羽生選手、翻訳記事 | ロンドンつれづれ

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今朝起きたら、雪が降っていた・・・。


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そんな中、インターナショナル・フィギュアスケーティング(April 2013) が届いていた。

インタビューはちょっと前のものだが翻訳してみた。


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「羽生結弦選手、世界王冠に照準を合わせる」


今季、日本の若いスケーター羽生結弦はコンスタントに表彰台の上に上がり、好成績を楽しんでいる。厳しかったグランプリファイナルでも銀メダルをとり、12月には全日本で優勝、2月の4大陸では2位におさまった。「いい経験でした。どんなミスをしたかというより、モーティベーションの問題でした。勝ちたいと思いました。いつでも勝ちたい、と思っています。」と2012年の銅メダリストは言う。


ブライアン・オーサーは、世界選手権に向けて良い練習になったという。「シーズン全体を見れば全ての競技で優勝と言うのは難しいし、一番大切なのは世界選手権です。大阪では、ユヅルは実力よりちょっと下の出来でした。いつもどおりにできていれば、また優勝していたでしょう。でも、彼はどんどん強くなってきている。負けるというのも実は良い教訓で、つらくともためになる経験なんです。彼は、失敗から学んで成長するタイプだと思っているんですよ。」


オーサーは、昨春から彼の生徒となったこの若い才能あるスケーターの成長を喜ぶ。「今季はコンスタントな成績でした。今までは成績のばらつきが彼の問題でしたが。強くなってきたと思いますよ。世界選手権では最高の演技を見せてくれるでしょう。楽しみです。」


ヨーロッパ・チャンピオンのハビエル・フェルナンデスのような仲間と一緒に練習できることも、羽生選手にとっては大きなプラスである。ハビエルの4回転ジャンプの着氷率は、このスペインからのスケーターと一緒にオーサーから訓練を受けようと羽生選手が思った大きな理由だ。「ハビエルはブライアンのコーチを受けて4回転の着氷が素晴らしいですし、僕も同じようになりたいと思ったんです。」と羽生選手は言う。


しかし、彼がカナダについて驚いたことには、オーサーはジャンプの前に基礎から教え始めた。「最初はスケーティング・スキルの練習でした。はじめからやり直さなくてはならなかったんです。結構大変でしたが、楽しかったですよ。ゼロからやり直すというのも、いいことなんです」と羽生は言う。


二人のスケーターはそれぞれ競い合いながらも友情を育み、成長し、とてもいい雰囲気のトレーニングだ。「彼も、ハビエルもとても紳士的でどのコーチに対しても礼儀正しい。とてもいい生徒たちです。性格はまったく反対ですが、二人ともいい子だ。ハビエルは自由奔放、ユヅルはちょっと箱入りかな。でも、とてもうまくやっている。ハビエルはユヅルのお兄ちゃんみたいでよく面倒を見ている。彼は本当にやさしいんですよ。ハビエルがジャンプを失敗すると、ユヅルが助け起こす。ユズルがクワド・サルコウをうまく着氷すると,ハビエルが手をたたく、といったように。コーチとして、嬉しいことです。プログラム練習もお互い励ましあって最後までやりとげる。おなじリンクで同じようなストレスやプレッシャーを持つ仲間と一緒に練習することは、彼らにとって気が休まるのかもしれません。」とオーサーは言う。


カナダで練習をつづける羽生選手は故郷の仙台を懐かしむ。「日本の文化や、食事が懐かしいようです。大きな多文化の都市ですから、トロントでもそういうものは手に入ると思いますが、でも彼は故郷が恋しいんですよ。トロントではお母さんがいつも一緒ですが、お父さんやお姉さんにも会いたいみたいですね。仙台に帰れるチャンスさえあれば、帰ってしまいますね。」


世界選手権が近づき、羽生選手の照準は表彰台のトップだ。トレーニングの時間も増やし、フォーカスはスタミナ増強とフリーでの2種類のクワド・ジャンプの着氷率を上げることだ。「僕の問題は、ジャンプとスタミナです。ジャンプの質を高めたい。演技を完璧なパッケージにしたいんです。もっと集中できるように練習しなくては。」と彼も言う。


彼はオリンピックシーズンが楽しみだという。その頃には、まだたった19歳。でも多くの人は彼が表彰台に乗るどころか、もしかしたら優勝するかもしれないと思っている。彼のむき出しの才能、ジャンプの軽さと演技に対するコミットメントには感銘を受ける。2014年にベストを見せられるよう、どんな努力でもするつもりのようだ。


最近、オリンピックに向けて、スポーツ科学の勉強を始めたらしい。「オリンピックでは誰でも緊張します。僕は、どうやったら緊張をコントロールできるか知りたいんです。メディアや観客、審査員からのプレッシャーとどう向き合うか、それぞれのスケーターにはやり方があると思います。それを勉強することでどうやって緊張と戦うかを知りたいんです。」と、羽生選手は真面目に、大人らしく話してくれた。


彼の大人っぽさは、人生を変えるほどの恐ろしい、故郷での2年前の破壊的な地震と津波の経験にもよるだろう。「あの日から全てが変わりました。リンクがあることがありがたいと思うようになりました。生きていられることは特別なんだと思うようになりました。もっともっと、スケートをしたいという気持ちになりました。観客の皆さんから力をもらえる、といいます。僕はもらった力を、仙台の人々に返したいんです。」


2014年のオリンピックが彼の終着点ではないと羽生選手は言う。「もちろん、その後も競技に参加しますよ。多分2018年の後、リタイヤするかな。でも、まだ分かりません。」


羽生選手は、最初はクワド・サルコウをフリーに組み込むことは心配だったという。競技で跳ぶのは難しい、と思ったからだ。でも、彼はリンクでトリプルアクセル-トリプルアクセルのシークエンスを跳んだりすることもあるという。「僕、トリプルアクセルを3回続けて跳ぶこともできるんですよ。アイス・ショーでは4回転サルコウと、トリプルアクセルをシークエンスで跳んだこともあります。」と羽生は笑いながら言う。


でも、競技で彼がそれをしてくれるとは思わない方が良い。少なくとも、今シーズンは…。「プログラムでそれをやるのは本当に難しいんです。」


彼のコーチは羽生選手はフィギュアスケート界でトップの選手になる、と大きな自信を持っている。「今シーズンは、まだ彼のコーチを始めて1年目です。まだまだこれからだ、と言いたい。今季終えて、特に来シーズンに入ったら、違いが目に見えて分かるようになりますよ。それを僕は期待し、信じていますね。」


記事は、タチアナ・フレイドさんによるものです。


以上です。お楽しみいただけましたでしょうか。