震災復興のセミナー | ロンドンつれづれ

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イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)


今週は、木曜日と金曜日の二日間にわたって、ほぼ1日中「震災復興」についてのシンポジウムと会議を行った。 これは昨年のうちから計画していたもので、シェフィールド大学の日本学部、社会学部、そして物理学部との協力により、実現したものである。


おりしも、熊本県の地震による災害が起こり、シンポジウムの参加者もよりいっそう活発な発言があり、地震や津波といった災害のない英国の学者の方たちも、フクシマの原発による災害、そしてその他の自然災害からの復興を、「リスクマネジメント」、「コミュニティ再生」、「自然災害のダメージを最小にするための予防策」などといった方面から討論した。 木曜日はシェフィールド、金曜日は午前中はシェフィールドで午後はロンドンに戻ってのセミナーと大忙しであったが、電車で2時間の距離なのである。


シェフィールド大学は古くからある大学で、「日本学」、Japan Studiesで学ぶ学生さんは100名を越える。

そして、日本の政治、経済、文化を教えている教授陣も、多く揃っているのである。



会議の行われた校舎。




中庭部分。


シェフィールドは、かつて鉄鋼業で名をはせ、ナイフやフォークの産地であった。今は、新興国に生産をおされ、産業は廃れてしまったが、産業が落ちぶれ始めた頃に作られた映画に、「フルモンティ」というのがあって、ハリウッド映画とは違う、英国映画の典型的な雰囲気をかもし出していて、人気なのである。ごらんになった方はご存知だと思うが、シェフィールドで仕事を首になった中年男性が数人、ストリッパーになって生活を立て直そうというストーリーで、「フルモンティ」とは、スッポンポン、という意味である。



実は、私のスケート靴のブレードも、シェフィールドで生産されており、MKとかジョン・ウイルソン(羽生君がここのレボリューションタイプを使っていますね)というスケートの刃の老舗メイカーはシェフィールドにあって、まだ世界的に評価されているのである。私のブレードも、ここの工場に直接注文して取り寄せたものである。



さて、シェフィールド大学には女王陛下も何度も訪れているようであり、若くて初々しいころの写真から、最近の訪問の写真が飾ってあった。




学長のガウンは、きらびやかである・・・。 もともと、西洋の大学は、宗教家を育てるところだったので、学者の正装としてのガウンは、教会の司教などのガウンににていますね。






さて、シンポジウムであるが、今回は日本に留学経験もあり、日本の大学で教えた経験もある教授が中心となって、上記の学部の先生方が大勢協力してくださって実現したのである。


第一部は、博士課程の学生たちのプレゼンテーションで始まり、こちらも若い学生さんたちの日本の震災に対する興味と研究に感銘を受けた。


そして第二部は、日英の専門分野の教授たちや研究者によるプレゼンが続いた。


つい先週までフクシマの第一原発を視察していた、という原子物理学教授の発表は、最前線の近況を伝えていて、聴衆は興味深く聞いており、質問も多く出ていた。


彼の言葉で印象深かったのは、放射能を計るドシメーターをつけて見学し、その後英国に帰ってもずっと計り続けているが、原発内(もちろん、許されたところだけを歩いたに違いないが)での放射能の数値よりも、往復の飛行機内でうけた放射能の数値の方が高かった、ということである。今後、1年間、移動先各地で計り続けるということであった。


福島第一原発の地図を見せながら説明していた。




日本からも、最前線で復興努力に当たっている研究所の職員の方が渡英して、プレゼンをしてくれた。大学での聴衆は80名ほどだった。


下は、大学の持つ宿泊設備。こちらに泊まらせてもらった。桜が咲き始めていたが、タクシーの運転手さんによると、先週は雪が降った、ということであった。 北の方は、まだ寒いのである。



シェフィールドでは、お客様は専門知識をもったアカデミックや学生さんが多かったが、ロンドンでのセミナーは、一般の方も多く聴衆に混ざっていた。そして、いつものことだが、反原発アクティビストも必ず参加する。 


私は、情報量が少なすぎて、原発賛成とも反原発とも立場を決めかねているので、なんともいえないが、反原発アクティビストの方の議論態度を見ていて思うのは、それでは「解決策」にたどり着くことは難しい、という感想である。最初からけんか腰で、相手の議論をまったく聞かないのである。


今年一年のセミナーの方針は、「極論化したテーマを扱って、バランスを見つける」ということである。 地球温暖化にしても、原発の是非にしても、移民政策にしても、おおむね二つの極論化した議論があって、双方の陣営は、歩み寄ろうという努力をしない。


真実は、きっとその極論の中間当たりにあるのではないか。 白、黒、あるいは正、誤という決着をつけるために議論をするのではなく、今ある問題の解決のための議論でなければ、時間の無駄と言うものである。


震災の復興にしても、あちらこちらで、色々な問題について、両極端な議論が拮抗していて、解決に結びついていないとすれば、本当に困っている被災者の人たちの救済にはならないだろう。


議論に勝つことよりも、双方のもっともだ、と思える部分を抽出し、一人でも多くの人の救済につながるような解決策にいたるには、妥協も歩みよりも必要なのではないだろうか。


「バランスを見つける」というのは、色々な意見を集めて、すり合わせをして、どこかで実際的な解決策をひねりだし、早急な救済につなげるということなのではないだろうか。


少数の強い人たちの既得権益に振り回されて議論だけに時間をかけていれば、被災した多くの人たちを置き去りにして、なんの解決にもいたらない、ということにもなりかねない。


現場で実際に復興努力をしている人たちの言葉をきくと、なぜ復興が遅々としてすすまない地域があるのか、その苦悩がよくわかるのである。 そして、そこには、「信頼の欠如」という大きな問題もあることがわかる。


住民と行政の間の信頼の醸成。住民同士の間の信頼の維持。


それが震災が起きて、復興という段階にはいってくると、大変に難しくなるようである。


信頼の欠如があるコミュニティでは、仕事はうまくまわっていかないだろう。





震災は、一瞬で起きる。


しかし、それにより得てしまった苦難は、一瞬では終わらない。


また、クライシス(危機)管理にあたる国や地方自治体が、リスクアセスメントを誤れば、間違った決定をして、人々を動かすことになる。 こうなれば、これは人災となるだろう。 福島の原発が「人災」といわれるのはそのためである。


ロンドンでのセミナーでは聴衆の中に、多くの専門家が座っていた。その中で、リスクマネジメントの専門の大学教授が、「フクシマ第一原発の事故の後、避難したことによる被災者の平均寿命は、しなかった場合よりも短くなっている」と発言したのは注目に値する。


「胸のレントゲンを1回とると、その被爆で人間の寿命は8時間短くなる。 フクシマの場合、近隣住民で一番被爆の被害が大きい地域の人々の寿命は、平均5ヶ月短くなったと計算される。しかし、長期避難によるストレスやその他の影響の方が、彼らの寿命をより短くしている」というのである。 福島の原発事故の被害は、チェルノブイリと比べるとはるかに規模が小さい。あれは、被害の状況を把握する間だけの一時避難でよかったのだ、というのである。


もちろん、原発事故についてはまだわかっていないことの方が多いだろう。そして、被爆の影響については、今後長くフォローしなくてはならないだろうし、色々な議論があるだろうが、色々な分野の学者の専門性の高い研究結果は、無視できない情報でもある。海外の学者の研究も情報としてとりいれて、次の震災や事故の際の方針決定に生かすことができれば何よりである。


震災からの復興は、福島だけの問題ではない。地震や津波のないイギリスにも、川の氾濫などの震災はあるし、震災に限らずにクライシス・マネジメント、リスク・コントロールは、テロなどの予期しない危機に対応するために、必要な学問分野なのである。


阪神淡路の震災の経験が東北の大震災に生かされて、自衛隊の救助活動はずいぶんと迅速化した。東北の大震災での経験が、今は九州での救助活動、復興活動に生かされているだろう。


正しい情報と分析を蓄積し、学問として確立していくことが、将来の人類のためにもとても大切なのである。


今回印象に残ったのは、「大昔の津波の到達地点を昔の人は、神社などに記録として残してあった。しかし、人々は先人の忠告を忘れてしまったようだ」という英国人学者の言葉である。津波がくるから危ないという地域に家をどんどん建ててしまったのである。いったいどうやって、我々の経験を警告として未来の人類にのこしていけるだろうか。


そして、原子物理学者の「放射性廃棄物を埋めた地点を、1000年後、2000年後の人類にわかるようなメッセージで残さなくてはならない。掘りおこしてしまうことのないように・・・」という言葉には、おもわず頭を抱えてしまったのである。


数百年の間に、先人の警告が、もう伝わらなくなってしまう我々に、2000年後の人類に警告を伝えるすべがあるのだろうか・・・。 「政府に書類として残すと言うのは、まったく当てにならない。1000年前の政府の書類が今残っているか?1000年後に政府があるかどうかも、わからないじゃないか。石などに警告を書いておくことも、日本の津波の例をみれば、あてにならない」というのである。


原子力。 この両刃の剣を見つけてしまったことは、人類にとって福音だったのだろうか、それとも呪いだったのだろうか・・・。


私には、まだわからないのである。


そして、世界各地でますます激しくなっているように見える異常気象は我々の経済活動のせいなのだろうか? エネルギー問題は???



考えれば、考えるほど、のんきに暮らしていられなくなるのである・・・。田老に予定されている、大きい津波用の防波堤も、「100年後には気候変動で、海の高さが何メートルも高くなっているかも。その場合、莫大な予算をつかって防波堤を作ることは、まったくの無駄になる」という発表もあった。それよりも、今、居住地を高いところに移動する方がずっと現実的だというのである。



やれやれ、心配をしだすときりがないのだが、やはり専門家だけに任せていて、自分の人生の間だけという短いスパンで物を考えていてはいけない、と改めて思わされた2日間であった。 



特に、政治家には、何百年、何千年と言う単位で物を考える人が少ないのが、怖いところである・・・・。自分の任期のあいだだけ票の取れそうな政策を、というスタンスをとらない人たちを選挙で選ぶのは、また私たちの責任でもあるのである・・・。




両方のセミナーで、熊本で起きた地震への寄付を求めるチラシを椅子の上に置いた。東北震災でも多くの英国人が暖かいサポートを寄せてくれた。



今回も、多くの人から「日本はまたたいへんなことになっているね」と声をかけられたのである。


九州地方の被災者の皆さん、それぞれの人が自分の立場でできることをしながら、少しでも震災の被害拡大を食い止められるよう、また復興の速度が速まるように、日本を何度も訪れては研究活動を行っています。 彼らも、皆さんが力を落とさないでいてくれることを祈っています。



Hang on in there...!  You are not alone...!