い妄想のために、リアルな生活が破たんすることになる。 すべて物事はバランスなのである。
 
この大谷選手のストーカーのご婦人のように、現実と妄想の区別がつかなくなり、大切な家族が崩壊したり、果ては警察のご厄介になったりしだしては、何のための芸能あるいはスポーツ鑑賞なのだろうか。
 
 
繰り返すが、一番かわいそうなのはこの小さい息子君である。 記事に添えてある写真の中で、彼はしゃがみ込む母親の前に立ち尽くしている。野球選手の寮に毎日連れてこられて、20歳も若い男と結婚したがっている母親を見せられているこの男の子は、これからどんな人生を歩むのだろうか。彼の不幸な生涯が目に浮かんで胸が痛んでならない。
 
 
私もフィギュアスケートが好きで、ヨーロッパでの試合は近いから見に行くが、応援している選手と近づきたいとか、結婚したいとかはもちろん思わない。そして、おそらく彼らが選手をやめると同時に、彼らに対する興味も失せるだろう。なぜなら、私は彼らのスケートの演技を愛しているのであって、彼ら個人に対する興味はあまりないからだ。なので、彼らの私生活を知ろうとも思わないし、どんな食べ物や音楽が好き、といったことにも興味がない。 というよりいたずらに他人にそういう興味を持たれることは、おそらく彼らも望んでいないだろうと思うのである。自分の知らない人が自分のことを詳しく知っているのは、なんとなく気持ち悪いのではないか。
 
 
芸能人であっても、アスリートであっても、相手に執着しだした段階で、なにかが狂ってくるのである。応援は、相手のためではなくて自分のためになってしまうだろう。 競技会で選手の迷惑なタイミングで声援の声を出したりするのは、自分が目立つことで相手に承認してもらいたい欲求だろう。 リンクに投げ込まれる多すぎるプレゼントもそうだ。「私のプレゼントを拾ってもらいたい」という承認欲求を持つ人が膨大にいるからであろう。
 
有名人と一緒に写真を撮りたい気持ちもわかるが、あまりに有名になってしまった人々は (最初のうちは嬉しいかもしれないが)、きっと写真をとられることも迷惑と感じ始めるのではないか。常に相手の立場に立ってみれば、プレゼントや花も、相手がもらってうれしい状況と、もらい過ぎて迷惑な状況と、わかるはずである。 
 
かつて、もらったプレゼントをオークションに出して、あるいはチャリティに寄付して、ファンから「ひどい!」と非難されていた芸能人がいた。ブログで平謝りしていたが、私には怒るファンも相手の立場を考えないよなあ、と思った。浴びるようにもらうプレゼントを、自宅のどこに収納しろというのだろうか。捨てるよりは、とオークションにだしたり、人にあげたり、チャリティに寄付したりしてもしかたがないよな、と思う。食品などは送っても、食べないという。それはそうでしょう、見も知らぬ人から送られた食べ物など、怖くて口に入れられない。
 
一人から受け取れば、みんなが我も我もとなるだろう。誰か特定の人のを受け取らなければ、今度はSNSでさんざん悪口を言われるだろう。可愛さ余って憎さ百倍、というやつである。だから、おしなべてみんなにしない、ということになるだろう。「熱狂的なファン」という種族は、手のひらを反して攻撃をしてくることもあるから怖いものなのだ。私が母親だったら熱狂的ファンから息子を守るために全力を挙げるだろうと思う。 ありがたい、と思いつつも「この人たちは何をするかわからない」という恐怖感も持つだろう。大谷選手の例にいたっては、ありがたいという気持ちも失せて怖いだけである。大谷選手が彼女の期待にそえないことが分かった時、彼女が攻撃者になる可能性はゼロではない。
 
 
さて、フィギュアスケートで言えば、会場にいって大声をあげて応援できる人たちはごく少数の限られたラッキーな人たちなのだ。チケットに払うお金も、移動やホテルにかかるお金もねん出することのできる人たちだ。そして手のかかる家族もいない状況にある人たちなのである。(あるいは、いても、家族をほったらかしてオッカケをしているのかもしれないが。)
 
大多数のファンは、仕事や家族にしばられて、そんなに現地観戦などはできないはずだ。まずは家族を大切にし仕事を優先し、通常は時間的余力の部分でテレビや動画を見ながら自分の気に入った選手を応援しているに違いない。そして、運が良ければ1年に1回かそこら、貯金をしてやっと手に入れたチケットで、楽しんでくるのである。 またそういうタイプのファンが大勢いるからこそ、テレビ局が高いお金を払って放映権を買ってくれるのである。通常、フィギュアスケートの「ファン」と言われる人の99%は、そういう人たちだろう。テレビの前で、自分の好きな選手をせいいっぱい応援しているのである。 (ところで、羽生選手は必ず「会場で、そしてテレビ前やインターネットで応援をしてくださった皆様」とお礼を言ってくれますね!いい子だ。)
 
幸い私たち夫婦は親の介護も一段落し子供も育ったので、ヨーロッパ圏内で結構たくさん現地観戦をする機会があるが、仕事や家族に手がかかるうちはテレビ前で応援するというファンの人たちから見て「現地応援組は恥ずかしい」と思われるようなふるまいをしないようにしたい、と自戒の念も込めて思うのである。選手の本番演技中におしゃべりを続けたり、歩き回ったり、入場などの順番を守らなかったり、私物を何時間も置きざりにして自由席を確保したり、プログラムを買い占めたり、選手の出待ち入り待ちをして迷惑がられたり。せめて、フィギュア先進国である日本人ファンは、マナーを守りたいものだと思う。
 
もちろん現地でなければできない選手との触れ合いもある。気軽に話しかけて、嬉しそうに返事をしてくれたり一緒に写真をとってくれる選手もいるが、なぜだか大方の日本人の選手たちはホテルでもファンからは遠く離れて用心しているように見える。 おそらく日本人ファンのエネルギーは強烈すぎて(数も多すぎて)、日本人スケーターたちの中には暗黙の「ファンはさけたい」というのがあるみたいに感じる。選手の自宅までついてくるファンがいる、というのも聞いたことがある。 試合の会場以外のところでファンに付きまとわれ、一部始終をツイッターなどで流されてはかなわないではないか。 ま、そうでなくとも大勢の人に囲まれれば、それだけ風邪やインフルエンザをうつされる可能性は高くなる。体調管理が重要なシーズン中は、できるだけ不特定多数の人とは接触したくないに違いない。 
 
2015年のバルセロナのグランプリファイナルで、たまたまエレベーターから降りた私たち夫婦と、マスクをして乗り込んできた羽生選手の一行がすれ違ったときの、背後に壁のように見えた多くの携帯電話を忘れられない。これだけの数のファンが待ち受けていて、ホテルを出入りする羽生選手に対し、シャッターチャンスを狙っていたのだと驚いた。 ISUのインタビューで「日本は特別だと思うけれどパパラッチがいるので、カナダの方が自由に行動できる」というような発言を羽生選手はしていたけれど、パパラッチが困るのはプロのフォトグラファーに限らないだろう。 それに、何か勘違いした大谷選手のストーカーのようなのが現れないことを祈る。怖いのはアンチだけではない、ファンだって同じぐらい怖いのだ。
 
 
もちろん応援は大きな力になるし、ファンの好意は選手にとってもありがたいだろう。
 
 
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし。
 
どんな好意も、過ぎてしまえば有難迷惑なだけである。 応援も、これは相手のためにやっているのか、それとも自分が嬉しいからやっているのか、よく考えた方が良い。
 
 
もっともこれは、有名人とファンの関係に限らないが。 
 
対人関係ではつねに一歩引いて、相手がそれをどう受け取るか、そしてその好意は実は自分の満足のために押し付けているだけではないか、それを感じ取ることのできる繊細さを常に保つことが、大人としての品ではないかと思うのである。